だから「憲法変えちゃぁいけない教徒」ってんだよ。ー【東京社説】新型肺炎と改憲 不安に付け込む悪質さ
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先行する記事で弊ブログは週刊朝日の記事を取り上げ、「新型肺炎(武漢肺炎)の政治利用を懸念しながら、その政治利用の一例としての”日本国憲法への緊急条項追加=改憲”についてはおくびにも出さない」当該記事を揶揄した。https://ameblo.jp/zero21tiger/entry-12574373056.html
「新型肺炎(武漢肺炎)の政治利用」というならば、真っ先に上がりそうなのが「緊急条項追加=改憲」であると考えたから、だ。
少なくとも、「新型肺炎(武漢肺炎)の政治利用」として「緊急条項追加=改憲 がある/あり得る」と考える点では、下掲社説に見る通り「東京新聞は、私(ZERO)の同志」と言うことが出来そうだ。
無論そこは(タイトルにもした通り)、「憲法変えちゃぁいけない教徒」である東京新聞であるから、左様な「政治利用」を全否定して非難糾弾している、訳であるが・・・
【東京社説】新型肺炎と改憲 不安に付け込む悪質さ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020020802000175.html2020年2月8日
【1】 新型肺炎の感染拡大に伴い、自民党内で改憲による緊急事態条項の創設を求める意見が相次いでいる。停滞する改憲論議に弾みをつける狙いだろうが、国民の不安に乗じるのは悪質ではないのか。
【2】 新型肺炎の感染拡大を受けて、緊急事態条項を創設する改憲論の口火を切ったのは、自民党の伊吹文明元衆院議長。一月三十日の二階派会合で「緊急事態の一つの例だ。憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない」と述べた。
【3】 翌三十一日に開かれた同党の新型肺炎に関する対策本部でも出席者から「憲法改正への理解を国民に求めるべきだ」との声が出た。二月一日には下村博文党選対委員長が講演で「人権も大事だが、公共の福祉も大事だ。直接関係ないかもしれないが(国会での)議論のきっかけにすべきではないか」と述べた。
【4】 その理屈はこうだ。現行憲法下では、人権への配慮から感染拡大を防ぐための強制措置に限界がある。だから憲法に緊急事態条項を設け、武力侵攻や大規模災害などの緊急事態には内閣に権限を集中させ、国民の権利を一時的に制限することも必要だ、と。
【5】 二〇一二年に発表した自民党改憲草案は緊急事態の際、内閣に法律と同じ効力を持つ政令の制定権を認める条項を明記した。緊急事態条項創設は安倍晋三首相が実現を目指す改憲四項目の一つだ。
【6】 ただ、政府は一月二十八日、新型肺炎を感染症法上の「指定感染症」とする政令を閣議決定し、前倒しで施行した。現行法でも空港や港の検疫で検査や診察を指示したり、感染者の強制入院や就業制限もできる。入管難民法に基づいて入国拒否も可能だ。
【7】 政府の対応に不備があるとしたら、憲法の問題ではなく、法律の運用や政府の姿勢の問題だ。
【8】 改憲しなければ、国民の命や暮らしが守れない切迫した状況でないにもかかわらず、国民の不安に乗じて改憲論議を強引に進めようというのは到底、看過できない。
【9】 首相は新型肺炎を巡り「先手先手で現行法制で対応している」と述べてはいるが、国民の不安に乗じる形での改憲論浮上は、任期中の改憲実現を悲願とする首相自身の姿勢と無関係ではなかろう。首相の前のめりの姿勢こそが論議を歪(ゆが)めてはいないか。
【10】 新型肺炎と改憲とは本来、何の関係もない。国会では新型肺炎対策など改憲よりも優先して議論すべき課題が山積している。拙速な改憲議論は避けねばならない。
武漢肺炎と改憲 不都合な不安は「憲法とは関係ない」とする屁理屈
章題で殆ど結論づけてしまったようなモノだが・・・上掲東京社説から「今般の新型肺炎(武漢肺炎)を契機として改憲を論じてはいけない理由」を抽出してみよう。例によって【】は、抽出元となったパラグラフ番号だ。
<理由1> 改憲しなければ、国民の命や暮らしが守れない切迫した状況でないにもかかわらず、国民の不安に乗じるのは悪質だ。【1】【8】
