主張と言うより、愚痴だね。ー【朝日社説】安倍政権の日本 不信の広がりを恐れる

  応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/ranking.html
 
 既に何本もの弊ブログ記事にしているが、朝日新聞社説の「劣化」を通り越しての「しょうも無さ」は、昨今「以前より輪をかけて非道い」様に思われる。
 
 どれぐらい「非道い」かというと・・・
 
 

【朝日社説】安倍政権の日本 不信の広がりを恐れる
安倍政権の日本 不信の広がりを恐れる
2020年3月2日 5時00分

【1】 いま、この国の政治の現場では、驚くべきことが立て続けに起きている。
 
【2】 国会では、東京高検検事長の定年延長をめぐりつじつまの合わない答弁が連発され、「桜を見る会」についての安倍首相の説明にはウソではないかとの疑惑が向けられる。
 
【3】 いずれの問題でも、政権は適正な手続きをへて行われたことを裏打ちする確かな文書を示せずにいる。説明責任が果たされていないから、野党も同じことを重ねて追及せざるをえない。
 
【4】 新型コロナウイルスの感染拡大防止策では、全国の小中高校などの一斉休校の要請が、関係省庁間の周到な準備もないまま唐突に首相から発せられた。
 
 ■立法権を不当に奪う
 
【5】 こうした光景を見せつけられるにつけ、この7年あまりの安倍政権のもと、日本の統治の秩序は無残なまでに破壊されたと言わざるを得ない。
 
【6】 検事長の定年問題では、延長を可能にした法解釈の変更をいつ決めたのかという野党からの問いに、政府が説得力をもって答えることができていない。
 
【7】 もちろん、政府内の手続きが森雅子法相らの答弁通りだったのか、定年延長が検察の独立をおかすおそれはないのかという疑問は究明されるべきだ。
 
【8】 ただ、より本質的な問題は、政府による今回の恣意(しい)的といえる解釈変更が、唯一の立法機関と憲法41条が定める国会の権限を政府が不当に奪ったということだ。「立法権の簒奪(さんだつ)」に他ならない。
【9】 三権分立の原則を壊す極めて重大な問題である。
 
【10】 検察官の定年は、1947年に施行された検察庁法に明記されている。これに加え、公務員の定年延長を盛り込んだ国家公務員法改正案が審議された81年の国会では、当時の人事院の局長が、定年延長は「検察官には適用されない」と明確に答弁し、議事録に残っている。
 
【11】 検察官は一般職の国家公務員だが、政治家の権力犯罪をも捜査し、起訴する強力な権限を持つ。戦後間もなくから政府は「検察官の任免については一般の公務員とは取り扱いを異にすべきもの」との見解を明らかにし、公務員の定年延長が認められてからも30年以上、検察庁法に従った扱いを続けてきた。
 
 ■行政監視への否定
 
【12】 法によって決められたことを改めるには、国会での議論と議決をへて、法そのものを改める。議会制民主主義では当然の筋道だ。法には解釈の幅があるにせよ、政府の時々の都合で勝手に変えられるなら、立法府は不要となる。
 
【13】 「桜を見る会」をめぐる首相の答弁ぶり、そして質問者に対するヤジも、決して看過できない憲法上の問題をはらむ。
 
【14】 憲法63条は、国会から答弁や説明を求められた際には、首相や閣僚に国会に出席する義務を課している。条文には書かれていないが、誠実に答弁しなければならないのは当然だ。
 
【15】 首相は衆院での代表質問で、疑惑追及には「誠実に対応する」と答えている。だが、予算委での説明内容は、虚偽との疑いを抱かせるに十分だ。
 
【16】 首相はまた、予算委で立憲民主党議員の質問に「意味のない質問だよ」とヤジを飛ばした。後日の委員会で「不規則な発言をしたことをおわびします」との原稿を読み上げたが、これも問題の本質をそらしている。
 
【17】 謝るべきは閣僚席からの「不規則発言」という外形的な行為ではない。行政監視の手段としての議員の質問を「意味がない」と否定したことだ。
 
 ■国民に向き合う責任
 
【18】 通算在任で憲政史上最長となった安倍政権は、統治の秩序をやり放題に壊してきた。その傷口から流れ続ける「うみ」が、いまの政治には満ちている。
 
【19】 「憲法を変えない限り集団的自衛権は行使できない」との歴代内閣の9条解釈を、一方的に変更したこと。森友学園への国有地売却で不透明な値引きをし、それを取り繕うために財務省職員が公文書改ざんに手を染めたこと。いずれも、終わった問題ではない。
 
