ようやく総選挙も終わりましたね。

結果は自民党の歴史的な大勝利ということでした。

国の歴史には必ずターニングポイントがあるものです。

貴女が予測する通りに世界は動いていますか。


こうして日本の社会に吹く風は…変わるのでしょうか…それとも?








     国立歴史民俗博物館  グッド! くりっく  桜



壮麗な都が生まれ…雅楽の音色が流れる京の地に貴族の文化は咲き誇りました。









仏像は700年も昔(建冶3年 1277年)の鎌倉時代に鋳造されたアイアンマン?…鉄の仏。

丈夫なマテリアルとして耐久性や硬度で優り、頻繁に製鉄される鉄鉱石。

(鋳物師…いもじ?という職人たちの製作)

自らの国を蹴散らして侵略した軍勢の武具であり、その強さと驚異が体験とされる。

堅牢な『鉄』への畏れる心もまた…信仰心と相似したものではなかったか?


鉄の時代』はイノベーションの象徴として我々の現代へ伏線として…社会に浸透して行きます。


渡来した仏教、大陸の技術の『』とて、酸化すると腐食し錆びて朽ちていく運命。

未来永劫に救世の心を抱き…求めながら人々は信心に縋るのでした。









蓮台の部分は、260年前に修復した新しい物だそうです。

なんて穏やかな表情

鋳造薬師如来坐像











しかし、博物館は広い。

私は、どちらかと言えば!美術館でも気に入った物を重点的に観るタイプ。

博物館を解説すると私見が多すぎるでしょうから、客観的に紹介しましょう。

アトランダムになるので~多少は時代順になっていません。



曽我物語』  これは挿絵版画入りです(古活字版なのですが)。

一枚の絵として構成するのに、10個に分かれた絵活字を組み合わせています。

人物なら人物、遠景なら遠景という風に、各パートごとは絵活字(字ではない絵の版字)。

あらためて面白い組み合わせで描かれていますよ。











海上交通の発達から見れば、古来…瀬戸内も頻繁に航行する海域。

そこで港湾を結ぶ船舶も様々な技術を用いて運用されました。

荘園制度の時代には、海上交通で運ばれる物品も増加していきます。










大航海時代』と日本へ迫る欧州勢力

15~16世紀の世界情勢は、スペインやポルトガルなどの強国が海外征服事業。

この極東の地を目指していました。

ローマ教皇は発見した新天地での諸権威や布教保護の特権を認めていました。

トルデシーリヤス条約(15世紀末)は、その最たるもの。

両国が世界を分割支配する申し合わせです。

それ故に16世紀に利権を巡り極東でも対立しました。


戦国の動乱期にポルトガルと接触して銃器(種子島)技術も渡来しています。

織田や豊臣の世は、戦術に火縄銃が導入されて以来…壮絶な大量死を招いて激化。

そして布教されたポルトガルからのキリスト教は後に弾圧の対象となるのです。



知らされた己の矮小さ、誰もが夢見た世界の広さ…

歴史の中では、幾度もの大陸からの干渉や交易のたびに『船』は進化していきました。

船舶の建造技術や造船規模も次第に大型化していきます。










そうして民の暮らしはあり…













また望まぬ戦乱に呑み込まれて武装は強化されていく。

また戦(いくさ)の勝利祈願などに信仰は影を落としていことも…

叡山の焼き討ちなど、信長が政治への宗教勢力の過干渉を退けようとする武力衝突も激化。

どこまでも陰惨な血と鉄の時代に終止符が打たれるまで数世紀を要したのです。











長閑な平和を甘受するためには、その何倍もの流血がありました。








炸薬の爆発燃焼により轟音とともに弾丸を撃ち出す兵器。







いまやJAXAの宇宙開発基地がある種子島…。


大航海時代があるからこそ遥かな東方にもたらされた外国の文物。

しかも銃器は、当時の戦国時代に於いては求められた必然の最強アイテムでした。

なによりも日本の職工は器用に銃の構造を理解し模倣、それどころか高度にアップグレード。











戦国という背景で、有効な戦力を血眼で探していた大名などが凶器に育てたのです。

いつの世も武器の発達と普及に戦争は好条件となっていくのです。

当時の日本の銃器保有数は、世界的に見ても驚異的だったといいますね。


また、銃の撃ち方も武道のように鍛錬されます。(奉納絵馬)











