Simple に。いつも笑って穏やかに。 -2ページ目

Simple に。いつも笑って穏やかに。

本当はゆっくり空を眺めて穏やかに生きていたいのですが、そうもいかないせちがらい世の中。せめていつも笑って穏やかに、simpleに生きるために、sim-iが学んだ、感じたエッセンスをこっそり残していきます。未来に、可能性に、愛に意識を向けていきましょう。

足す、

より、

「引いてみよう。」

そういう生き方がいいなぁ
と思ってずいぶんたちます。

まわりの影響を受けやすいわたし。

自分よりよいものやスペシャルな経験、
たくさんの仲間をもつ人をみると、
負けじと手に入れようとして。

結果残ったのは、

「埋まらないむなしさ」

でした。

自分に足せば足すほど、
重たく、縛り、失う恐怖が
絶え間なく押し寄せました。

「余分なものは手放そう」

引いて、引いて、引いてみます。
結構引いても、まだまだ引けます。

ゼロになる恐怖が生まれそうなのに、
まだまだそこまでたどりつけず。
何もない、ゼロな自分になって、
どこまでやれるか。

それがようやく、本当の意味で、
「生きている」

といえるのではないか、と。

思うのです。

すべては、「」です。


つきつめれば、その一語につきるような気がします。


今、必死に食料などを買い占めている人がいます。


被災地に送るのでしょうか。


それとも、自分のため、家族のため?


今回の地震や津波でもわかるように、ストックしてある

家がなくなれば、まったく備蓄も役に立ちません。


命からがら避難ができた時、物資がないとなげきます。

そして、怒りをぶつけるのでしょう。。

あのとき、むだに買い占めなければ、どこかで適切に

在庫があったかもしれません。


水:水道水があります。飲むものがなにもないわけではありません。


食料:これがなくても、あれはある。空腹を満たすための何かは、たとえわずかでもあるでしょう。


仮に何もなくても、もっているひとたちで分け合えばよいのです。


そして、何もなくなれば、すなおに天に召されればよいのです。


・・・・・・


今、わたしたちは、生きるために食べているのでしょうか?


食べるために、生きているのでしょうか?


皆いつかはそれぞれの役割を果たして命を終えます。


もし仮にわたしが食べられなくても、だれかが食べられます。


あなたが生きれば、わたしも生きています。

わたしが生きれば、あなたも生きています。


すべてはひとつ、です。


今、考えていることに、「愛」はありますか?


今、話していることに、「愛」はありますか?


今、行動していることに、「愛」はありますか?


今日も笑顔で、おだやかに、目の前にいる人に

愛を送ってあげてください。


特別に、何かすることだけが、愛ではないと思います。


必死にこらえ、がんばっている原発たち、作業をつづけている人たちに

愛の祈りをささげたいと思います。







今、とてもストレスフルな時代です。


みな、険しい顔をしたり、いらいらと怒っているように感じます。


「なぜ、もっと穏やかにいられないのだろう」

「自分、自分とエゴむき出しなのだろう」


わたしは、そう感じるにつけ、何とも言えない「恐れ」を感じてしまいます。


いっそ、かかわらなくてよい理想郷に、ひきこもれたら安心だと思ったり

します。


しかし、この「恐れ」は、自分以外に向けられたものではなく、わたし自身の

内面に向けられた感情でした。


「人からどう見られているだろうか」

「こうすべきなのに、あの人はなぜしないのだろう」

「わたしよりあの人のほうが優れている。認めたくない」


というわたし自身の「エゴ」そのものでした。


私が発する恐れのマイナスエネルギーは、マイナスな出来事をよびよせます。


恐れる必要などないのです。


わたしの問題は、わたしの中にあるのであって、他の何からも影響される

ものではありません。


ただ、笑って、穏やかに、わたしの内面と静かに対話すればよいのです。


いかに「恐れ」を手放すか


わたしが向き合っている課題のひとつです。


しかし、これががんこで、なかなか手ごわいのです。。。