<理由2> 政府対応の不備は、法律の運用や政府の姿勢の問題であって憲法の問題では無い。【7】
<理由3> 安倍首相が改憲に前のめりだ。【8】
<理由4> 新型肺炎と改憲とは、本来、何の関係も無い。【10】
十分予想された事ではあるが、非道い屁理屈が並んだモノだな。
気を取り直して、一つずつ見ていこうか。
「Now We Start!」ー名無し@夕陽のガンマン
<理由3> 安倍首相が改憲に前のめりだ。【8】
「理由として抽出すべきか」と迷うレベルなのが、この<理由3>である。「憲法変えちゃぁいけない教徒」からすれば全ての改憲議論は「前のめり」にしか見えないのだろうし、改憲議論そのものが「憲法を歪める」ものであろうから。
以前の東京新聞社説には、「国会の改憲議論は、改憲の声が国民の間から澎湃と起こってくることが前提だ。」などと日本国憲法違反の疑いさえある日本国憲法擁護論(と言うよりは、改憲阻止論だな。)を堂々と主張していた東京新聞からすると、上記<理由3>にも「正統性・妥当性がある」心算なのだろうさ。
以前の東京新聞社説には、「国会の改憲議論は、改憲の声が国民の間から澎湃と起こってくることが前提だ。」などと日本国憲法違反の疑いさえある日本国憲法擁護論(と言うよりは、改憲阻止論だな。)を堂々と主張していた東京新聞からすると、上記<理由3>にも「正統性・妥当性がある」心算なのだろうさ。
だが、世の中は東京新聞の様な「憲法変えちゃぁいけない教徒」ばかりでは無い。私(ZERO)はそんな「異教徒」の一人であるし、多分、安倍首相もそうだ。
で、此処が肝心なところなのだが、「異教徒は、異教徒言うだけでは、非難されない/非難すべきでは無い。」。
で、此処が肝心なところなのだが、「異教徒は、異教徒言うだけでは、非難されない/非難すべきでは無い。」。
言い換えれば、安倍首相が「改憲に前のめり」なのは、安倍首相の思想信条「異教徒ぶり」の自由の範疇であり、何ら非難すべき事では無い。
仮に「安倍首相の改憲前のめり」が「改憲議論を歪めている」とするならば、非難し是正すべきは「歪んでいる改憲議論」であって、「安倍首相の改憲前のめり」ではない。その場合指摘すべきは「改憲議論がどの様に歪んでいるか」であり、議論すべきは「その歪みを、どう是正するか。」である。従って、<理由3>は、「理由になっていない」。
ああ、無論逆も成立して、「憲法変えちゃぁいけない教徒、と言うだけで非難されない/非難すべきでは無い。」と言うのも確かだ。当該記事のタイトルが「だから、憲法変えちゃぁいけない教徒だってんだ。」と非難しているのは、「憲法変えちゃぁいけない教徒」と呼ばざるを得ないような非論理性、狂信性、独りよがり、独善を批判しているのであって、「憲法変えちゃぁいけない教徒、であることを批判している」訳ではないぞ。念のため。
書いてて虚しい議論、ではあるがな。何しろ数多あるアカ新聞はじめとする憲法擁護論者で「憲法変えちゃぁいけない教徒」であるらしい御仁には、タダの一人もお目にかかったことが無いからな。
<理由2> 政府対応の不備は、法律の運用や政府の姿勢の問題であって憲法の問題では無い。【7】
<理由4> 新型肺炎と改憲とは、本来、何の関係も無い。【10】
上記<理由2>と<理由4>は、実は同時に扱える、と考える。理由は「執行され、実際上の制約条件となるのは、普通は法律であって憲法では無い。憲法には“法律の親分”として法律にかかわっているから。」である。
世の中には「合憲な道徳を持っている」と豪語断言出来てしまう人もあるようだが、普通に考えれば道徳も行動も「憲法に縛られる」訳ではない。行動を縛るのは普通「法律」であるし、道徳を縛るのは「常識」とか「伝統」とか「習慣」とか「世間様」などであろう。
従って、「新型肺炎(武漢肺炎)」にしろ、「新型肺炎(武漢肺炎)に対する政府対応(の不備)」にしろ、「日本国憲法と直接の関係は無い。」
だが、「日本国憲法と、間接的な関係は、ある。」
だが、「日本国憲法と、間接的な関係は、ある。」
一つには、今般の新型肺炎(武漢肺炎)が「国家としての対処が必要な緊急事態」と考えられるからであり、もう一つには「日本国憲法には緊急事態条項が無いから」である。この二つの「接点」により、「新型肺炎(武漢肺炎)」も「新型肺炎(武漢肺炎)に対する政府対応(の不備)」も、日本国憲法とリンクし、「関係がある」のは明白である。