御朱印船』の1/10模型です。

寛永11年(1634年)の夏、末次氏により長崎清水寺に奉納されていた絵馬を基に

唐船図巻』に収録されていた暹羅(シャム)船や寧波(ニンポー)船の詳細図を加え

その時代の欧州にあるガレオン船などの造船技術を考慮して再現したそうです。











Dutch ship

オランダの『スヒップ』の精巧な1/24模型(910トン相当)

スヒップは英語のシップ(船)なんです。ガレオン船は欧州の船舶の原型と言えますが

オランダは国力を賭けた海外征服事業の原動力にすべく開発していきました。

地中海に多いカラック船の…ずんぐりした姿を超えて痩身でスピードの出る船舶を造ります。

優れた航海術で、17世紀半ばには世界の海を目指す野心の航海も本格化。

こうして日本にまで到達した彼等の先進技術には日本の船舶は遠く及びません。















彼らは世界を地球”として捉えていました『地球儀』です。

インド洋を越えて東アジア領域までも描かれた地球儀に驚かされます。

人工衛星もない時代、測量しながら…世界の海と大陸が探検されていったのですね。

西洋の自然科学者たちは目覚しい進歩を遂げていたのでした。











花樹草花蒔絵螺鈿洋櫃

西洋ではJAPAN(ジャパン)と呼称される漆の文化は日本の伝統工芸。

布教で渡来した宣教師などからの依頼で日本の職工が腕を振るった特注品ですね。

こうした南蛮漆器は主にロザリオや書見台の正面にはイエスのイニシャルであるIHSの文字。

そして聖なるキリスト教の画を納めておく厨子などが作られて貿易品として輸出されています。

写真の洋櫃は蓋がドーム形状をした一般的な櫃、技法の平蒔絵や螺鈿は豪華です。

緻密な幾何学模様に和風の草花が描かれ、現代でも欧州の博物館などで実物が残っています。









花鳥螺鈿抽斗付平櫃

江戸時代初期~1635~45年にかけたオランダの東インド会社に残された記録によりますと、

輸出されていた櫃の蓋がドーム状だったものを変化させて四角い平らな蓋になります。

あまりに見事な漆塗り、螺鈿の豪華さに施錠する金具の造りも。

向かい鶴や草花など縁にあしらう更紗模様などまで、受注した職人のセンスが昇華しています。











聖観音立像』ですね。

本物は国宝ですから、奈良市にある薬師寺東院堂に保管されています。


仏教徒は、英語ではブッディスト~と呼べばいいのでしょうか?。

まさに渡来した日本で仏教美術は究極まで追求されて結晶となったのです。

単に技術ばかりか心においても日本は深める…深化の国でした。


そんな日本でヨーロッパから渡来したキリスト教の果たした影響も大きい。

この国は実に多面的な要素に彩られた歴史を歩んでいます。  未来へ…












仏教で、信仰のイメージを具現化するには?

