記者は夕張が地理的にも不利なことを理解して、返す言葉がないと言う。しかし、きのうは「読者の声」にこんな掲載があったゾ。
公共交通に採算性が必要か?求めるのが間違いでは?とは、ずいぶんと大胆だ。投稿者は数年先輩のお歳ではあるがほぼ同じ世代だから、タダのものにはあとでもっと大きな代償を払わなければならない、と教えられて育ったはずで、それにしてはずいぶんと先進的?なご意見を披露なさっている。
「交通権」という聞きなれない権利を調べてみると、どこかで提唱されてはいるものの、国が認め広く社会的に通用しているものではなさそうで、住民の生活に直結する公共交通事業は、安全で安定的かつ継続的な供給が必要だから“採算性の確保”とセットで考えるというキホンは変わらないようだ。
それでも、地方自治研究の界隈では、公共交通の「採算性」についての考え方が大きく転換してきたという論文や投稿が見られた。バス運転士やタクシー運転手の不足が深刻で、公共交通機関の維持が困難になったことで、国が赤字を前提に補助を行う制度が発足しているということだ。
ただしこれは、地域が必要性を判断して運行する路線については、赤字でもよい、ということで、特に人手不足が深刻なローカル地域が対象になる。ならば、夕張こそ現状をなんとかできないものかと思うから、あきらめずに方策を見いだしてほしいものだ。
しかし札幌の地下鉄延伸はムズカシイな。清田団地からJR札幌駅への直通便が福住駅までに短縮されたということでは、従来あった交通が不便になって“権利”が制限されていると感じる人もいるだろうから、ここについては市として急ぎ手当てすべきだとは思うが。
ところで昔、無賃乗車のことを「薩摩の守(さつまのかみ)」とか「キセル」とか言っていたが、最近はトンと聞かなくなった。電子化で減ったのか、それとも意味が伝わらないから使われなくなった?
公共交通が“無料”なんてことになったら、それらは完全に死語になるだろう。それもシニアにゃあ寂しいがのう‥w