【20】 政権中枢が法治国家では当然の手続きを無視するから、その意を忖度(そんたく)する公務員らが後始末に翻弄(ほんろう)される。まさに「組織は頭から腐る」を地で行っているのではないか。
 
【21】 そうした中で突然、発せられたのが全国一斉の休校要請だ。
 
【22】 目に見えない未知のウイルスへの不安に加え、自らの生活にかかわる具体的な不安が、一気に全国へと広がった。首相はおとといの記者会見で「断腸の思い」と述べたが、「なぜ全国一斉なのか」という肝心な点の説明はなかった。
 
【23】 安倍政権が破壊してきたのは、統治の秩序だけではない。国民の政治への信頼もまた、大きく損なわれた。
 

それは、「モリカケ以来必死こいて”アベ不信”を焚きつけているのに、広がらない」って、愚痴かね?


 「ろくすっぽ“追求”も検証も実証も出来ないモノだから、印象操作でナントカしようとしている。」ってのが、上掲朝日社説を斜め読みに一読しての私(ZERO)の「第一印象」だ。
 
 大体、上掲朝日社説のタイトル安倍政権の日本 不信の広がりを恐れるからして、お笑いぐさだ。章題にもした通りモリカケからスパだの日報だの「桜」だのと、箸にも棒にもかからない「出来損ないスキャンダル」突き回して、「アベ不信醸造」に全力を挙げて来たのは、他ならぬ朝日であろうが。その朝日が、「安倍政権の日本 不信の広がりを恐れる」などと、どの口で抜かすのか。
 
 更に言えば、「アベ不信醸造」に全力を挙げてきた当の朝日が、安倍政権の日本 不信の広がりを恐れると銘打った社説を掲げているその事実は、少なくとも一面、「未だ、”安倍政権の日本に対する不信”は、広まっていない。」と言うことだ。モリカケから数えても、3年近くになるのだがな。
 
 まあ、斜め読みの一読では仕方が無い。じっくりとっくり、読んで/見て行くとしよう。
 

【パラグラフ1】~【パラグラフ4】この国の政治の現場の「驚くべきこと」


1> いま、この国の政治の現場では、驚くべきことが立て続けに起きている。
 
と、冒頭【パラグラフ1】で高らかに宣言して、上掲朝日社説はその「驚くべきこと」を続くパラグラフで列挙している。数え上げると、 ( 例によって、【】内はその根拠となった上掲朝日社説のパラグラフ番号 )
 
(1) 東京高検検事長の定年延長を巡る辻褄の合わない答弁【2】
 
(2) 「桜を見る会」についての安倍首相答弁に対する疑義【2】
 
(3) 唐突な小中高校休校要請【4】
 
 【パラグラフ3】が「抜けている」のは、同パラグラフが上記(1)(2)「野党が繰り返し追求している」ことの言い訳、即ち適正な手続きを裏付ける確かな文書が提出されていないに当てられており、これは「この国の政治の現場の驚くべきこと」としては、上記(1)と(2)の中に包含される、いわば「手続き論である」と考えたからである。
 
 或いは、斯様に言い換えても良いかも知れない。「適正な手続きを裏付ける」のは、「手続きというプロセスを、外形上裏付ければ良い」のであって、「手続きの過程で”適正な判断をした”と証する証拠は、必要ない」のに対し、野党(の一部)も、恐らくは上掲朝日社説も、「”適正な判断をした”と証する証拠」を求めているが、これは非現実的である、と。
 
 「手続きの過程で”適正な判断をした”と証する証拠は、必要ない」と断じるのは「”適正な判断をした”とする証拠」は、突き詰めれば無限責任となり、究極的には「あり得ない」から。仮に手続きの過程で判断判定した審議会の議事録があり、審査員の賛否から全発言まで記録されていたとしても、それが「”適正な判断をした”とする証拠」とは「しないことが出来る」。縁故やコネや賄賂や脅迫などで「適正で無い判断をした」としても、上述の様な議事録全文には「現れないことがあり得る」のだから、「”適正な判断をした”とする証拠とはしないことが出来る」のである。
 
 故に、政府や行政が保証すべきなのは、「適正な手続きを経た」、具体的にはいつのナントカ委員会で審査して了承を得た、までが一つの限界ないし閾値であり、「”適正な判断をした”とする書類」なんぞ、目指すべきでは無い・・・と言うより、「目指せる目処すら無い」。
 
