6/19の桜桃忌前後になると、太宰治ゆかりの場所でイベントが開かれる。NHK青森 NEWS WEBには、「五所川原出身の太宰治 19日で生誕115年  記念朗読会開催」とあった。

 

 拙者、特にファンというわけではないが、太宰治については旧金木町(かなぎまち)出身と書いてほしいと思う。NHK青森なら、なおのことだ。2005年(平成17年)の市町村合併まで、五所川原市と金木町は別々だった。

 

 小説「津軽」の序編で太宰は、金木と五所川原について対比して書いている。東京における小石川という比喩は、いわゆる“山の手”地域ということだろうか。いかにも大地主の坊ちゃんという目線が感じられる。

 金木は、私の生れた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これといふ特徴もないが、どこやら都会ふうにちよつと気取つた町である。善く言へば、水のやうに淡泊であり、悪く言へば、底の浅い見栄坊の町といふ事になつてゐるやうである。それから三里ほど南下し、岩木川に沿うて五所川原といふ町が在る。この地方の産物の集散地で人口も一万以上あるやうだ。青森、弘前の両市を除いて、人口一万以上の町は、この辺には他に無い。善く言へば、活気のある町であり、悪く言へば、さわがしい町である。

 

 大袈裟な譬喩でわれながら閉口して申し上げるのであるが、かりに東京に例をとるならば、金木は小石川であり、五所川原は浅草、といつたやうなところでもあらうか。

 

 青森にいた16年ほど前、札幌から友人3人が遊びに来てくれた。特にMが太宰のファンなので当然のこと斜陽館へ見学に行ったが、彼はじっくり館内を見て回って、2階の窓から、下に広がる金木の街を眺めていた。そこで撮った何枚かに、彼は生涯で3本の指に入る貴重な写真と感激してみせた。

                 

 

 Mよ、ファンとしてはどうだい?太宰はやはり「旧金木町出身の太宰治」と書いてほしいというか、そう書くべきだと思わないか?五所川原出身では、“田舎のプレスリー”になってしまう。あのような高次の社会不適応者の物語としては、県下有数の大地主で地元の名士で、「金木の殿様」と呼ばれるような特殊な家柄に生まれついたという出自なくして理解しづらい。

 

 太宰は「旧金木町出身」でなければならない‥そうだろう?