とかく思考しない人間の特徴は。

 

例えば会議って言葉の奇妙さだ。

 

 

集まることに重きが置かれた姿。

会議?というタイトルを掲げると

何か出来る錯覚のみ時間潰し。

 

考えもなく烏合の思考も決め事もないから。

それはもう子供の頃から無意味に教えられた観念の代表だろう。

 

 

 

無為に集まり膨大な時の浪費を互いに暗黙の了解で損失する誇大で尊大になりがちなイニシエーション。

 

 

 

それがネット参加になろうが現実に集まろうが、考えの無い集団が急に発案など無理があるからだ。

 

 

日本の場合は、地方ほど傾向が如実であり、会議?崇拝とも言える無価値な観念の浸透のみ目的化して、集う人間の閉塞的な我慢大会に出口はない。

 

 

そもそも集まれば文殊の知恵となる訳も関連性も何処にもない。

 

 

だから日本人の会議という懐疑心が虚しい集会症候群という妄念に終わり、そこで誰ひとり思考や意見など持たずに時間の拘束だけ潰して終わる症候群を併発した溜め息の量産空間として失敗するのだから。

 

 

会議』たるものが出席者の自発と伝達する有効度を優先しなければ、永久?井戸端の延長と世間話しに終始する浪費が懸念され、実際に配られたペットボトルの茶を消費する作法の儀式より進まないこと。

 

日本の全国地方に見る会議という頼みの綱は、さらに細い糸より脆くて機能を果たせない所以だ。

 

幼少の頃から、明確な意識や考えが無くても集うことのみ形骸化された重要視する列の形式だけを会議?と名乗り事態の進捗率を低下させるばかりの行為に耽溺した日本型の座談会システムに根源を知る。

 

いつもながら画期的な思考も伝える内容と計画性も、殆ど僅かな啓発に努める人間のみが行う個人芸に近い実情であり、それ故に生かされない会議?という名詞に魔法の様に信奉して何か出ないかと空虚なサイコロを振るだけに時と才能が費やされる抵抗感が蔓延しているのだ。

 

神はサイコロ遊びをしない

 

 

いかなる場合も良いアイデア?つまり考えや方向性も自発で思考的に抜きん出た人間にしか無い。

 

 

集うという既成事実のみに意味など喪失したまま発展も発言も忌避されて群れが懐疑心の念仏を唱える練習場以外になれない理由。

 

とても闊達な意見の場になりはしない。

 

 

それだけ優れた意見も行動する人間も限定され、大多数は考えなど抱かない暮らしに埋没する烏合の衆だから画期的な成果を得るという奇跡も随行する意味合いも得られない部分に病いがある。

 

 

思考の軽視と日常の能動的な活動に於ける積極的な計画性が見事に欠けた集団が顔だけ揃えても他者に迎合と依存心のみ強まるからだ。

 

 

 

繰り返し言おう、会議すると称した呪文も機能も無い。

思考せず大半が使えない浪費生活者である限り、会議という模倣の集まりに苦痛と思慮の浅さを提示して終わる。

 

子供の頃から大部分が貴重な浪費にのみ意味合いを感じて行う儀式から未来系の夢も願望も計画性も他人事とされ逃避を正当化して薄れたまま終わるのだ。

 

 

 

人間、手足を動かす労働より頭脳を働かせる能動的な機会に苦手意識が酷いことが周知となる。

 

こんな自分の考えくらいどうでもいいだろうという遠慮。

下手な考えを述べて失笑されるのも癪に障るから無言の行に徹する惜しい使われ方です。

 

 

ある企業では、そんな無為な時間潰しを解決すべく、男性優先の体制に変革を求め女性社員に発言のチャンスを促すべく席を与えた経緯も既に昔のことか。

 

社内に柵(しがらみ)のない女性社員なら活発に新鮮な考えや意見も行う傾向を促して成功。

 

しかし何も考えの無い集まりのサイクルは発言を厭う、参加数が増すほど思考停止に拍車のかかる日本固有の社会構造は根強いもの。

 

 

集会コンプレックスや黒ミサ(笑)並みに畏れ慄く人々が緊張と瞬く間に弛緩する忘却大会が…会議神話の不発する核心だと知るだろう。

 

 

全員の一致か思考が滞ろうと予定調和を好む日本人スタイルが王道となる寡黙な会議時間は惜しい。

 

我慢大会より進まない受け手の思考モデルを壊したくはないか。

これが思慮分別に関係なく深いから会議の殺伐さを国中で視る。

 

結局、会議も個人技であり特定の優れた意見を同調する多数決判定に促して正常さを保っていく組織行動の凡例から抜け出せない。

 

数人集えば名案が生まれ、多大な数では混乱と不満に終始しやすい集まることに意義がいる勘違い。

 

 

実は会議とは、伝達する手間省きどころか、日頃に発想や発言も控えた人間への大切なチャンスの場であるべきだから。

 

 

 

 

まあ確かに会議などなくても名案や深慮も思考の賜物。

デキる人間なら個人でも戦力として十分なのだから。

 

原理的に島耕作?比率に成否が

 

 

誰がために会議はあるのか?。

 

何も知らずに配られるお茶ボトルの持ち帰りを命題としないため。

 

 

 

深夜にテレビで名士を揃えた討論会も放送されるが?イベント化し不発ばかり。

電力に人件費、パフォーマンス欠如で失われてばかり。

 

 

見世物やショータイムとなる才能と時間の浪費に何故か美徳を感じる人の多さ。

 