 「適正で無い=不正な判断があった」とするならば、その「適正で無い判断」をこそ立証・検証されるべきであって、国や行政の「不正な判断・判定は無かった」は「正当な手続きを経ている」で(少なくとも一応、一面的には)立証完了している。
 
 犯罪事象を立証すべきなのは、検察側で会って、弁護側では無い。
 
 これに対し、「”適正な判断をした”とする証拠を出せ」と主張している(*1)上掲朝日社説や野党(の一部)の主張は、詰まるところ「無限責任の追及」となり、非現実的である。
 
 そりゃ、野党や、「安倍政権打倒が社是」と噂される朝日としては、無限責任なんてのは「おいしいネタ」ではあろうがね。
 
 上掲朝日社説は、【パラグラフ5】以降を、上記3つの「驚くべきこと」について詳述する形を取っている。章題も配して、「判りやすい構成」となっているが、「判りやすいのは、構成だけ」のような気がしてならんな。
 
  • <注記>
  • (*1) としか、私(ZERO)には解釈できない。形式的・表面的に「正当な手続きを経ている」のは既に証されているのに、「適正な手続きを裏付ける確かな文書」なるモノを要求する上掲朝日社説は、左様としか解釈できない。 
 

【パラグラフ5】~【パラグラフ11】「(1)東京高検検事長の定年延長を巡る辻褄の合わない答弁」関連

 上掲朝日社説が掲げる「国の政治の現場の驚くべきこと」三つの内、この(1)が「最も理解しにくい」モノであろう。「法解釈変更によって、検察長の定年を延長した」ことが槍玉に上がって居る訳だが、上掲朝日社説に基づいてその経緯を辿ると、以下の様になろう。( 例によって【】内は上掲朝日社説のパラグラフ番号 )
 
① 検察官の定年は1947年施行の検察庁法に定められている。【10】
 
② 検察官は、一方で国家公務員でもある。【11】
 
③ 国家公務員の定年は、国家公務員法改正で延長された。【10】
 
④ 上記③の国家公務員法改正審議の1981国会で、『定年延長は検察官には適用されない」との国会答弁があった。
 
⑤ 日本政府は従来『検察官の任免は一般の国家公務員とは取り扱いを異にすべきもの』として、国家公務員法改正による定年延長を検察官には適用せず、検察庁法による旧来のままの定年を30年以上維持してきた。【11】
 
⑥ 今般、上記⑤後段の「検察法と改正国家公務員法との齟齬を解消する法解釈により、検察長の定年延長を決定した。  だから、ケシカラン!!・・・これは、上掲朝日社説に直接文字として書かれては居ないが、容易に推察でき様。それは「■立法権を不当に奪う」などの上掲朝日社説の随所に現れている。
 
 で、だ。私(ZERO)は法律については素人同然で、本件についても上掲朝日社説を基に「初めて経緯をまとめた」ぐらいだが、この経緯から朝日の「立法権簒奪説」は「法理論上は成立しそうだ」とは言っても、同意も納得も出来ないな。
 
 先ず第一に、上記③④「国家公務員法が国家公務員の定年延長を1981年頃に決めた」のに対し、上記④⑤「検察官の定年は別の話」とするのはまだ良いとして、上記①⑤「1947年施行の検察庁法による定年のままとした。」と言うのは、単純に言って「国会の怠慢」では無いのかね?1947年ったら、終戦直後、朝鮮戦争より前で、定年も寿命も「若かった」頃のまま、と言うことだぞ。
 
 無論、その「国会の怠慢」の中には、「悪夢の民主党政権」三代のみならず、数多の自民党政権も、第1次安倍政権も含まれるのだが。
 
 で、左様な「国会の怠慢」を是正するために、「検察法を改正する」のが王道正道ではあろうが、今般の様に「法解釈変更による、実質法律改正」は、詭道と非難され、「立法権を不当に奪う」とまで言われねばならない事であろうか?