まず視覚化です。 絵に描く、または仏像を鋳造するか、樹木や磐に彫っていく。

エジプトのピラミッドや世界の遺跡のように岩石に彫る模様や仏は風化にも耐える…

数百年…数千年後に遺るのは、こうした野の彫像なのでしょうか。


私はツーリングに行くと、よくお地蔵さんなどに^^野の花をお供えします。













信仰に関わらず、人の生活が苦難に見舞われる昔の人々が願い彫った

そうした時代の石仏には…込められた悲願も信じがたいほど強かったはず。

飽食の時代、平和を謳歌しながら乱れたファッション感覚の信仰とは違うでしょう。

まさしく先人は、己の命を刻んだのです。












桂女(かつらめ)』

中世の人々の暮らしから… 近世の京都などで見られました。

かつらめ(桂女)というのは、大堰川で獲れた鮎を売っていた女性のことでした。

着ていた小袖は辻が花、戦の陣や…貴族などの邸に宴があると姿を表します。











商人』は歩きます…ひたすら愚直に、千駄櫃(せんだびつ)を背負う商人の姿です。

商工業が行なわれる、売り歩いた商人の姿といえば昔の絵巻や書に残されます。

千駄櫃を包むのは油単という布。 肩当てのある連雀(れんじゃく)という紐で背負います。

中世の商人のスタイルは手に杖を持ち、腰に短めの刀を差した姿でした。

千駄櫃に商品を入れて…暑い夏も…厳寒の冬も暮らしを支えてくれたのです。








暮らしていく、生きていくことの大切さを歴史に見直す。






松囃子(まつばやし)』

これからの季節、正月行事の付きものなら松囃子の装束。

おめでたい詞を唱えながら小松を手に持ちます。 貴人の邸をまわるのでした。

次第に風流な趣向の仮装など、芸能の猿楽者へと発展しています。


こうした芸能のほか、武家の公式儀礼として吉凶を卜したり邪気を祓う的始(まとはじめ)や

鉾を警護する祇園会…そして賀茂祭(葵祭り)など笛や鼓の音が聞こえてきそうですね。









上鴨川住吉社翁能面

兵庫県の加東郡社町上鴨川にある住吉神社なども秋祭りに奉納されます翁舞。

王の舞(リョンサン)、獅子、田楽から高足、相撲に至る若衆などによる伝承の歴史。










この不思議な飾り物は?『三尊仏』です。

三尊仏を魚介類で表わした見世物として再現した作り物。

貝殻で頭を形作り、胴体を干物の飛び魚。 そうした三体を吸い物膳に飾ります。

光背の代わりは…なんと干鱈という、面白い民衆文化の遊び心といった風情?。










大方儀(だいほうぎ)』

徳川幕府の時代。治世においては重要な測量の技術。

近代的な測量儀を用いながら正確な地図の作成なども行なわれています。

水平方位から上下角を計測する真鍮製の測量儀は山の頂上から谷間の深さなどを測れました。

また上下角を測る象限儀(しょうげんぎ)もありました。












大方儀の詳細な説明書ですね。









軽業(かるわざ)』

江戸時代のアクロバティックなパフォーマンス、その身体能力や技は凄すぎです。

ジョン・ウー監督も真っ青…『早竹虎吉』は軽業界のミラクルマスターです。

当時、拠点とした大阪から江戸に進出すると全国に巡業していきました。

なんと慶応3年(1867年)には渡米するという離れ業!!で大喝采。

惜しくも翌年にニューヨークにて客死しておられます。










この展示モデルは、虎吉の得意技であった『曲差し(きょくざし)』の様子。

人間が肩や足で支える竹竿の先端で披露する子供の早変わりや軽業です。

バランス感覚と身軽さウルトラC。












旅は道連れ世は情け

東海道いせみち』と記された石の道標ですね。

いまや新東名高速までありますが、いつの世も道路は流通の要所を繋ぐもの。

当時の民衆が旅といえば徒歩によるもの…










伊勢神宮へ詣でる庶民の旅といえば『おかげ参り』。

主に宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)などが有名です。


大流行したピーク時の文政には460万人を越え、町村から集団での参詣が目立ちました。

出身地の名を書いた笠を被り、ひしゃくや旗には…おかげ”の文字が書かれた。

伊勢神宮への街道筋では、にぎり飯などで労う人もいたそうです。








庚申の…こうした道標もありました。











貴女の地元、神社などにもありませんか?『絵馬』はストーリーボード。

昔の事々を克明に描いた絵馬”は貴重なんですよね。














これは、『大名行列』の説明です。 長大な列で移動させられた武家社会の威厳と様式美。

細かな役割や作法が厳しかったのですね(かかる経費も莫大でした)。


いまに…その様子を残す祭もあるのですね。 岡山県新見市の土下座まつり。









幕府の体制に刃向かう者、潜在的な脅威を払拭する為に考えられた方法論。

大名の蓄えや資金力を定期的に消耗させて謀反の防止策を兼ねています。







しかも御上の威光を民衆に刷り込めるという一石二鳥のデモンストレーション。

もちろん、大名行列を遮り~乱す者は無礼討ち!








