●答えは自分の中に ~内観の重要性~ | ゼロ思考 (願いが叶う潜在意識・瞑想・ゼロ思考アファメーション・カウンセリング)★佐田弘幸

ゼロ思考 (願いが叶う潜在意識・瞑想・ゼロ思考アファメーション・カウンセリング)★佐田弘幸

瞑想歴20年、プラス思考の弊害を唱えて20年。
日本人に合う独自のゼロ思考アファメーションや、潜在意識の攻略法などを「ゼロ思考メソッド」として提唱。カウンセラーの養成講座も好評。

佐田意識研究所スタッフです。

常々、問題解決の為には、

まず内観が必要になってくる…

という話を、佐田先生から聞いています。

 

今回は「内観の重要性」について、

佐田先生から聞いたことをもとに、

記事を書きます。

 

 

問題を解決できる人、できない人

なにか問題が生じるとき、

目標の達成が困難なとき、

原因は自分の中にある…

実はそういう場合が、非常に多いものです。



・「いやいや、相手が非常識過ぎるんだ。
  自分に原因があると言われても!」
 

・「どうにかしたいと思っても、
  状況をどうこうできる立場にいない…」

・誰が悪いわけではないけど(病気など)、

 ほんのちょっとの不注意だったのに(事故など)、
  「どうして私だけが…?」
  「私は、なぜこんなに運が悪い?」


…そういう気持ちは、もちろんよくわかります。
その上で内観の重要性、
「自分の中の原因」について考えてみます。

 

 

同じような危機的状況、
例えば…
 

・仕事がうまくいかない

・大切な人の病気や死

・家庭内の深刻なストレス

・事故のような災難

・投資のつもりが大きな借金を負う


…そのような状況に、立たされたとして、

 

それを乗り越え、人生をより良くしていける人。

一方、困難を乗り越えることができず、

自分は不幸だと思い続け、絶望する人。

それぞれの人がいます。

 

そうなると、問題や困難な状況を乗り切れるかどうかは、

その人次第である…と。

 

 

問題(を乗り越えられるかどうか)の根底にある、

自分の中の原因となる部分が根深くない場合、

本やカウンセリングなどをきっかけに、

劇的に問題が改善することも、よくあります。

 

ですから自分を変えようと、

自己啓発本を読む、セミナーを受ける。
コミュニケーションスキルを学ぶ。

できるビジネスマンや成功者の考え方を学ぶ。

などをして、多くの人が問題解決をはかります。

(私も例にもれず)

改善できる人、できない人、
その分岐点は何なんでしょう?

 

 

自覚できない無意識が9割、その影響

 

意識というものは、ご存じの方も多いかと思いますが、

よく氷山に例えられます。

 

pixabay

海面上に出ていて見える部分 ―

 自覚できる「顕在意識」は、ほんの一部です。

 

海面下に隠れている部分 ―

 自覚されない「潜在意識」「無意識」が

意識の大半を占めており、

無自覚にものを考え、行動を左右しています。

 

その比率は、一説によれば 1:9 とか。

 

自覚、つまり分っている部分の「1」に対して、
無意識の分らない部分が「9」もある、というのです!

いくら頭で分かっていても、

うまくいかないないのは、

無意識の考え方の影響力が、とても大きいから。


周りから見ると、
「そのままだと、うまく行かないだろうなぁ」
と思っていても、本人は分らない。

そこを本人に伝えても、理解できないから、
改善せず、そのままにして失敗する。

周りの人は、
「ほーら、やっぱり…」


こういう経験は、皆さんありませんか?
私はあります。

人というのは、自分では分らない領域があって、
周囲にはよく分るのですね。

それを、岡目八目と言います。

この言葉は、
「無自覚(無意識)の領域が、9割もある」
というのに似ているなぁ、と思います。

そういう部分(無自覚9割)が人にはある、
と分っていても、
自分ではそれが分からない。

だから、問題解決のためには、
自問して、自分でも知らなかった「私」に気づいていく。

 

これが大切なのですね。

 

 

自分の中の、ふだんは気づいていない考え方・思い、
そこに向き合うことが「内観」です。


ゼロ思考メソッドでは、この「内観」を、とても重要視しています。
 

 

内観の苦手な人が教育者に多いのはなぜか!

