きょうは「みどりの月間」(4/15~5/14)の真ん中あたり。趣旨にしたがって「みどり」についての造詣を深めてみようか‥。そういえば4/29は「みどりの日」ではなかったか?と一瞬思ったが、ずいぶんと前にどこかへスライドしていて、きょうは「昭和の日」というのだった。

 

 家の周りを見ると、隣地の集合住宅の敷地の端には、雪が解けた後にふきのとうがプチ群生している。そのうちフキに変わってから、伸びてきた雑草と一緒に毎年刈られている。

 

 自宅のほう、窓の下では、いまのところ水仙やヒヤシンスが咲いていて、チューリップはきょうまだ蕾のまま。新聞に中央区北3条広場に飾られた約100種類3千株のチューリップの写真が載っていたが、たぶん連休観光に間に合わせて寄贈されたものだろう。

 

 さて、水仙は子どもの頃から身近にあったのでなじみ深い。そして昭和の時代、「七つの水仙」(Seven Daffodils)という曲があって記憶にも深い。アメリカのブラザース・フォア (The Brothers Four)というフォークグループが歌ったものが時々ラジオから流れた。

 

 歌詞は、邸宅など持てないかもしれない、土地もお金もない貧しい人が恋人に七つの水仙を捧げるという内容で、某県知事でなくても“貧乏くさい”といいそうなものだが、英語の理解には役に立った。この曲で、マンション(mansion)は本来「大邸宅」の意味だと知って、街中で〇〇マンションという木造2階建てのアパートを見るたび、見栄っ張りの家主を想像するようになっていた。

 

 それにしても「七つの水仙」は、つくづく昔の歌だと思う。僕が邸宅を手に入れることは無理かもしれない、その為の土地も持っていない、それどころか、両手の中には皺くちゃの1ドル紙幣すらない、でも千の丘の朝を見せてあげられる、そして7つの水仙をあげることができる‥。

 

 令和のいまどき、経済より誠実さを訴えるこんな歌詞に共感したり価値を見出す人はどれほどいるだろうか?それより、「七つの水仙」だったら画像を加工してからインスタにアップして、とかの“映え”にこだわって、そうしないと相手に「こころ」が通じない、そんなことになっていないだろうか。

 

 「昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」という趣旨の日にしては、どうも思いが貧相になってしまった。いよいよ、昭和が遠く薄れていく‥。