横切っても許されたのは、『産婆さん』だけでした。生まれくる命に立ち会う仕事は例外です。








諸国への往来は経済にもプラス。 江戸時代も後期となると、旅に出る人間も増えました。

それによって街道筋では、旅人たちを泊める旅籠が増えていきます。

ところが…飯盛女を置いている宿、一人旅だと宿泊を断られたりして難儀するケースもあり

旅人も道中に安心して泊まれるお宿探しには一苦労しました。



天保元年(1830年)のこと、大坂が講元となる、京都や江戸を世話方にした講”が発足。

それが世に言う『三都講』です。 

さらに安政2年(1855)に入ると、『東講』を江戸で結成していきました。










旅籠には御上からの大事な『鑑札』などが…

ここなら安心の正規登録ってことですか。 そこには目印となる看板をかけています。

全国に点在した主要街道筋でも特に優良な旅籠…商いの誠実な宿を指定していました。

旅人は渡されていた所定の鑑札”を持って、宿泊時に提示するのです。








東海道にも多くの宿場町が旅人の往来で栄えていました。

旅籠(はたご)は宿泊施設、館内に現れた時代劇のセットみたい。

障子越しに、女中さんが御膳を運ぶ影がいいですよね。











からくり

永く海外との外交を隔てていた江戸の幕府により、日本は極度のガラパゴス化が進みます。

そんな中であろうと、人々の知の欲求は高まり続けました。

和の科学とも言える…算術や天文観測そして…からくり



これは文楽の頭(かしら)ですね。

からくり仕掛けで瞬時に形相が変わるのですが、この技術を『がぶ』といいますね。

民衆は人間の悲哀を文楽や人形浄瑠璃、芝居などで楽しむ町民の文化が花咲きました。











ご存知の『お茶運び人形』ですね。

ご覧の通り着物を外せば木製のからくり構造が一目瞭然です。


キティちゃん…とか、ふなっし~でも外観をコンバートして作れそうですね^^。









昆虫を観察する目もファーブル以上です。







江戸のサイエンスは滅びず

とても貴重な初期の顕微鏡”による観察は、そう…雪の結晶です。


地球上には遠い宇宙を視る目があります。 それが天文学なのですから。

あまりに高価であった望遠鏡を使えるなんて素晴らしい前進だったのです。

月面の詳細な観測記録も丁寧にまとめられています。

江戸時代は、光害も皆無でしたから夜空も素晴らしく鮮明に見えたことでしょう。

いまの東京とは別世界のようでした。









この時代は、国内の医学も着実に進歩していこうと…もがいていました。

た~へるあなとみあ (西洋に学べ)『解体新書









自然のパワーを生かしてきた和のテクノロジー

実は当時のアジアでも最大級の人口密度の都市だったビッグシティ^^江戸八百八町。


大部分の家屋や寺社仏閣も木材や紙を資材に造られている日本家屋ですね。

食糧自給も近辺の生産農家と密接な関係で賄われるエコロジーが主体。


生活での残飯などから排泄物~廃物は畑作の有機肥料になるサイクルです。

住民は徹底した菜食中心、もちろん植物は太陽光線と水などを生かしていました。

みごとに理に叶った自然と太陽エネルギー利用の都市生活が行われていたんですよ。








テクノロジーならぬ 『江戸のろじ~


万物への探求心、科学の進歩は歴史を加速していく最大の推進力だったといえます。


さあ、みなさんが目指すべき方向は?








知りたいチカラ!!





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