瞑想をする人の中にも、特に内観が苦手な人がいます。
それは、学歴や知能に関係がないのです。

それを佐田研で探っていくと、問題が見えてきました。

瞑想をすると、学習には二通りあることが分ります。

それは、
・新しい知識を得る学習と
・既にある無自覚だった部分の気づきによる学習。


マトリックスで分けると分りますが、
気づきの学習が苦手でも
記憶学習の得意な人がいます。

 

そのような人たちの自己評価は、


理解した(記憶した) = できた

と、なっていたのです。

有名な児童心理学者の子どもが非行に走ってしまう。

教師の息子が、犯罪を起こす。

 

分っていても、自身では知識を使えない。

このようなことが、なぜ起こるのか?
 

その疑問が、
内観の苦手な人への聞き取りを重ねることによって、
「現在の学校の生徒評価システム」
が影響していると分かったのです。

 

特に、人を評価する職業(主に教育者)の人に

内観が苦手な人が多いことも
問題の解決に結びつくヒントになりました。

 

つまり、
記憶中心の学習では、知識を得て、
試験で解答できれば「できている。正解」…と、なります。

常にそのように生徒を評価しています。

その評価システムは、いつの間にか自身へも向きます。

だから、長年その環境にいると、

「知っている・理解した」=「できている」
と思ってしまうのも、

仕方がないのかもしれません。

長い間、同じ環境にいると、

我々の脳は最適化してしまいます。

 


学生で勉強していた頃と違い、社会に出ると、
答えを知っているだけでは、問題は解決しません。

 

問題を客観視して分析

  ↓

知識を、今の状況に当てはめて考える

  ↓

うまくいくか実践してみる
  ↓
うまく行かない場合
  ↓
もう一度、原因を分析


の連続です。

座学で「知っている」というだけでは、
問題は解決しないのですね。

心の問題も同じです。
既に自分の無意識にあるものに気づけなければ、

解決への最初のステップである「分析」が、まずできません。

瞑想で、「気づきが大切」というのも、そういう理由からです。


知識中心の記憶学習のよい部分と、
気づき学習の両方ができたら、
鬼に金棒だと思いませんか?
 

 

気づきが苦手であると 同じ問題を繰り返す

 

その多くは、次のような悩みを抱えるようになります。

 


・自分が好きになれない
・変わりたくても変われない
・分っていても行動できない
・生き生きしている人のように目標が持てない
・知識はあるが、何となくうまく行かない
・世の中が悪いと思っている
・嫌いな人、苦手な人が多い
・人と上手くやっていけない
・人前では笑顔の良い人ではいるが、怒りが多い

渦中の人には出口が見えないことでしょう。
でも大丈夫。

内観し、いままで無意識で気がつかなかった
“自分の中の心の動き”を見つめることをしましょう。

・どうして自分にはこういう問題が生じるのか
・その背後にはどういう考え方があったのか
・どうしてそう考えるようになったのか


…など自問を続けると、
9割もあるという「無自覚な部分」の気づきが、

 

少しずつ生まれます。

それはもう発見です。

 

次に、問題となっていた部分を減らしていく、
これが確実な問題解決法です。

(手先の技術を身につけても、根本が変わらない限り、

  また同じことが起こってしまうので、
 本人もどうしてよいか悩むところでしょう)

“幸せの青い鳥” を探しまわっていたら、
それはすぐそばにあった…
という童話を思い出しますね。

問題の原因や解決法を、
いくら外に探しても見つからないのは辛いと思います。
答えは自分の中にあるのですから。

(もちろん、環境に働きかけることも、解決の一助になります。
 その働きかけが、うまくできるかどうか…

 そこが「本人の問題」となります)

 

 

ある教育者の内観(瞑想クラスにて)

 

内観の重要性について、お伝えしました。
しかし、「内観ってどういうものかよく分からない」
「ピンとこない」
という方も多いでしょう。

“瞑想・ゼロ思考メソッド実践クラス”生徒さんのレポートを、
例として掲載させてもらいました。

自分の中にある「意地悪な気持ち」。
こういう自分の中の「イヤな部分」は認めたくないので、
気づくのは実に難しいものです。

あるとき、クラスで、
「Hさんって、対面的にはニコニコしているけれど、
予定通りに進まないと、言葉には出さずに、
『分らせてやる!』って意地悪な空気を出すから、
それがうまく行かない現実を作っていると思うんですが、
いかがでしょう?
よろしければ内観して掘り下げてみますか?」

