いまの世でも漢(おとこ)と申せば
前田慶次郎と唸るほどだ。
江戸時代でも前田慶次郎が大衆の戯曲や歌舞伎など、
人々の心を捉えて離さない魅力とは何だろう。
こうした劇画となり戦国時代の快男児が蘇ってきた。
しかし我々も誇張された物語りの断片を掴むしかない、
真に自由人とは、稀代の武辺者と伝えられる彼の正史
残される資料や記録は無いに等しい… むしろ消された
とすら?感じとれる印象を後世に遺して逝かれた慶次。
意味を知ってか?知らずか、婦女子にまでも傾奇者の
言の葉が通じるほどの知名度だから驚かされる。
人気の劇画コミックス表紙絵をお借りしています。
それにしても沢山あるのですね劇画のシリーズ。

百万石の大名、前田利家の甥であり大豪の武将として、
幾多の戦功を挙げる実力者も天寿を全うする日が訪れ。
関が原の合戦後は、敗軍である大名家の上杉に身を寄せ
、自ら傾奇くこともなく僚友の直江兼続と領地の開墾
など助力しながら太平の世を隠棲したようです。
西暦で1612年、日本の慶長17年 陰暦の6月4日
現在の山形県にある堂森の地にて生涯を閉じた人物。
し、その墓と碑は善光寺にあるという趣旨の記載…
加賀の地より東北の山形県へと推参いたしまして候。
そうです、遂に前田慶次郎様の墓所に旅が叶いました。
東へと道中を進んでいけば、見知らぬ地でありながら
むしろ懐かしさの込み上げる風景や温もりに逢う。
時を遡れば、確かに慶次がいた!場所に辿り着けた。
私も惚れ込んでいる歴史的な人物に近づけた感動、
久しくなかった気持ちが湧き上がる不思議さ。
前田慶次郎ゆかりの里
閑静な佇まいの山村など静寂な土地、決して賑やかな土地柄ではありません。
保存会などの尽力で立てた看板がなければ解からない程でした。
それは、慶次郎が… 上杉のために守護すべく距離をとっていた証かも。

山形県米沢市 堂森にあります、善光寺様の境内に
静かに弔われている前田慶次郎の碑(いしぶみ)があります。





いまや世界に熱烈なファン層をもつ前田慶次郎の伝説。
寺にある供養等の脇には、こうしたイラストもあります。
幅広い支持者がある彼の武勇や魅力に国境線も時代も
越えた自由な風を感じてしまいますね。

前田慶次郎ゆかりの里
米沢の善光寺さん、庭園も見事でした。



さぁて傾奇くか・・
太い毛筆で強く書きたくなるような真情。
供養塔のご紹介、そして今回は動画のように建立された
墓石の写真を掲載させていただきます。
続きは、天下を覆す大傾奇からでも遅くはない。

人生に後悔などあろうものか
艱難辛苦も心地よい・・・
まさに戦の如き風に乗ろう。
彗星画廊☆写真集 HP
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