戦国時代…最強の智将であり、畏れず義に生きた者。

欲望を律して神仏に帰依しながら、己の信念に忠実に生きた慈悲深いカリスマ。


あの春日山城に拠点を置いた武将上杉謙信公を奉る神社がございます。

なんとも美々しい生き様ではないでしょうか。



さあ、正しき者よ来たれ、熱き血よ燃えろ!!。

いざ参らん、春日山神社へ。









苦難の時代、北陸…越後の地にありながら豊富な金などの資源を武器にした結束と統治。

その頂点とも言える繁栄を築いたのは謙信公なのでした。

世俗を超越した生涯…妻も娶らず、一心に祈り…武を磨き、徳の高きこと並ぶ者なし。

越後は、あたかも奥州に花咲いた藤原氏のような仏法の花咲く里でございました。











川中島の合戦や数々の武勇で名を馳せる超人の如き彼。

偉大なる上杉謙信公も天正6年(1578年)、この越後の地…春日山城で世を去られた。

ご存じの通り、屈強な上杉家は天下人が太閤秀吉の時代、後継者は上杉景勝でした。

当初、謙信公の遺骸は春日城内の不識庵で奉られておりましたが、上杉家も会津に移り太閤秀吉の時代を生きました。

そして関ヶ原の戦にて天下は三度鳴動し、慶長6年(1601年)会津を去り…山形の米沢へ移封されました。

直江兼続など名将に受け継がれた義の志とともに、上杉謙信が奉られた祠堂が米沢に遷されたのです。

江戸時代、賢者として名高い上杉鷹山(養生訓ですね)は米沢城の奥御殿跡地に社殿を遷座したことも。











ジオポリテークの手本の様な、守護に山岳地形を有効に生かした天然の要害…春日山城。

いまでは城郭は残っていませんが…


この斜面は、急激なアプローチアングルの深さで敵を寄せ付けません。

永き時を経て、謙信公の魂は越後の地に再び戻られたのです。




再び…新潟県上越市に、歴史の彼方より勇者の帰還を成し遂げたのは、

清廉なる遺徳を讃えた小川澄晴らの尽力で人々が発起した明治20年(1887年)に遡ります。

(小川澄晴の子は、後の世に童話作家となった小川未明です。)