と、言われたのでした。

そこから、Hさん、
「抑えているつもりでも、意地悪な部分が出てしまい、
それが出た後は相手も反発するし、
自分でもイヤな気持ちや後ろめたさを感じる」
と自覚したことから、
Hさんは “本当の思いやり・優しさ”を持てるようになるには”
を探求しはじめたのです。

そして、前より人に優しくできるようになったとのこと。
人間関係も良好になり、幸せにもつながっていきますよね。

この記事とレポートを通じ、

内観とその実践の重要性をお伝えできれば、

幸いに思います。
(レポートを提出してくれた、Hさんに感謝)

 



「本当のやさしさ、思いやりをもつには」

瞑想会に参加しました。

今回の私のテーマは「本当のやさしさ、思いやりをもつには?」です。
 
普段は物分りのいい穏やかな性格で、人に対して優しく接することが自然にできます。

自分のことを「いい人」「優しい人」と思ってきました。

しかし、自分の価値観と違う場面に出くわすと、無意識に意地悪をしてしまうことに、最近やっと気づきました。
 
「こうあるべきだ」と思っていることを人が出来ていないと、わからせてやろうという気持ちが発動するのです。

そして、「懲らしめてやろう」という気持ちになります。

しかし、物分りのいい人でいたいので、言いたいことをガマンします。
すると、そのガマンする気持ちから意地悪モードになり、言葉の使い方・しゃべりかたのトーンで相手を責めているのです。



宿題をしてこない生徒がいます。
今回もしてこないかなと予想しながら確認すると、やはりしてきていません。

そのとき心の中では
「宿題してこいよ、だから勉強ができないままなんや」
と思いながらもそれを隠そうとします。

物分りのいい先生というイメージを守りたいからです。

しかし、授業の終わりごろ、宿題を出すときに
「宿題出したいけど、○○くん、またしてこないからなぁ」
と皮肉を言ってしまいます。
本人のやる気を削いでしまいます。

また、授業中に生徒たちが、それぞれの課題を解いているとき、おしゃべりをしている生徒がいると、
「人の邪魔をするなよ、他の人のことも考えたらどうや」
とやや低い声でゆっくりと言います。

周りに迷惑をかけていることを強調して、悪いことをしたと罪悪感を持たせるのです。

こういう注意の仕方のとき、いやな感じが自分の中に残ってしまいます。

意地悪をしていると自覚するようになると、そのモヤモヤ感が、無意識に意地悪をしている自分に対する後ろめたさだったんだと理解できました。
 
佐田先生より、
「そうなるのは、優しさや思いやりの気持ちが少ないからでは」
と指摘を受け、自分でも納得できました.

(自分的には出来ていると思っていた分野でちょっとショックでしたが・・・)

 


瞑想が始まり、早速探索の開始です。
いままでと同じように神様と質問形式で対話を進めます。

「どうしたら、本当の思いやり・優しさをもてるでしょうか?」
 の問いに
「本当の愛を持ってないから」
 と返事があります。

「えっ!、そんなことはないです。家族をしっかり愛しています。」
「それは、偽りの愛」
「偽りの愛って?」
「今の愛は自分のためのLOVE、相手のためではない」
「えー、えー!そんなんじゃないです。」
 と驚きと否定がでてきます。

でも次第に、そういう愛し方だった様々な場面が思い浮かびます。
自分中心に考えて愛していることに気づきます。

「じゃ、真の愛はどうしたら持てるのですか?」
「自分への愛が足らないから」
「???」
そんなことはない、「自分好き」だと思っていたので、この答にはさらに混乱していきます。

自分への愛が足らないから、自分中心の愛になる・・・。
矛盾しているように思えます。

神様の言葉(頭の声)が続きます。

「自分へのLOVEが足りない、自分を許せ」
「どうすれば、自分を許せるのですか?」
「ありのままを受け入れる、そのまま受け入れる」
「どうやったら、ありのままを受けいれられるのですか?」

そこまで対話がすすんだとき、急に小学生時代の自分が心に浮かびました。
その子は「もっと、よしよしして!」と叫んでいます。



小学校のころ、私は大人しくて、勉強好きのいい子でした。
わがままも言わない子です。

周りからは、「言いつけも守るいい子やね、えらいね」と褒めてもらえました。
それが嬉しくて、自分のしたいことも我慢することもありました。

「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」という母の口癖・期待に沿おうとしていました。
その結果、甘えることが出来なかったのです。