無論、仮に日本国憲法に緊急事態条項があっても、政府が其れを発動しなければ、今回と同様に、或いはそれ以上に「対応が不備になる」可能性はある。防疫体制にせよ、検査体制にせよ、日本政府の具体的対応は法律や閣議決定によるのであって、直接「憲法の緊急事態条項による訳ではない」のだから、な。
だが、憲法に緊急事態条項があれば、今般の「日本政府の対応不備」は低減され、より効率的な(そして恐らくは、より強権的な)対応が取れた可能性はある。
上記<理由2>や<理由4>を以て「緊急事態条項を追加するという改憲議論をするな」という主張は、「現時点の日本政府の対応に一点の不備も無い」と考えるか、「憲法の緊急事態条項が今般の新型肺炎(武漢肺炎)対応に良い影響を及ぼさない」と考えない限り、成立しない。
で、「異教徒」たる私(ZERO)は、現時点での日本政府の対応にも不満であり、且つ「憲法の緊急事態条項が今般の新型肺炎(武漢肺炎)対応に良い影響を及ぼさない」なんて、妄想願望としか思えないから、上記<理由2>や<理由4>を以て「緊急事態条項を追加するという改憲議論をするな」言う改憲反対論には反対する。
上記<理由2>や<理由4>を以て「緊急事態条項を追加するという改憲議論をするな」という主張は、「現時点の日本政府の対応に一点の不備も無い」と考えるか、「憲法の緊急事態条項が今般の新型肺炎(武漢肺炎)対応に良い影響を及ぼさない」と考えない限り、成立しない。
で、「異教徒」たる私(ZERO)は、現時点での日本政府の対応にも不満であり、且つ「憲法の緊急事態条項が今般の新型肺炎(武漢肺炎)対応に良い影響を及ぼさない」なんて、妄想願望としか思えないから、上記<理由2>や<理由4>を以て「緊急事態条項を追加するという改憲議論をするな」言う改憲反対論には反対する。
そもそも、「改憲議論に反対する理由」として、上記<理由2>も<理由4>も、「詭弁が過ぎる」と言うぞ。
<理由1> 改憲しなければ、国民の命や暮らしが守れない切迫した状況でないにもかかわらず、国民の不安に乗じるのは悪質だ。【1】【8】
結局の所、上掲<改憲議論反対理由>の中で一番マシなのが、この<理由1>であるらしい。私(ZERO)の様な「憲法変えちゃぁいけない教徒」ならざる「異教徒」からすると、呆れ果てるほか無いような<理由>だがな。
上記<理由1>が、上掲社説の【パラグラフ1】と【パラグラフ8】に依っており、それを「つなげた】結果「かなり過激な表現になっている」事は否めない。だが、上掲社説や以前から数多掲げている東京新聞の「改憲反対社説」からすると、上記<理由1>の通り「改憲しなければ国民の命や暮らしが守れないような切迫した状態になるまで、改憲議論さえするな。」と主張しているとしか、思えないのである。
で、極々常識的なは無しだとしか思えないのだが、「改憲しなければ国民の命や暮らしが守れないような切迫した状態」になってから改憲議論を始めて、間に合う訳が無い。改憲議論を始めて、改憲案を国会にかけて3分の2以上の賛同があり、更に国民投票にかけて承認されるまでの時間は、法整備が完璧であったとしても、ザッと半年は掛かりそうだ。特に改憲議論の段階は、端的に言って「十年かかっても不思議では無い」レベルだろう。
更には、改憲がなっても、其れで直接「動く」部分は極少ない。予算措置や法令整備、緊急事態条項追加して活用したとしても閣議決定ぐらいのディレイはかかる。この間「改憲しなければ国民の命や暮らしが守れないような切迫した状態」は続くのだから、「亡国の道」で中ったら、相当な見つけモノだ。
「切迫した状況になってから改憲議論をしても間に合わない」のであるから、「切迫した状況を想定して、改憲議論を予め実施し、会見も実施しておく」のが常識対応と言うモノだ。
更に言えば、今般の新型肺炎(武漢肺炎)は、「今、厳然とそこにある危機」であり、「国民の命や暮らしを守れない切迫した状況」を想起想定させるには十分な危機である。
かかる「危機的」状況下において、緊急事態条項追加を含む改憲議論は、あって当然。無ければ不自然。「国民の不安に乗じるのは悪質だ」として「改憲議論するな」なんて主張は、論外だ。