春日山城といえば、日本百名城に数えられます。


           新潟県上越市といえば、上杉謙信公の居城があった春日山。

           (今頃の高田公園では、上越はす祭りの最中かな)


           記事が遅くなりましたが、はるばる春日山城跡を訪ねて参りました。

           途中、私も加賀藩の密偵(観光客)として歓迎されるなど楽しい一日でした。

           おおっ!謙信様だ
           





    越後の守護たる上杉氏の居城であった春日山城

    現在の直江津駅からは約一里(4キロメートルほど)の距離にあります。





    茶屋の前にある駐車場にクルマを停めて、いざ本丸へと挑戦。

    見上げると謙信公の銅像が凛々しく立っておられます。







    歴女さん…から適当な説明レポなら『殿に代わって打ち首よ!』と念を押されてますので

    今回は、さわやかに汗をかきながら トレッキング気分で一緒に登城しましょう。

    (恐れ入りますが、かなり写真が長くなってます。)

   




    頂上を目指す道に分布する自然の植物、優しい山紫陽花ホタルブクロも咲いて美しい。

    そういえば…ホタルブクロは、桔梗の仲間でしたね。






    こちらは三郎景虎屋敷コースと呼ばれる定番の登り方。

    まずは…三の丸址






    もちろん時代は過ぎ去り、かつての上杉氏が築き上げた栄華の痕跡しかありません。





    ウツボグサ…薬草となる夏枯草(カゴソウ)なんでしょう。

    花穂の形が弓矢を入れる…ウツボ?に似ていますね。





    そして二の丸址










    汗をかきながら険しい道を…勾配は急です。

    確かに厳しい環境で勤めた上杉の武士は足腰が鍛えられています。





    天守閣址へと

    …瞳を閉じて、記憶されている武家に関した映像記録で脳内バーチャルリアリティ。

    可能な限り、かつての春日山城址イメージを再現(想像)してみます。





    遥かに広がる日本海と直江津港が望めます。






    史跡  春日山城址





    ようやく登りきりました。

    ここにあったのですね、上杉謙信公や沢山の武将が執務した本丸。





    本丸址

    お天上”と呼ばれ、標高は180メートルになります。





    山頂から見渡す下界の風景、上越市が広がっています。






    謙信公や…後継者の景勝公、あの直江兼続が眺めた景観に溜息。

    谷風が吹きあがるように涼しい心地にしてくれます。




 
    






    井戸曲輪






    凄いのは、ここに貴重な井戸が掘られていることです。

    お城ですから水は絶対に必要になります。

    廃城されて以来…400年を過ぎても水を湛えている井戸に驚かされますね。






    こうした恵みがなければ春日山城は成立しませんね。

    西方の山々と礫岩の地層で続きながらサイフォン効果で湧き出していると考えられます。

    神秘の恵みですね…いまもシダなどが生い茂り、水が豊富な場所と分かります。






    天然の要害として山の地形を生かしているため石垣よりも防備に優れています。

    重臣の屋敷も周囲に配置されながら本丸を守護しています。





    鐘楼址






    景勝屋敷址






    上杉景勝は、豊臣秀吉の政権下で五大老という地位にありました。

    そして稀代の知将と名高い直江兼続が支えていたのです。







    景勝の屋敷があった場所も自然に還っていました。

    戦国時代も過ぎ…運命は激動、この春日山城での暮らしが一番の幸せだったでしょう。 






    護摩堂






    護摩を焚いて、戦勝や息災を祈祷した場所でした。

    真言密教を信仰していたということですね。






    毘沙門堂址の石碑






    小さな…お堂の秘密。






    のために闘う

    毘沙門天は…四天王の中で北方を守護する多聞天”でもあるそうです。

    悪魔をも滅ぼす降魔である正義の毘沙門天に己の軍をみなして奮い立たせました。






    上杉謙信公が信仰した闘将…毘沙門天

    毘沙門堂に安置されているのは青銅製の尊像(約50センチ)。

    会津そして米沢に移され、嘉永二年(1849年)には火災で被害を受けたり…

    昭和3年に東京美術大学の匠、高村光雲に依頼して修復されました。

    ようやく昭和5年3月に完成して、当時の春日村へ寄進の後に奉安されているそうです。
   




    遂に私も聖なるパワーをいただきました。






    諏訪堂址






    上杉謙信公といえば、生誕は享禄3年1月21日(1530年2月18日)

    亡くなったのは、天正6年3月13日(1578年4月19日)でした。

    己の欲を制し、正義を尊ぶという日本史上で最強の武将でした。

    戒名は、不識院殿真光謙信法印大阿闍梨 …と申されました。


    不識院址





    春日山には見事な赤松が揃い天に届きそうでした。
    





    城は緑の季節、戦国時代の城砦があったなど想像もつきません。






    直江山城守宅址  

    …そうです、家老の直江兼続の屋敷跡地なのでした。







    虎口

    城ならば玄関とも呼べる位置に配置される構造です。

    攻められた際に、軍勢を直進させないように屈曲させています。






    空堀…は、地形の凹みを作り敵の行く手を遮る水の無い堀のよう。

    城にも敵の侵攻を防ぐために工夫された痕跡があります。









    平時は渡る橋が設けられていたそうです。

    通路としての要所を非常時に断ち切り侵入を防ぐポイントが空堀”です。






    天守のある頂上の主要部から…山を降ります。





    千貫門

    春日山城の古図面には必ず記載されている門なのですが、もちろん今は存在しません。






    地元の人々が楽しむ健康のためにもいいトレッキングコースのようですね。

    道端に…オオマムシ草が咲いていました。

    マムシが鎌首を上げたようにも見えることから…など諸説あります。






    偏球形をした地下茎は小さなイモに似ていますが有毒です。

    誤って食べれば胃腸障害から麻痺など恐い症状で苦しみます。

    苦労して毒抜きすれば食べられるともいいますが?危険ですから勧められません。

    茎根を煎じると生薬の一種で、痰がきれにくい際には効果があるそうです。








    麓にある上杉神社は、山形県米沢市の上杉神社から分霊した上杉謙信命を祀ります。

    明治20年(1887年)に発起したのは石碑に刻まれた旧高田藩士の小川澄晴でした。


    創祀されたのは100年以上も前の明治34年(1901年)。

    そして神社には明治40年に上杉伯爵家から伯爵家伝来の品や宝物も奉納されています。

    (小川澄晴といえば、童話作家である小川未明の父です。)










    御屋敷

    この先には、かなり広い郭がありました。 後世の城主の邸があったのでしょう。





    大戦時の兵器が境内に飾られていました。 






   上杉神社 






   心を込めて お参りしました。





    以前のブログ記事です。

    上杉謙信と春日山神社 グッド! クリック





    境内には、こんなに可愛い石造りの像が待っているんですよ。





    ふりかえる






    天文22年(1553年)と永禄2年(1559年)

    二度にわたり謙信公は上洛しています。天皇や将軍にも謁見して信頼を得ていました。

    欲得で動く現代の政治家が一番に見習わないといけない高潔な人物ですね。







    さて、頂上まで登って上杉謙信公の信念に触れられた気がします。

    強く美しく49歳で…この世を去った稀代の戦国武将は、正義という概念を貫きました。

    凡庸な私には想像もできない苛烈な時代を生きた人々の精神には…

    いまの世界情勢に置かれた日本人の求める解決策があるようだと思いました。





    いまこそ謙信公の眼差しの先にある未来へと




    出会った皆様ありがとうございました。





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