その御霊を祭神として創祀されましたのは明治34年(1901年)のことでした。










石段を登るのは、ワールドカップの緒戦の如き…快い息を弾ませながら境内へと一歩づつ。

噂以上の急斜面なので、振り返ると~目眩がしそうですが。

亡き謙信公なら…泣き言を言う我々に、柔らかく武士の正義をお話しくださることでしょう。



弱者を守るということは己が強いことではなく…

守りたい誰かのために強くあろうという強固なまでの意志を失わぬこと。

肉体の強さなどという価値観や結果は二次的なことであると。





日本のサッカー代表選手たちにも、そんな自由な気持ちでプレーさせてあげたかった。

一国の代表というプレッシャーは、若い彼等には重圧だったでしょう。

その疾風怒濤! 風のように走りボールの先にある夢を追う…ありのままの気持ちで。

これから後半は実力で蹴散らすよりも風になれサムライBLUE!!。












ようやく辿り着いた境内の清々しい風に汗がひいていきます(気持ちいい)。



以前、放送された妻夫木聡さん主演のNHK大河ドラマ『天地人』の人気で、より多くの観光客が訪れたことでしょう。

その名残のようにお土産屋さんには、愉快なキャラクターグッズもありますね。

よく整えられた清潔感が、信玄公が祀られている神社に相応しい厳かな雰囲気を漂わす。

人から人へ伝えられる意志こそが最大の遺産という訳ですね。

若者よ潔く清らかであれ。















この春日山神社にも俗世から境内という結界を守るために…

狛犬も…厳粛な場所の守りらしく風雪に負けず、苔のつき方にまで風格があります。











毘沙門天の加護を受けていると強く信じた上杉謙信公。

それは己が抱く正義の理念に最も近き神仏であったでしょう。

いかなる理由があろうと戦(いくさ)は殺戮であり悪なのです。

しかしながら望まぬ生存競争の様に巻き込まれた百姓や武士は運命共同体でした。

逃れられない時代を背景に、民衆が求め信じたのは神々しいまでのリーダー。




見るからに無骨で力強いイメージの伝統的なシルエットをした狛犬は、凍てつく星の季節も休むことはない。

厳しい冬の越後の民がそうであるように、川中島で戦った兵士たちも領地や家族を守る為に立ち上がり

汗まみれ、空腹でも直向きな想いを掲げて立ち向かっていった勇敢な者達の心まで宿るようです。











小川澄晴は、そうした風土と名も無き百姓までが足軽として戦に死力を尽くした哀しみを知る人。

上杉謙信の遺徳は、それを慕う人々の記録から後世の文人…武官などに与えた影響が大きい。



一心に神仏に祈る慈悲の人、されど戦場では雷鳴のような剛胆さと沈着冷静で機略縦横。

上杉謙信公と申せば、電撃的な奇襲攻撃で敵陣を撃破する勇猛果敢さで知られます。

戦(いくさ)は勢いでもあり怒濤の流れのようです。

天性のセンスで敵の本分を見抜き、武田信玄の陣に一騎駆けで斬り込んだ大胆さ。

蛮勇などではなく、あくまでも希有の感覚で相手の心底までも洞察していたのでしょうか。

封建時代の身分制度や記録すら定かでない時代とはいえ、人物のスケールが想像できます。










神明造りの鳥居と本殿に、ゆっくりと歩いていきます。

参拝する方達も遠方から来られてますね(皆さんクルマのナンバーが全国区?)













なんだか、歴女?の皆さんのように戦国時代を語りましてすみません。

(私なんて口先だけ^^)

境内は~いたって平和そのものなんですよ。

なにやら可愛いベンチなど、石造りのユーモアたっぷりに迎えてくれます。










ネコネコや~クマクマたん。(誰の作なのでしょうか。)

愛らしくて、座るの~もったいない。

実は、かなり沢山の不思議キャラがいるんですよ境内には?。











あくまでも上杉謙信公の祀られた聖地だからこそ、ミスマッチじゃありません。

私が思うところ、大河ドラマなどでブレイクした頃には、参拝客の皆様を和ませようと設置したのでは。

気をとり直して、本殿の守護を仰せつかる狛犬兄弟(?)きっと近年、新しく奉納された物ですね。











おお、初夏の風にはためく~のぼり  向かい合う雀の家紋。

確かに越後の上杉家です。


(はてな?  なにやら奇妙な…動物が写っているようですけれど。後半にご期待^^)














どこか優雅さを感じさせる顔立ちをした小綺麗な姿。

子を前脚で押さえる狛犬のポージング、このまとまりは明らかに現代の意匠です。


吽…ですね。












もう一方は、前脚で鞠を捉えた姿勢。

表情が豊かですね…どちらも?なんとなく優しく女性的な感じを受けます。

阿…ですね。














春日山神社の社殿は、古式ゆかしい伊勢神宮のような神明造り。

最古の神社は…建築様式は同じですから。

(大相撲で、両国国技館にも土俵上に吊された屋根なんかも神明造)

厳しい新潟地方の風雨に耐えた神社は、大晦日~新年や祭事には来訪者を迎えてくれます。










もちろん拝礼して、皆さんの健康と幸せも祈ってまいりましたからね。













私が自分の為に祈りましたのは、無論…武運長久です。


なぜって?それは愛する者を命を賭してでも護り続けたいからです。

闘うのは人生そのもの、ここでは…そんな青雲の志を思い出してしまいます。

平和な時代といえるでしょうか、安穏としていてゴールが決められるものか!。


いつだって、がむしゃらでいい。

謙信公…我が願いを叶えたまえ!!










  さて、風雲急を告げる後半は…  



    To be continued.   













   
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