 

日本人の会議信奉こそが、協調の相互理解と和をもって尊しとならない実態と知るのだった。

 

 

自発!無しに会議も意味を失う。

単なる伝達ならネット配布で資料が役立たずの死霊?になる心配も防げるだろうか。

 

 

会議で共有されているアクティブな情報や意見の交換。

 

解っているようで虚しい空間を埋められないのは特徴なのだろうかとの会議してみるのも乙なものだ。

 

 

自己の意識や考えを全体と比較検討するなど魅力的な会議という時間を惜しむらくは秘伝の儀式(笑)にならぬように提案したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

取材する限り、奥能登が地震災害を経て立ち直りにモチベーションが向上しない理由も等しく似たものがあるのではないか。

 

現地の気概を削ぐ原因も外界からの介入に不安定感があるから。

 

 

 

つまり復興という目的意識も多勢の中で没していく印象の会議席上に近いのだ。

 

 

ごく一部の意見交換に終始し、己の考えなど発言に億劫な人々。

真面目さが滲みだすような性格。

謙虚とは違う特有の奥ゆかしさ?

だろうがマイナス要因となる。

 

 

積極性ある行動も何故か?、先に動けば損とでも言うべき差し控えた生活者の恥じらい。

 

未曽有の被害から日も浅い無理からぬこととして捉えても既に年月が虚しく過ぎていく。

 

 

そこに見る現実は、どこか会議の席上に渦巻く無関心と虚脱に思う。

つまり、どうしていいか分からないのが全体意見だ。

 

僻地ながら土地柄も踏まえての暮らしが瓦解により失われた。

それを挽回したい、改善したい意識の本質は企業や子供の学習と似て非なる問題点。

 

 

外部社会の組織的なミスリードにも危険性があり詐欺など横行を防ぎたいと感じます。

 

 

どうやら共通した苦手意識にフリーズする様子と受け止める。

一般人にとってみれば絶望的かもしれぬ巨大災害。

 

それでも生きねば!

絶対に生命力を支える意志の脆さは寿命に悪影響するからだ。

 

 

人は心で生きる。

つまり心が萎えれば、自身の命まで失われる。

考えや意識というものが形になるからこそ大切だと知るだろう。

 

 

単なる意見の発露でなく、先のこと未来に対する自らの提案であることに実感が薄れている傍観者の不徳を責めたりしない。

 

慣れていないことの積み重ねが痛みを紛らわすだけで喪失を癒やせないのだろうか。

 

 

周囲ともども助け合いにプラス効果を促せれば良い。

 

 

援助の手や美談も薄れて去るのは早いものだ。

 

国内ですら既に能登の災害も風化の兆しを見る。

 

 

まさしく苦手意識や慣れない会議の議題に沿い闊達な思考を求められていますね。

 

 

童心に戻り些細なことでも発言しましょう。

 

なによりも自発的な行動論理を求めてください。動くのも自分。

 

 

解決策なら皆さんが最も詳しく理解しているのだから。

 

 

その挙手で発言しましょう。

 

 

 

いつまで能登におられますか?

 

 

ずっと…いつまでも

 

そんな答えを待っております。

 

 

 

ちゃんと翻訳してね。

 

 

 

 

 

絶対的な人口減少を免れない陸の孤島だった能登半島。

 

 

今後の空洞化に備えた照準で、海岸部の隆起など変貌した自然環境を活かした整備も柔軟な思考であり得策としたい手作り感を惜しまないことだ。

 

 

もう過去の能登を知る人間には、

別世界に近い風景となりました。

災いを転じ、その変化を利益に。

まさに天からの福音も残された

未知の世界でもあります。

 

 

 

国から自治体のインフラ整備も進むが痛々しい面影も色濃く残されていることに希望を失わないこと。

楽なんてどこにもない日本列島。

 

 

経済のバックボーンが破綻する

現在の国情では、厳しい復興だ。

成功か失敗に陥るかの瀬戸際。

利害関係だけでは、人が生きる能登は救われないという信実です。

 

 

 

 

 

 

今後ある能登の魅力を考えるなら

劇変した自然環境を生かす。

人類の数万年を越える進化も荒れ地を開拓して文明を得た。

 

 

 

 

 

 

 

思い切って髪型を変えた若い女性の心理?に比喩する表現。

 

 

気付いてほしいけれど周囲は忙しくて殆ど忘れ去られていく。

 

 

女性の心理は詳しくないが?

 

似合うねぇ髪型。

可愛くなったなあ!。

 

そんな印象を待っているのかも。

 

 

 

 

誰もが悲劇から立ち直りにくい。

それでも気持ちは自分のもの。

 

ヘアスタイルと復興は同じはずないけれど… 

 

立ち居振る舞いまで変わる心境を見守りたい。

 

人間が減るなら、自然環境の重視に発露を見いだせないか。

小さなコミュニティーは武器。

 

 

 

人的パワーも埋蔵資源も乏しく、

経済も低迷し国中での援助とて厳しい世相に嘆くだけでは救えない。

追い風の経済効果は皆無でしょう。

 

 

さり気なさが心遣いの美しさに映えると思うからです。

 

 

再び…能登に恋してもらいたい

 

 

季節ごとの花が咲くように。

 

子どもたちが幸せになれるように。

 

 

見守る我々は、ゆっくりと進む能登半島の生命力と復興を願わずにはいられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秘すればこそ花…

そんな能登の魅力

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彗星画廊☆写真集  HP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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