 確かにそんな「詭道」を歴代内閣は取ること無く、それ故に30年以上も「放ったらかしだった」訳だが、「放ったらかしてきた歴代内閣」よりも「詭道を以て検察庁法と改正国家公務員法との齟齬を(幾許なりと)埋める現・安倍政権」とを比べて、「圧倒的に後者が非難されるべき」なのだろうか?上掲朝日社説は、現・安倍政権非難しかしていない(としか、読めない、見えない)のであるが。
 
 更には、上掲朝日社説【パラグラフ7】にある様な定年延長が検察の独立を犯す恐れともなると、「何処まで本気で言っているのか、正気を疑いたくなるレベル」では無かろうか。罷免=クビにするぐらい強烈な処置なら相応に「恐れ」はありそうだが、「定年延長」程度で「検察の独立が犯される」ってのは「理屈の上ではありうる、と言えそうだが、現実には一寸想像を絶する」ぞ。
 
 「定年延長」如きを「検察独立を犯す恐れ」と糾弾し警戒するよりは、先に心配しなければならないことが数多ありそうなんだが。
 
 総じて「立法権簒奪説」も「検察の独立毀損説」も、「朝日や野党のイチャモン」と思えて仕方が無いのだが・・・「イチャモンでは無い、と言うロジックが(一応)成り立つ」という点で、上掲朝日社説が掲げる「我が国の政治の現場の驚くべきこと」の中ではマシな方、と言えよう。
 
 「イチャモンでは無いという言い訳の立つイチャモン」と言うところか。
 残りが、非道いからね。
 

【パラグラフ12】~【パラグラフ17】「(2)「桜を見る会」についての安倍首相答弁に対する疑義」関連


 上記(2)に相当する【パラグラフ12】~【パラグラフ17】に、上掲朝日社説は■行政監視への否定」と言う「章題」を付けているが・・・これまた実に非道いねぇ。
 
 当該疑義の焦点の一つは、国会質疑で俎上に上がった「桜を見る会前夜祭の会場となったANAホテルが、安倍首相の主張通りに参加者一人一人に領収書を切ったか、安倍首相後援会宛にまとめて領収書を切ったか。」がある筈だ。正に野党・辻元議員が「まとめて領収書説」を以て「政府を追及」していたのだから、な。
 
 だが、先行記事「徹頭徹尾下らぬ社説 https://ameblo.jp/zero21tiger/entry-12580012707.html 」で引用した通り、産経新聞が、首相の国会答弁通りに「ANAホテルが参加者一人ずつに発行した領収書」を写真付きで記事にしている。これでも尚「安倍首相答弁に対する疑義」を本件について言い募るためには、当該産経記事を誤報なり虚報なりと否定しなければならないはずだ。
 
 だが、上掲朝日社説は、「安倍首相の国会答弁に対する疑義」等の曖昧表現で、国会で「追求」された「桜を見る会前夜祭の、ANAホテル領収書」にさえ触れることも匂わせることも無く、当然「誤報ないし虚報として否定する必要がある産経記事」にも触れない。その当然の結果として「国会で”追求”されたANAホテル領収書に対する疑義は解消されている」ことなんて、無かったかの如くだ。
 
 挙げ句の果てに、首相の「ヤジ」だけ取り上げて、章題の■行政監査の否定に繋げている。
 
 なるほど、安倍首相の「意味の無い質問だよ。」というヤジと「■行政監査の否定」と言う朝日の章題は、一応繋がっている。だが、これも先行記事「さぁって、どんな質問かな? https://ameblo.jp/zero21tiger/entry-12575365961.html」にYoutube動画(https://youtu.be/8Xotu0dQ-Rk)を引用した通り、辻元議員の発言は「質問の体をなしていない」のだから、「質問ですら無い」のであり、安倍首相のヤジである「意味の無い質問だよ」は、正鵠を射ている。一方、かの辻元議員「質問」を「行政監査」とは、片腹痛いどころでは無いぞ。
 
 言い換えれば、上記(2)は、捏造と情報操作を重ねた、恥の上塗りのような「安倍首相を貶める印象操作」であり、イチャモンにすらなっていない。
 

【パラグラフ18】~【パラグラフ23】「(3)唐突な小中高校休校要請」関連


 最後は、上記(3)武漢肺炎(新型コロナウイルス)対策に対する安倍首相の小中高校休校要請関連だから、「最新の話題」と言えそうだが、■国民に向き合う責任と章題に銘打ちつつ、一段と迷走している感がある。
 
 その「迷走」は、本パート冒頭の【パラグラフ18】~【パラグラフ20】の、泣き言というか、恨み節というか、アベはこんなに悪いのにぃ!」攻撃である。
 
1> 「憲法を変えない限り集団的自衛権は行使できない」との歴代内閣の9条解釈を、一方的に変更した
 
 「歴代内閣の憲法解釈」を覆せるのは、現内閣だけですが、何か?
 
