もうボクらは地球人なのですから



  国立歴史民俗博物館は千葉県の佐倉市にあります。


  しばらく間隙ができてしまいましたが、続きをご覧くださいね。


  私は縄文から弥生時代など、古代に興味が強いので満足度が高い見学でした。

  でも、展示コースごとに歴史の様々な側面を知る小さな旅は…これから。










     国立歴史民俗博物館  グッド! くりっく




  グッズの楽しさは最高です(これ、名物お菓子のドラ焼きなんです。)

  いろいろありますが、また埴輪”にちなんだものを手に入れました。








まだまだ、日本の倭人に関する謎の遺跡でいっぱいです。

来年の国内…またしても驚かされる新しい遺跡や土偶の出土が予想されます。

縄文人の造形こそ私たちの精神文化のルーツです。









青銅器が渡来し、技術供与で日本列島の鉱床から得た銅資源をもとに銅器が広がり

石器か木材、土器などしか材料を知らない倭人が金属器を手にしました。

貴重な銅鏡、銅鐸から銅矛など様々な物が制作されていきます。

初期には貢ぎ物として交易された大陸伝来のデザインでした。

卑弥呼へと魏の皇帝が銅鏡百枚を下賜しているという魏志倭人伝の記録もみられ…

4世紀以降、次第に三角縁神獣鏡など高度な製法の銅鏡までもが独自に製造されます。








しかし、朝鮮半島経由で進軍してきた未知の勢力からの侵略行為が縄文以来の倭文化を蹴散らしていくのでした。

金属器とはいえ、銅器の硬度は侵略する渡来人の軍勢や強力な鉄器には及びません。

当時、最も大きな革新となるイノベーションだったのです。

武装し高度に組織化された神武の東征に、古代の信仰や民族は駆逐されていきました。

鉄の鎧冑は渡来人の武装を表します。

大和朝廷の成立で、蹂躙された倭人も兵力に取り込まれ同じ武装で他の縄文人を攻める。



元来が狩猟民族の古代倭の民、その動態視力に身体能力や持久力も狩りに特化していました。

屈強さや弓矢の命中精度でも、大陸人が驚く様子が残されています。

ですから、後世に東北でアテルイが朝廷に対して反乱した際も、大いに朝廷軍は苦戦しました。

縄文系の倭人は、緩やかな農耕民族が主体の大陸人を凌駕していたといいます。

私たちには、そんな縄文系の優れた身体能力も遺伝しているはずなのですから。

犬との関係も狩猟犬として大切にパートナーとする縄文人に対して…

弥生人と呼称する大陸系の民族は食糧扱い。



銅の時代から…鉄の時代へと推移していくのでした。










いつも日本人は、海外…海の彼方から影響を受けて変わっていくのです。

航海技術も定かでない時代、まさに東洋の秘境ガラパゴスの如き列島は体質を変えません。

神武の東征、信仰、元寇、欧州との貿易では忌むべき病も侵入、黒船来航、世界大戦…

武力、異文化、ウイルス、核兵器… これまで私たち倭人を激変させた外部からのチカラ。

いまも大陸から不当な刃を向けられているのです。









文化は信仰とともに精神世界の潮流を巻き込んでいく。

そして技術として身近なのは日常の器物でしょう。

それまでの土器や石器とは違う大陸からの技術と意匠、それは高い再現性をもちながら

国内各地で規格のように生産されていきます。

名も無き人の手で作られる器物は、広く世に流通していきます。

生産効率の向上、それは武具にもいえ…激しい戦争も繰り返す略奪の時代でもありました。














大和朝廷は揺るぎない統率を成し遂げて、畿内を中心に勢力を拡大していきます。


大和朝廷の成立と征服の拠点『都城

都城には役人が集住し、政治・経済・文化の中心となりました。


それは誇りある古代の部族との衝突、そして血塗られた戦いの歴史でした。

いまは北海道に伝わるアイヌ部族や東北の倭人が育んだ自然な文化は追いやられます。

平和に暮らす彼らに後世まで降りかかる受難… 

愛すべき住み処を追放されて、次第に列島の南北に遠ざかる倭の民族。

支配されて恭順に隷属させられた大半の倭人が現代日本人の先祖になります。

(とうの昔に民族は混成しているのに、いまだに争うのは実に滑稽だと思います。)

遺伝的に調べてみると、厳密には日本人は殆どのアジア地域の人と共通したゲノムが見られます。

永く大陸で混ざり合った人種の血が、最後に日本民族とひとつになった訳でしょう。




巨大な火の山までも神と崇めている倭人に対して…

その反対に、火山など地殻変動が少ない農耕にも適した場所の畿内には朝廷の力が注がれました。

奈良を中枢とする朝廷の権力基盤が制定され、倭は…既に別の国となりました。












大和朝廷という鋳型に流された銅のように型に嵌められたのは倭人の心模様。

鋳造によって同じ形状の物が製作できる。いまでは当然と思えることも魔法のよう?

仏教文化の影響でもたらされた様式美は、朝鮮や中国の芸術性を反映しています。

信仰は心の拠り所として為政者に庇護され栄えました。

宮廷や寺社を飾り…美しい金具は日本独自の進歩を遂げていくのです。










石材の加工、焼き物…陶器も丈夫で洗練されていきます。

礎石も形状は整えられ安定度も向上、屋根を葺く瓦には様々な意味が意匠に込められます。

豊かな森林資源も有用であり、どんどん大型化する建築物。

木造建築のアーキテクチャーは、そうした技術が都市計画に及んでいく…









それまでの点在する大小のクニ”を統治する朝廷の威信を顕著に表すもの?

