もしや  竜宮小僧のお導き?

    ご本尊の虚空蔵菩薩 そして直虎さまたちのパワーをありがとう。
    和尚さんの南渓瑞聞さまから説法を頂いたような満足感で龍潭寺の見学も終了。
 
    涼しい木立の小径を通り抜け、お隣りにある 井伊谷宮 に参拝することになりました。
 まさに距離はご近所感覚? この歴史スポットは間近にあります。
 

  南北朝時代に遡りますが、神社の御祭神となりますのは、歌人の『宗良親王』です。

 
  南北朝時代ですから 現在から650年ほど前の動乱の最中に…遠州の地に訪れられました。
  征東将軍となる一品中務卿(いっぽんなかつかさきょう)を名乗られ井伊谷の地を本拠にされます。
  半世紀に渡る間、吉野朝方に尽力し幾度も戦陣を守られたのでした。
 
  宗良親王の由緒は、後醍醐天皇の第四王子であらせられるそうです。

           そうすると…井伊家は、南朝の側に味方をしていたのですね。

  ご幼少に出家されて仏門で学び、京都の比叡山天台座主とまでなられた宗良親王
  戦乱の世に対し 還俗して宗良親王”と名乗られ戦乱に身をおくこととなりました。
  秀でた才能により和歌を嗜み、艱難辛苦の人生でも諦めず 多くの和歌を遺されていました。
 
  晩年に…懐かしい井伊谷の地を訪ねられたのは、73歳の夏。
  元中 2年 8月  宗良親王 は、和歌の歌聖として穏やかに御逝去されてのでした。

           ここにもまた樹齢が数世紀を越えた御神木が歴史の証人。

           衆生のため過酷な戦いの日々を送られた親王
           遠江、駿河、三河、甲斐を巡り、さらに信濃、越後、上野、美濃までも
           各地の宮で尊称とされ 宗良親王 の足跡を知ることが出来ます。

 井伊谷(いいのや)の地に、遥かに遠い昔から人々が織り成す歴史の舞台として伝わるのでした。

 

貴女の知らない 浜松の物語りとなりました。

 

 

 

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