・心の病とは、苦しむ内容にいつも注意が向いている状態
・苦から逃れるために瞑想を作った古人
・瞑想は苦しみから逃れる心を作るための基礎訓練
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■何に注意して瞑想をすればいいのか?
・瞑想と座禅の最終目的は?
・大切なのは、雑念を出さないことではない 雑念に気づいて戻ること
■瞑想の方法
・半眼と瞑目どちらでもよい
・何に集中するか?
・雑念の意味
■何に注意をして瞑想をすればいいのか?
・瞑想や座禅の最終目的は
苦を取り除く ことです。
この「苦」とは、心のとらわれから生まれる
「不安・怒り・自責の念・嫉妬などの苦しみ感情」のこと。
ここから離れるには、(瞑想をしていない)普段のときでも、
「とりとめなく流れていく思い」を観察し、
その中で、「ネガティブな考えに気づいて、修正をかけられる」ようになることが大切です。
私たちは、気を抜いていると、イヤなことを思い出したり、まだ来ない未来を憂いたりしています。
また、人の多いところに居ると、周囲の人を批判的に見るクセがついている人もいます。
やらなければならないことを先送りしたり、遅刻のいいわけを考えていたり、腹の立つ相手に「分からせてやる!」と心の中で繰り返し仕返ししていたり、と大変忙しいのですね。
もし、自分の心の声を録音するレコーダーがあって、それを冷静なときに、改めて聞いてみたらどう思うでしょう?
通勤中の満員電車で、混んでいるのに自分だけスペースを確保して、スマホを見ている人を見ると、「こんなに混んでいるのに、自分だけ無理にスペースを使うなよ。いい加減にしろ!」
とずっと批判し、不愉快な気持ちが続いたり、
前を歩く人の、くわえタバコの煙が目に入ったら、「人が居るところで吸うな!迷惑なんだよ!」と心の中でやっつけたり、
将来の不安が心から離れず、「○○になったら、どうしよう…」と頭の中で何度も反芻したり、
失敗の後、「やっぱり自分はダメな奴だ…」と、自分を責める言葉が続いたり、
など、不愉快な気持ちの言葉がたくさん録音されている人は多いでしょう。
私たちは自覚せず、行き当たりばったりで、その場の雑念のように流されていている考えが非常に多いのですね。
中でも、怒りや自責はストレスを積もらせ精神を疲弊させます。
しかし、瞑想を学び、
「今、怒りの感情にとらわれているな…」、
「あぁ、また、自分を責めている」
と、気づきができるようになると、「ストレスの思いを一端は脇に置いておき、止める」という選択ができるようになります。
瞑想や座禅の目的をもう少し踏み込むと…
「普段の自分の考えや感情を俯瞰し、気づいて、
セルフコントロールできるようになり、苦を取り除くこと」です。
この自分の心を俯瞰することを、内観と言います。
・大切なのは、雑念を出さないことではなく、雑念に気づいて戻すこと
よく誤解されるのですが、瞑想や座禅の目的は、
「雑念を出さない状態を保つこと」ではありません。
瞑想や座禅は、雑念に気づき、集中している対象に(今ここ)に戻す、という訓練ですね。
ひたすら、「(雑念に)気づいて・戻す」。
これを続けると、自分の考えを客観的に見つめる視点が生まれます。
それは、メタ視点、俯瞰、客観視、…などと言われます。
以前、東京の某所で座禅に参加したことがあります。
そこの指導者(ご老人)が周囲に語ったのは、
「雑念が出ると言うことは、集中ができていないのだから、ダメだ!」と。
この発言から、「座禅を誤解されている?」と感じました。
瞑想や座禅の初期では、集中することが目的ではなく、
「雑念に気づいて戻す、…という注意のコントロール」
が目的なのです。
ですから集中は、手順における最初の手段です。
この一件から、伝達ゲームと同じで、
技法を教える側にも、部分的な形式が重視され過ぎていて、
全体像や本質が伝わっていないため、
我々も気を付けなければ…と感じました。
続く
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