 「歴代内閣の憲法解釈は、現内閣でも覆せない」とするならば、それは「覆せない」か・・・ヒョッとして「天皇陛下の勅命ならば、覆せる」って解釈ですか?どちらも随分と奇妙な「憲法観」ですがね。
 
2> 森友学園への国有地売却で不透明な値引きをし
 
って、断定断言され、糾弾され続けてもう3年近く経ちますが、何一つ立証実証されず、否、法律的には「既に裁判で否定された」事実を公言断言されるのは、名誉毀損訴訟モノですな。
 
3> それを取り繕うために財務省職員が公文書改ざんに手を染めた
 
 公文書が「改竄された」のは事実ですが、その「改竄箇所」は、今般の「国有地不正売却」とは殆ど関係なく、「公文書改竄によって犯罪事象が隠蔽された」訳でも無ければ、「改竄前文書で犯罪事象が立証される」訳でも無い。つまり「改竄された公文書は、なにも取り繕ってなど居ない」
 いずれにせよ「国有地の不正売却」という「森友問題の犯罪事象」が成立しない以上、「それを取り繕う」必要なんぞは、全く無い。
 
 と、未だ以ての「モリカケガー」を繰り返してから、本論(の筈)の小中高校休校要請に入るのだが・・・何故全国一律休校要請なのかの説明が無い」【22】と、「国民に行き過ぎた不便や犠牲を押しつけないか」【24】の二点を非難しているだけ。先述の「モリカケガー(の内の、モリガー)」の方がズッと目立っている。
 
 第一・・・何故全国一律休校要請なのかの説明」って、必要かね?休校もイベント中止も「防疫効果がある」ことには、一寸疑いの余地が無い。「武漢肺炎(新型コロナウイルス)対策です」以上の説明が、どれほど必要だろうか?
 
 「説明されて、納得した方が、国民としても従いやすいし、防疫効果も高まる」って事は、あるかも知れない。だが、野党(の一部)や朝日が「安倍首相の説明に納得する」なんて、想像することすら難しい。所詮「納得なんか絶対にしない」相手には、説明も説得も、するだけ無駄だろう。
 
 「国民生活への影響」?そりゃ、「ある」だろうさ。日本国首相の要請だから、「押しつけ」=強制性も、否定すべくも無かろう。だが行き過ぎた」なんて評価・判定は、「休校要請なんかしなくても、十分な防疫効果が上がり、武漢肺炎(新型コロナウイルス)は十分抑止できる」と言う、少なくとも確信が前提だ。そんな「確信」が朝日に「ある」としたら、そりゃぁ特筆大書してやらねばなるまい。
 
 左様な確信は、「小中高休校要請」が既に為され、それによる幾許かの防疫効果がある現時点の現状を、「武漢肺炎(新型コロナウイルス)は十分抑止されている」と現状認識しない限り(*1)、持てない筈だしな。
 
 上掲社説を書いた時点では小中高校休校は実施されておらず、その防疫効果もその後の武漢肺炎(新型コロナウイルス)感染状況もまだ判らなかったろうが、今でも「武漢肺炎(新型コロナウイルス)は十分抑止されている」との現状認識に基づき「休校要請なんかしなくても、十分な防疫効果が上がり、武漢肺炎(新型コロナウイルス)は十分抑止できる」と考えているのか、是非とも朝日新聞にお尋ねしたいモノだ。
 
  • <注記>
  • (*1) 安倍首相の小中高校休校要請に、僅かでもプラスの防疫効果が在る、と考える限り。
  •  「防疫効果が無い」或いは「マイナスの防疫効果がある」=「返って疫病は蔓延する」と考えれば、話は別だ。左様な説がいかなる根拠に基づくのかは、興味津々だがね。 
 

判定。(1)まだマシだが、「驚くべき」ことではない。(2)論外。(3)タダのイチャモン。


 と言う訳で、勝ち負けで言うと「二敗一分け」って所の「文句なしの負け越し」と言うより「勝ち星が一つも無い」って所が、問題だろうな。
 
 これが、朝日新聞の、普段は2本乗せるところを1本に統合しての、社説である。
 
 ご愁傷様、と言うべきかな。ああ、同情はしないがね。自業自得の自縄自縛だ。