能登半島地震という未曾有の惨劇から半年近い石川県
 
 
 
大規模な土砂崩れに多くの民家が呑み込まれた現場
 
 
 
輪島の市ノ瀬町は、能登半島地震に伴う土石流で埋没。
民家が100メートル程も流され破壊されたまま大量の土砂に阻まれ、懸命な捜索にもかかわらず安否不明だった方が見つかっていません。
 
 
 
 
 
 
 
現在も県道を走りながら削られた斜面が赤銅色に景色に佇み、無惨にも埋もれる家々が悲壮感を放つ市ノ瀬地区。
 
生活道路を埋め尽くした土砂の量。
背後にある山が斜面ごと崩落して町を襲ったと?言葉で書けば簡単ですが、そこに立てば逃げる道すら奪われ夕闇に翻弄された人達の恐怖心が伝わる気がします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
川の流れも遮断し、山間でダム状に水が溜まり小さなダム湖を形成しています。
 
以前の河川が崩壊し溢れる濁流は、いまだに被災した場所を削るように流れが増していました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いまだに行方不明の男性が発見されていません。
この何処かに御遺体が眠っているのですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あれから天の見守る中で風雨も闇も試練は過ぎ。
 
時は過ぎて 季節も陽光と新緑が漲る5月になりました。
 
被災後に白く冷たい雪の降りしきる中で、多数のレスキュー部隊など救助の車輌と人々が活動を続けた姿も消えてしまいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お正月を迎えた静かな町を地震が破壊し、土砂災害が押し潰した。
誰もが経験もない災害に何もかも失っていく。
 
そんな凄惨な凍える魂の記憶すら掻き消すように能登半島の各地の悲劇が報道されましたね。
 
私も含め、被災者の気持ちを何も解ってあげられない。
 
何ひとつ力になってあげられないまま時間だけは前に進んでいきました。
 
そして社会の悲哀も関心も霞のように薄れていくのでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日常が瞬時に瓦解した痕跡が… いまも至るところに残されていました。
 
緊急避難した住民が遠く離れたまま、帰宅も再建も出来ずに放置された暮らしが息を潜める地。
 
金沢と… 100キロ程しか離れていない奥能登。
いまだに能登の人々も加賀で慣れない暮らしを営んでいることでしょう。
 
故郷への帰還は困難なことばかり。
 
 
 
 
 
 
 
家屋の下敷きで怪我や圧死するという痛ましい現場から、身近な隣人の遺体が運び出される度に血を凍らせるような悲しみを背負った救援の人々。
ほんとうに過酷な現地で頑張ってくれましたね。
 
先祖代々の想いも深い家屋敷や田畑も泥流の底に消え、倒壊して大量の土砂に埋没した家々は墓標のようでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
能登北部にある輪島市と珠洲市は最大の被災地。
途方に暮れる住民は、いまも不自由な生活と希望を失いそうな絶望感を拭いきれません。
 
地方で素朴に暮らす人々に挽回不能の被害と過疎化による働き手も失う環境など多難な現状。
 
いまだ復興に向けた活動を閉ざしたまま泥の海は全てを沈黙させているのです。
 
 
 
 
 
 
 
能登半島地震で亡くなられた方達の尊い命に
御冥福をお祈りいたします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 当時のニュース動画。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彗星画廊☆写真集  HP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お願い☆著作権ある 記事の無断複製・転載はご遠慮ください。