前田慶次郎ゆかりの里

 

 

 

 

天下の傾奇者

前田慶次郎とは誰なのか?

 

 

生来敵の多い故に加賀の妻子とも別れ何百年を経ようと

慶次郎は静かに眠りたいはず。

 

それとも鬼共を相手に豪奢に来世を傾奇く夢を見るか?。

 

友禅の如く、幾重にも知る程に謎の人物像を垣間見せる。

 

 

まずは米沢にて弔われ、今こうして愛されている。

 

 

正史に於ける記録や伝承すら定かでない慶次郎。

フィクションとして多彩な題材にされる傾向も無理のないこと。

こう書いているのも私の個人的な主観でしかありません。

 

大名家の人間が、仮にも傾奇者などと呼ばれることは本来からすると侮辱的。

むしろ揶揄であり敵意となります。

 

もし本人が名乗るなら謙虚さとなりますね。

 

 

 

 

 

嫌われ者の次郎?

 

前田利家と不仲などと噂も立てられ対立を狙う輩も城中にいた。

家臣には、利家に阿り出世を諮る人間も少なくない(嫌な世の中)。

変わり者?と揶揄され問題も起こす悪戯好きな慶次郎を童心として苦笑する人々だけではない。

物語りに描かれるような、どこの家中にもある争わせて隙を狙う誘導を企む人間も一人や二人じゃないでしょうね。

 

しかし、城下でも町衆や女子の人気も高いことパブリック・コメント(笑)も知りたいほど。

 

妬かれる…恨まれる?

という感情もどこ吹く風で好き勝手に生きる慶次郎。

封建的な時代に…バサラとか、傾奇者という生き様に自由という価値を信じる。

 

やはり面白い魅力的な噂の男の人物像。

 

 

 

 

傾奇者を英雄視する民

 

伝説の武辺者が実在した故のリアリティ?とは、彼を慕う人々の心にある幻像とすら思える。

 

そこを強烈に描いた劇画の傑作が 花の慶次

まさに浮世に百花繚乱という人気ぶりなのです。

 

 

 
 
 
 
 
 
善光寺の境内にて…湯殿山の碑。
 
 
 
 
 
 
 
旅の日々、穢れた手指を浄めた水も湧いています。
 
 
 
 
 
 
 
 
堂森にある善光寺の由緒が書き記されています。
 
 
 
 
 
 
慶次郎が好んだの形を模してあります。
いかにも形からして?虚飾を廃した意匠に思えますね。
凝った飾りも見栄えも避けた兜。
 
しかも接近戦で尖る武器として使えそうな実用性も感じられませんか?。
 
 
 
 
 
 
 
 
劇画に心酔するせいか、前田慶次郎は酒豪?体躯も立派で酒を愉しむ人物像。
 
老後も戦人… 健康のために禁酒する慶次郎など想像できません。
 
 
凄まじい屈強の武者イメージも人間らしさ思慮深さなどの器量と傾奇者と呼ばれる豪放な部分に惹かれるのは、こじんまりと平和に生きる現代人の憧れだから。
 
そうした描写が、慶さんに酒を供えたい気持に繋がるのかも。
供養塔に添えられた御神酒に籠める慶次郎への愛情があるから。
 
人々は、遠い戦国時代を疾駆した傾奇者という姿に親しみと憧れを込めているように思えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
雲も果てるほど途方もなく永い年月、行く方知れず墓所も墓石すら定かでない。
死して名も残さず、豪奢な生き様の片鱗すら隠してしまう慶次郎。
 
 
幕末から明治に起きた廃仏毀釈などの騒動もあり、そうした混乱期に墓標の石すらも判別すら出来ないまま寺の住職も代を重ね。
 
そんな混成した歴史的な背景を否めません。
 
確かに暮らしていた記述も実は各地に残される伝説。
いま再び失われてしまった墓所を再現なさった関係者の情熱が素晴らしい奇蹟を生んだのです。
 
歴史的な偉人を偲ぶ人が、探す術もない消えた痕跡の話しはありますが、せめてもの形を残そうと尽力した皆さんが苦労してくださるお陰ですね。
 
これほど立派な供養塔を造ってくださった保存会の方々にも感謝。
 
 
遥々と前田慶次郎を現地にまで供養に参られる人達との想いを繋ぐ大切な場所となりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
悪戯好きな傾奇者?
 
