群雄割拠の戦国時代。
北陸の地で、七尾城” と聞けば、傾奇者で名高い前田家の慶次郎も赴任。
能登の國を 彼が駿馬で駆け抜けた! そう思うと胸が熱くなる。
後の壮麗な天守閣など珍しい 効率主義の城塞や砦が城址の主流。
石川県 能登といえば、前田家の殿様が治めると思いきや、戦国史以前は
別の武将が治世を営む領地でした。
畠山氏の居城に御座候
室町幕府で管領の役職まで就ける畠山氏 ” とは、名のある家柄でした。
現在の関西、大阪府東部の河内、和歌山県の紀伊國、北陸なら富山県の越中
石川県北部にある能登國 まで四つもの国を治めていた大守護大名なのでした。
能登の国を治める 吉見 氏や本庄 氏など、地元武士の守護大名が相次ぎ失脚
室町時代のはじめ 明徳三年(1392年)頃からは、守護大名に選ばれたのが
管領の畠山 基国(もとくに)なのでした。
石川県七尾市の城山に貴重な城址のあった遺構だけが残されています。

時世は室町、将軍の足利義満の嫌う実兄の足利満家(みついえ)に代え城入り。
畠山 基国の子である 畠山 満則(みつのり)を当主に任ぜたのです。
事態は変わり、応永15年(1408年) 将軍の足利 義満が御逝去しました。
兄に当主の座を譲り 畠山 満則は、己の領国である能登の守護大名に赴く。
歴史では、能登國を統治する能登 畠山氏 の時代が始まりました。
その畠山氏の興した城跡を訪ねると、細く長い記憶の螺旋のような山道。
頂上付近まで、登山道がクルマによるドライブコースとしても楽しい。

コロナ禍で、人の足は遠のいているようですが。
中腹には、老舗らしき旅館や 洒落た珈琲の飲める店もあるようです。
勾配は急ですが、サイクリングにも徒歩にも適した自然な林道が続きます。
タイトターンを繰り返す山道は、好きな人には最高のドラテク自慢。
七尾市は港湾のある町、 戦没者 船員の碑もありました。
自然環境を楽しみながら 城跡の駐車場に到着です。


二代目となる 畠山 義忠(よしただ)は、京の都に住み 将軍家の近くでお仕え。
そこに天下を揺るがす波乱の時代、応仁の乱” (1467~1477年)勃発。
焦土と化した京の都を去り、畠山氏の三代目を継承した傷心の義統(よしむね)は
居場所を求め 能登へと帰還します。
文明10年(1478年) 畠山 義統 による能登の直接統治が行なわれました。
史実では、能登 七尾を守護して繁栄していったのです。
山岳地帯を生かした強固で堅牢な七尾城を本拠に代を重ねた畠山氏。
遂には家臣の裏切りと下克上の嵐、越後から上杉謙信の侵攻で衰亡の歴史。
そんな栄華や 侍達の偉功を讃え 私も城址跡への見聞に参りました。

北陸で城と申しますと?
金沢城址公園は有名ですし、奥村助右ヱ門が死守した末森城も能登の羽咋。
そうした歴史を遡る時代を知る手掛かりに、さあ本丸跡に参ります。
攻防に対しては、大自然の要害として敵を寄せ付けぬ山城。
上杉謙信公も 能登攻めの際に絶賛したとか?。
いまや遊歩道は完備され、城の移動路を快適に散歩できます。
鬱蒼とした 杉木立が生い茂りますが、当時は広葉樹も多かったかもしれません。
見事な規模の石垣があります。 土木技術も動員数も凄いのですね。
城の守りの要であり、傾斜や高低差が侵入者を拒む雰囲気が漂います。
杉など、木材は屋敷を建てるマテリアルとして役立ったのでしょう。
調度丸” というのは、武具などの兵器庫にあたる施設がありました。
さらに登ると、標高300メートル付近に広がる本丸の跡地に踏み入ります。
天下に名高い城になったのは、上杉謙信公が包囲した際に感嘆し。
来た道を振り返ると・・ 当時の武者や人々の気配を感じたような?。
本丸と 東西に広がる曲輪の遺構に辿り着きました。
加賀藩の時代には、前田家の藩士も生活したのでしょうか。
さわやか見事な眺望で 七尾湾を眺める
駐車場付近から、急坂のような石段を登るにはキツイですが、いい運動量です。
七尾から半島を一望できる
うっすら 汗をかいた身体に・・ 山肌を吹き上がる風が涼しく心地よい。
前田 慶次郎殿も この眺望を楽しんだのだろうな。
城山神社で参拝です。
災いをなす 感染症が退散いたしますように。 願
多分・・ 私以外に、最近の紹介者はいないであろう・・ 狛犬さん。
ひっそりと 御守りしていました。
さらに 高い位置だな・・。
どうも感染禍以来・・ 誰も登城(笑)?しなくなったのか、雑草がボウボウです。
深夜なら UFO” 呼べそうな神秘の山城です。
樹齢の永い木は、きっと侍たちの文化や栄枯盛衰を見つめてきたのでしょう。
もう城跡しかないからこそ・・
脳内 バーチャルに城址を想像?
運搬の労力は立派ですよね。 巨石が物語る城の建設風景を想像。
撮影後、いまきた帰路で自然に安堵、肺にフィトンチッドを吸い込んでいきます。
お城って シェアリングされる典型でしたから。
地形を切り拓いた城址の設計思想も ある種 サスティナビリティーの賜物。
要塞の痕跡が 天に・・
この規模と本格的な石垣を築き上げた人々の子孫は今も七尾にいるはず?。
戦国時代を経て、新たな武将たちに能登の地も平定されていくのでした。
先述の説明いたしました、二代 畠山 義忠公の詠んだ歌碑があります。
自然石の碑・・ みなさん 読めますか。
野も 山も みんな埋もるる 雪の中に しるしばかりの 杉の村立
冬は・・ 雪深い山中のこと、そんな風に記されています。(ケイ訳)
都も愛する畠山 義忠は、歌詠みなど風雅の分かる人物だったのでしょう。
この駐車場から もう少し道を進んでいけば山を越えていきます。
城山の展望台がありますから、みなさんも見学しましょう(今回は割愛)。
こうしたゲートの奥に展望台があります。
自然のまま、野山の花々は誰も拒まず愛しもせず。
ただ・・ その生を全うするのだろう。
キレイですね。 楽しく散策しながら自然を満喫しました。
杉木立が覆い尽くす山に一礼し 今回の城跡探訪を終えるのでした。
帰路となれば、峠道の下り ワインディングコース満喫。
戦国時代以前の歴史ある ロマンを求めて
いかがでしたか、天を衝く 七尾城の見事さは伝わりましたでしょうか。
能越自動車道の城山インターから間近、国道の470号線から
アプローチするなど、健康な登山道を歩くにも最適です。
天然の要害で護られる 名城は思いがけない発見でいっぱいだ。
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