父親譲りのような、というか無二の声の持ち主である。国会議員になってその奔放な発言ぶりが格好のワイドショーネタなもんだから、ずいぶん頻繁にテレビから流れた。おかげで?その声が耳の奥にこびりついていた。

 

 16年ほど前のこと。道でそれが背後から聞こえてきた初めは、よく似た人がいるもんだ、としか思わなかった。青森へ転勤した年の夏だったが、単身赴任の暮らしぶりを家族が見にやってきたので、県内あちこち案内してまわっていたときだ。

 

 昼食のため弘前駅前のホテル駐車場にクルマを置いて、そこのレストランに向かって歩いていると、よく似たその声が聞こえてきた。いるはずがないと思っていても、特徴あるその声がだんだん近づいてくるので、振り返らずにはいられなかった。

 

 見ると、秘書らしき人物となにやら喋りながら、なんと田中真紀子氏本人がこっちへ向かって歩いてくるではないか。デカい声が、さらにデカくなってきた。ホテルの入り口をみると、講演会の案内看板とポスターがあった。

 

 当時はもう自民党を離れていた頃だろうか。伏魔殿発言とか秘書給与流用疑惑で立ち位置も妙なことになり、民主党にすり寄るように、自民党批判を繰り返すようになっていた気がする。

 

 あれからしばらく経って、事実上の政界引退を伝えられていたところ、昨年12月には突然議員会館で集会を開き、またワイドショー的にテレビに登場してきた。「政界大混乱期のいま、眞紀子氏が政治の表舞台へ戻れば、国民は熱狂的に迎える、かもしれない。」などと書いたアホウ(週刊現代)もいた。

 

 結局、この人が政治家としてこれまで国にどう貢献してきたのか、思い当たる事柄がない。他者に対する単なる悪口や中傷、攻撃ばかりが目立って、それをテレビ局等マスコミが“商品”に仕立てて、面白おかしく垂れ流した‥マスコミがもてはやしただけではなかったか。

       

 

 きのう、旧田中角栄邸から出火し、住宅その他を焼損したのは気の毒なことだった。もはや言われもしなくなった「昭和は遠くなりにけり」だが、「目白御殿」の建物が焼け落ちた上空からの映像を見て、昭和は遠くなったどころか、忘れられて消えつつあるとすら思った。

 

 せめてマスコミには、田中真紀子という元政治家を、平成の世に庶民の人気者のように扱って商売に利用したことを反省し、遠い記憶にしないでもらいたいんじゃがのう‥。