実態の掴めない戦国時代の英雄
それが前田慶次郎であります。
乱世を生きる武人であれば、安易にプロフィールや情報が知れると危険。
いまでこそ不明瞭さを悔やむ世人がいますけれど、まさしくステルス論です。
個人の秘密が多いと思うほど情報管理が優れていた証なのですね。
さすが一匹狼といえる孤高の男、身の安全にも手抜かりなし。
 
むしろ不都合や体裁のため後世に消された真実を推理や研究する意味合い。
たとえば前田慶次郎に欲心で妨害や貶めようとした人間たちを解析する。
現代の犯罪心理学と同じく興味深いことが判明します。
 
前田慶次郎が?傾奇者と名乗るのは、ある種の恥じらいや遠慮の諧謔。
その当時の世情で名乗る若者達が目立ちたいために傾奇者と称したのと
別次元の配慮といえるものです。
 
慶次郎が粗野で乱暴者なら、主犯格の者は全員死んでいるでしょう。
むしろ慈悲で大目に見る慶次郎だからこそ、しつこく妨害できた犯人。
今の世にも政治や信仰の偽者集団は殆どが横暴で同じ恥知らずパターン。
 
世紀を超えて、現在も同じようなことしてる人々を知りませんか?。
 
 
 
 
ふべんな世の中である
 
名家の出が、わざと不良生徒を名乗る行為。 卑下してるようなこと。
慶次郎は、とてもお人好しだったんでしょうね。
ようするに秀でた立場と武力で粗忽な罪人も始末できる家柄。
それをしないで済ませてくれてるのは、優しい人徳の真実。
 
乱世だから普通ならります。
 
 
 
 
 
米沢の郷土資料館には、有名な前田慶次郎道中日記
も所蔵されているといいます。
是非ともお立寄りなされるといいですね。
 
慶長六年の秋のこと…
10月に京の都を発ってから、11月に米沢に到着までの紀行を記す道中日記。
彼の詠んだ俳句や和歌も書かれたとされています。
例によって明確な裏付けは難しいのですが、筆跡などから慶次郎の筆に間違いないという貴重な書
 
 
 
その一首 夏月
夏の夜の明やすき月は明のこり
巻をままなるこまの戸の内
 
 
なによりも古典や諸芸能、そして詩歌に通じ風情を極めた文人らしさ。
それも大きな魅力といえるでしょう。
 
劇画での慶次は、まだ漲る若さで描かれていますが。
実際の旅路を往く頃になると、米沢に壮年から初老の年齢で赴いたはず。
 
そんな慶次郎の姿も想像しながら、堂森までの過程を旅しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
遥山並み城下を眺め
酒を酌み交わした月見平
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夕暮れの迫る米沢の堂森。
 
西の空に傾く太陽の名残りを惜しむような光に周囲が包まれていきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
前田慶次郎が酒を手に月夜の風情を楽しんだという月見平
 
 
供養塔に参り、いま新たに慶次郎の墓所として建てられた場所があります。
 
私も善光寺の墓地から裏手の急な山道を黙々と歩いていきます。
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  いまも世間で人気の一因なら、こういう動画ありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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お気に入りのくつ教えて!

 

慶次郎さんなら?足も大きいだろうか。

武士階級でも西洋の革の靴くらい手に入れられる身分。

派手好きどころか質素で飾らない人柄が浮かぶ。

旅にでるにも似合ったであろうな!。

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