憲法記念日を前に、道新が「地方の暮らし平等ですか? 憲法77年」という“3回連載”を始めた。きのうは「細る医療、広がる格差」で今日は「原発「過疎地ありき」」の見出しだ。

 

 原発のことはともかく、 北海道内での医療サービスの格差が広がっており、特に過疎地での医療体制は縮小傾向にあるというのはそのとおりだろう。記事にあったような出産リスクに限らない。例えば、結核患者に必要な入院病床もしかり。

 

 十勝地域では、14床あった結核病床が2021年(令和3年)1月にゼロになった。理由は、採算性の低い結核病棟の運営を担ってきた当該地域の国立病院がその後の病床維持を断念したためで、その原因は2010年(平成22年)の旧民主党政権時代の対応に遡る。

     

 

 当時厚労大臣に就いたN妻某(Mr.年金などとマスコミがもてはやしたが‥)が、己の存在を示すべく行政刷新会議が行う“事業仕分け”に先駆けて、「省内事業仕分け」なるものを行って、採算性の低い医療継続に手当されていた国の交付金を廃止させてしまった。その後、当該国立病院は経営に苦慮しながら結核病床維持に努めたが、今から3年前、病床廃止に至った。

 

 その結果、入院が必要な結核患者は、交通の面から考えると120キロ離れた釧路市か200キロ離れた札幌市へ搬送されているんだろうと想像するが、公表されている道の資料をみると、搬送方法がいくつかあるものの、いずれも困難さがうかがえる。

 

【資料2】結核患者登録状況について.pdf (hokkaido.lg.jp)

 

 加えて、病床廃止以降の年に「個室対応(搬送困難)翌日死亡」という記述が登場するのも気に掛かる。「搬送困難」とは、どういうことだろうか。結核病床を持つ専門施設まで搬送してもらえないまま、地域の病院で翌日亡くなったということだろうか。そんな想像をすると、怖い現実がそこここに忍び寄っている気がしてくる。

 

 連載記事で道新は、「都会と地方で医療や介護など受けられる公的サービスの格差は広がり続けている。今後、人口減少が加速すれば、地方はますます暮らしにくくなる。」として、憲法に規定する人々の権利は十分保障されていると言えるのか、と問うている。

 

 その引き合いはどうかと思うが、誰しも暮らしにくくなるのは望まないわけだから、やはり政治がある程度機能していなければならないし、それを担える政権与党でなければならない。

 

 いま、派閥政治とか政治資金裏金問題とか議員個々のスキャンダルが与党のネガキャンのごとくマスコミをにぎわし、さきの衆院3補選では、自民党全敗で立憲全勝と報じられた。しかし十数年前の政権交代を思うと、いまのこの風潮にこそ危ういものを感じずにはいられないのが正直なところだ。

 

 きのう、立憲の代表(札幌出身)が道東や札幌のメーデー集会で「裏金の政治をなくしていく」、「衆院3補選の全勝は通過点に過ぎない」など次期衆院選での協力を呼び掛けたことが報じられていたが、それは地方の暮らしには直接関係しない話だ。

 

 世間の風潮に惑わされずに、地方の暮らしに必要なものを見極めるための、冷静な視点が必要だと感じている。