南北朝時代に遡りますが、神社の御祭神となりますのは、歌人の『宗良親王』です。
南北朝時代ですから 現在から650年ほど前の動乱の最中に…遠州の地に訪れられました。
征東将軍となる一品中務卿(いっぽんなかつかさきょう)を名乗られ井伊谷の地を本拠にされます。
半世紀に渡る間、吉野朝方に尽力し幾度も戦陣を守られたのでした。
宗良親王の由緒は、後醍醐天皇の第四王子であらせられるそうです。
そうすると…井伊家は、南朝の側に味方をしていたのですね。
ご幼少に出家されて仏門で学び、京都の比叡山天台座主とまでなられた宗良親王
戦乱の世に対し 還俗して宗良親王”と名乗られ戦乱に身をおくこととなりました。
秀でた才能により和歌を嗜み、艱難辛苦の人生でも諦めず 多くの和歌を遺されていました。
晩年に…懐かしい井伊谷の地を訪ねられたのは、73歳の夏。
元中 2年 8月 宗良親王 は、和歌の歌聖として穏やかに御逝去されてのでした。