7世紀末より8世紀前半まで朝廷の宮都に選ばれたのは飛鳥、そして初期の都…藤原京でした。



8世紀初頭、機内の地…奈良に遷都された『』。

壮大な中国風の都市計画、『都城』(とじょう)を実現したのでした。

こうして生まれては遷都される…壮麗な『平城京』もそのひとつ。

覇者が造る大陸型の王政と律令国家が定着した姿

まさしく国家事業なのでした。









大和の都とは…朝廷の権威を見せる擬似的なマトリクス。

平城京は、東西に6キロメートル近い広がりの構造でした。

中国の西安に倣い、まるで碁盤の目に置かれたような道路が縦横に伸びた規格都市。

とても道幅が広い朱雀大路のように、70メートル級の道幅も試行されています。

あをによし…で知られる、白壁に緑青や赤色という大陸の都を彷彿とさせる華やかさ。

当時の日本人のみならず、誰もが荘厳な都市景観に魅了されたはずです。



ところで『遷都』、都が次々と遷る訳ですから資材など大変だと思えますが…

実は、都が遷都する際には旧都からは、あらゆる瓦、木材、石材などが移築されるのです。

可能な限りの資材は次の都の造成に役立てられるということ。



揺るぎない王朝、諸国からの産物も独占して都に集められ、かつてない繁栄の舞台でした。

あらゆる食糧から資源までが注がれて…いつの時代も都は賑わう虚飾の街?。










いつしか都は遷都され『平安京』へと昇華します。

花咲誇る…なんと綺麗な都でしょう。

千年の昔、王侯貴族の文化が華となる日本最大の都市が誕生しました。


高位となる貴族が住むのは『寝殿造り』の大邸宅。

これはおそらく藤原氏により建築された『東三条殿

贅を尽くしており、その屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で高床式の邸宅でした。










権勢と富裕の頂点


展示されたマヌカン、貴族の従者である舎人(とねり)でしょうか?。

それとも都の警護も行う検非違使(けびいし)?。

そして貴族など宮廷人の装束、こうしてみると皆さんも見慣れている平安時代ですね。

十二単の綺麗な女性も綺麗ですね。

長い黒髪…(当時に美容院やシャンプーがあれば、どんなに喜ばれたでしょうね。)










平安のアパレル花盛り…

いまと同じように艶やかで教養ある知的な女性は宮廷における文化人。

その言の葉で歌を詠む…四季折々の暮らしが偲ばれます。

こんな優雅な文化や繁栄も、虐げられる民衆の暮らしと対比すれば残酷に映るかも。









いつの世も殿方は凛々しいのでした。

秩序ある国家を意識すれば、それを管理して取り仕切る様々な役職が『検非違使』(けびいし)です。

国家の重要な行事から祭礼や治安維持、世の穢れを許すまじと活躍したのでしょうか。

行幸や賀茂祭があれば、時には大葬までも担当する彼ら。

高度な管理社会を成そうとすれば、当然の役職であり警備から裁きも司るのでしょう。








雅な方の御座するところは、やはり豪華ですねえ。

そこいらのホテルでスイートルームに泊まっても体験できません(笑)。

お呼びになりますか、姫は御簾の向こうから…














貴族の使う日用品の贅沢さも素晴らしいですよ。

総漆塗りの器物は贅沢すぎます。  見事な夜行貝の螺鈿や蒔絵が施されているのです。

ある意味、ただ無地の木を挽いた汁椀で民衆が食事していた時代に貴族は高級漆器。

もちろん高価な食器や道具を求めた貴族階級がいたからこそ、漆芸も進化できました。

それは仏教に於いても言えることです。










古典的な家財道具、そして楽器…琴の装飾も繊細に描かれた花鳥風月。

絢爛豪華な宮廷での暮らしは、地上に現れた楽園のようでした…










血塗られた呪怨の魔都…平安京


しかし、繁栄を極める一方で、貴族の権威が産み出した相剋もありました。

権力に狂い…他者を呪い蹴落として、互いの命までも屠る権力社会の構造…

欲望が歪めてしまった人間が陥る畏れの闇が広がる…もうひとつの都の正体を知ります。












未曾有の繁栄を遂げた平安京。

そこには迷信と渦巻く原始的な闇への恐怖が息づいたままの地獄絵が存在しました。

人々の信仰心は無知と頑迷な心に宿る畏れの陰があるからこそ帰依する信心なのでした。

富める者、より強大な権力意識に執着して争うメンタリティ…嫉妬…憎悪








そのような心理が醜い罪悪を呼び…百鬼夜行や九十九神など数多の幻想に畏れた都人。

流行する疫病など、なおさら魔物の仕業と考えて闇夜に恐怖したのでした。



こうした呪符や魔除けの人形は、そうした穢れを祓おうとしたものです。

人間は弱い者です。 どんなに豊かでも怨念を抱き悲しい争いが絶えなかった平安京。

陰陽師』なども陰陽寮のような役所で働く占術や学術の徒…

それにしても人形(ひとがた)に罪や穢れを移して祓うという平安の祭祀。

心理カウンセラーとしての喩え話で貴族の内面を癒していたのでした。





心に潜む漆黒の闇が浸食する時、謎の陰陽師が立ち上がる







善(光)と悪(闇)の戦いだとしたら、お互いの良さを尊重しましょう。

争うなどナンセンス!







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