もっと、周りの期待にこたえて褒めてもらおうと頑張ります。

次第に、
「何もしない自分では褒められない」

と考えるようになり、ますますいい子になる努力をしていきます。

その反面、わがままを言う子や、ちゃんとしない子をみると、
「ダメなやつ」と馬鹿にするようになったのです。

「何もしない自分ではうけいれられない・・・。」
自己否定が心の底に残っていました。

こんな感情はすでに手放したと思っていたのですが、まだ解決していなかったのです。



そこで、小学生の自分をハグします。
(イメージの中で)

「いっぱい頑張ったね、よしよし。
認めて欲しかったんやね。
でも、そのままでも大丈夫だよ。
何もしなくてもいい子やからね。
いるだけで特別やからね。」

と、自分をしばらく慰めました。

そうすると、今度は母親の思いがわかってきました。
徳之島という離島から、大都会の大阪に出てきて働いて生きていくことの大変さがありました。

「自分たちは田舎者で遅れている。
なんとか人並みになろう。
そのためには周りにしっかり合わせていこう。
しっかりしなければいけない・・・」

と考え、子育てにも同じ気持ちで取り組んでいたのでしょう。

そう考えると、母親のせいで・・・と思うより、そんな状況のなかで育ててくれたことへの感謝の念がでてきます。

ありのままの自分を受け入れていないから、周りの「ありのまま」も受け入れにくいんだ、と納得です。

ありのままの自分を受け入れ(好きになり)満たされれば、周りのもの(人)をありのまま受けいれられる。

よく言われていることがようやく腑に落ちました。

 

 

まだ、子どものころのイメージは続きます。
子どもの頃に図鑑で、宇宙や鉄道の図鑑を見て楽しんでいる自分が出てきます。

「そうか、いろんな図鑑を見ることでいろいろなことが分かって、もっと知りたいという気持ちが出てきたんや。
勉強好きなのもこのあたりに関係あるよな」

と思っていると、ふと図鑑全集を揃えてくれた両親がいたことに思いがいきます。
こんなところにも親の愛があるんだと思い、感謝が深まります。

さまざまな面で私のことを思ってくれている両親にありがたい気持ちが深まるばかりです。

そのとき、次の神様からの言葉(頭の中の声)がやってきます。

「周りのものに感謝」

優しくなるには、思いやりをもつには、受け入れるだけでは十分ではないよ、と気付かされました。
何かしてもらったときだけでなく、いつでも、全てのものに対してです。

無条件で自分を受け入れると、自分の心が満たされます。
自分の心が満たされれば、もっともっとという渇望感・欠乏感がなくなり、今あるものに感謝の念を持てます。


そして、周りの人をありのまま受け入れることができます。
すると人のことを思いやったり、優しくできるのです。
これら一連のことが自分の心の中でつながりました。

 


瞑想が終わった後は、なすべきことがわかり、とても満ち足りた気分になりました。

人への対応や家族の対応に、やさしくなれた気がします。

塾でも、生徒たちがより愛おしく思えます。
宿題をしてきても、してこなくても同じ対応が出来るようになりました。

注意をした後に、いやな感じがしないことも増えました。
罪悪感を持たせる言い方が減ったからだと思います。

日々の瞑想の中で、子ども時代の自分を呼び出して、
「そのままでいいんだよ。
ちゃんとしなくても嫌わないよ。
したいことをしてもいいんだよ」
と慰め褒めることを続けています。

このことで、優しい、思いやりのある人になれそうです。
穏やかな気持ちが持続中です。
 

神様ありがとうございます。

先生ありがとうございます。

 



Hさんの自分育ての内観はまだまだ続きます。

最近のクラスでの皆さんの会話。
 

「愛を持てば、あらゆる問題が解決へ向かうね。
でも、これが難しい。
愛のない自己中心的な自分を認める作業の向こうに愛はあるから(苦笑)
また、人は感謝をすぐ忘れるし。」
 

Hさんが自分を愛することができると、周囲も愛することができ、

無条件に周囲を受入れることが可能になって、

問題は解決していくのですね。
(…と、分っていても、歩みは一歩一歩です)

 

 

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