野尻湖へ ナウマンゾウ博物館を訪ねて 2014
ほんとに昨年は何度も長野県にお邪魔しました。
野尻湖にも数回訪れて…遂にナウマンゾウ博物館の見学もできました。
昨年5月の来訪紀

一部の風景写真は前回までの…
授業で習った野尻湖”に行こう!
長野県北部にある野尻湖の一帯は、旧石器時代からの遺跡が40箇所もあります。
(長野県上水内郡信濃町~遺跡群の宝庫)
なかでも野尻湖の周辺は3万3000年前…野生動物の繁殖地だったのです。
ナウマンゾウは最大級の哺乳動物として君臨していました。
そして古代の狩人である『野尻湖人』が住むサンクチュアリでもありました。
現在の発掘で解明された遺跡エリアは、立ヶ鼻遺跡の南方に位置する丘陵地までに渡る
東西が5km~南北に7km程が確認されているのです。
1948年(昭和23年)立ヶ鼻遺跡で発掘された大きな石ころ?は草食動物の臼歯
まったくの偶然、湖畔にあった旅館のご主人が大発見。
それは解析の結果ナウマンゾウの上顎の第三臼歯と判明しました。
以後、大きな水源と湿地帯の環境で人類が狩猟生活を営む可能性にも言及。
もちろん考古学的な見解から発掘調査は進められ、旧石器のほかに骨角器まで出土。
かなりの数の人類がゾウやオオツノシカなどを狩猟する生活の場としていたのです。
各学会を越えて生物学や人類学などの総合的な研究が昇華したのです。
この博物館は、そうした発掘の足跡を知るためにあります。
そして…これからも
季節は秋の足音が近付く頃、ようやく内部を拝見できることになりました。
ナウマンゾウの復元像は…しっかりと大きな脚で立っています。
当時は狩猟の対象であり、捕食されるために解体されたのですが…
体長は2,3~3メートル以内のゾウが野尻湖周辺では多く発掘されます。
発掘された個体は、一部が失われ全ての骨格が揃わないものもありますね…
アフリカなど乾燥地帯の肉食獣は、草食動物を捕獲すると血で潤う内臓から食べます。
臓腑はコラーゲンも豊富で栄養価が高く、貴重な水分(血液)などが豊潤な部位でした。
現代人の肉食発想とは多少~違うかもしれませんね。
野尻湖人も捕食した後に動物の象牙…骨格や皮などを利用したりしていたでしょう。
一頭を倒せば当分の食糧を確保できた訳です。
生きる糧”として狩られる大型獣。
例えば、同時期まで大陸に生息したマンモスなどは生涯の出産数は約一頭という説も。
比較すると人間同様に子育ては難しいでしょう。
哺乳動物は人間が大量にタンパク質を得るために捕食され続けましたが遂には絶滅…
それは人類繁栄の犠牲となる環境破壊としても最古の事例かもしれません。
大きな象牙”ですね。
非力な人間は、そう簡単には捕獲できません。
幾日も交代で追いかけて休みなく襲いかかり疲労させ…遂には仕留めていたでしょう。
この美しい湖沼地帯で追い詰められたナウマンゾウ達は最期を迎えました。
太古の狩人にとっても憧憬であり、能力を誇示するために飾られたかもしれません。
我々の想像を掻き立てます。
ナウマンゾウの大型の頭蓋骨、どの部位も凄いサイズですね。
そういえばマンモスに関する逸話、 欧州では度々マンモスの大腿部などの骨格が出土。
人々は家畜などより巨大な骨を前に…神話の巨人の物だと信じたそうです。
神話や伝説の異界の生命体の逸話は、寓話でなどなく…こうした出土で生まれたのかも?
人類…民族が永く無明の時代を生き抜いてきているのでした。
お馴染みの臼歯ですね。 さすがにたくさんあります。
つまり乱獲の証なのですけれど
(お肉大好き~女子のルーツなど、日本民族の伝統?は大昔からでしょう^^)
そういえば南の海で潜っていると、よく似たカタチの珊瑚がありますよね(笑)。
こんな立派な『ヘラジカ』も彼らの狩猟の対象でした。
氷河時代の過ぎた時代から豊かな植物相の中で大型化していった哺乳動物の姿。
森の主…神のように畏怖の念で讃えながらも主食とされたでしょう。
旧石器時代の野尻湖人から縄文人に繋がる狩猟民族の系譜。
まさに日本民族の奔流は狩人なのですね!。
高い運動能力と判断力こそが眠れる能力、リアルアスリート倭民族。
原始人類も含めて、まだ見知らぬ種族が眠っているかも?
こちらは『オオツノシカ』の頭部です。
大陸では怖ろしいほど巨大な鹿の個体も語り伝えられているそうです。
いまやこんなに大きな鹿は極北のツンドラ地帯にしかいないでしょうか。
ノウサギさん、これはもう現在と大差ない動物剥製です。
バンビーノ? 鹿の剥製。
水鳥ですね。 ヒシクイ(マガンの仲間)ですよ。
クマの剥製。 今回…私は意外なことに気づきました。
この獣の剥製たちを観察すると雰囲気が一致していると思いませんか?。
製作者のセンス、美観なのでしょうけれど…みんな表情の目元が悲しげなんですよね。
おそらく製作者が同じ人なのではないでしょうか(確証はありません)。
気になるポイントですよ。
貴女が来館したら質問してみてください。
凍てつく氷河時代から温暖な気象の時代へ
進化した人類は生存のために動物を狩り、植物の採集をして生き抜いたのです。
発掘状況を再現。
起源は遥かな大昔ですが、地球上で大繁栄した大型の哺乳動物がゾウ。
ナウマンゾウは野尻湖で発掘された個体の調査で寒冷期から棲息。
やや小型のゾウであるナウマンゾウは温暖な気候から広く分布してます。
私たちのよく知る姿に進化した後ナウマンゾウは5~60万年前から
マンモスは300万年前からの旧い種族の姿を認識しているのです。
(研究の結果で~これからも年代は変わるでしょうか?)
世界では有史以降の時代にも目撃されて伝説化していますね。
(繁栄の終わり…生存して貴重種として目撃されたのでしょう。)
日本列島では順序的に、マンモスからナウマンゾウに繁殖域が変わった。
2万年ともいわれる旧石器時代には、人間が暮らし始めて…
ゾウたち野生動物の楽園は終焉を迎えていくのでしょう。
獣は獲物…恐い肉食生物の頂点は、我々人間なのですね。
ソウギョです。 野尻湖に生息する大きな魚類。
さわってみよう
約3万年前以降の野尻湖周辺では、実に多くの遺跡があり発掘されています。
後にナウマンゾウを駆逐し滅ぼしてしまった野尻湖人。
豊かな暮らしで繁栄し、各地から人々が移動してきていたとする説もあります。
水も湛えた湖沼地帯なので集落も大型化したでしょう。
皆さんの直系である祖先が暮らした場所かもしれません。
石器のバリエーションも様々。
ナウマン博士(独)は、ナウマンゾウの名付け親。
かつて大陸から原始の日本列島に歩行して渡ってきたのです。
なによりもアフリカゾウやインドゾウとは種類が違うということ。
さあ、闇を照らせ! 化石は語ります…。
野尻湖人の食べていた野生の木の実。 豊かな植物相も魅力だったでしょうね。
確かに過酷な生存競争ではあります。
もしかしたら滅ぶのは野尻湖人だったかもしれません。
野尻湖は、歴史の箱舟のように螺旋型をした人間と動物の絆を伝えてくれます。
それでは またお逢いしましょう。