掲載にはどんな意図があるのか?そう訊きたくなるコラムが、道新のデジタル版に時々載る。筆者は長らく精神科医療に関わり、現在は平日に北海道は胆振地方の公立診療所で内科診療に従事するかたわら、講演などもしている。

 

 

 毎週金曜更新というコラムにはコーナー名がなく、都度のタイトルのみである。きのう目にしたのが、中東情勢に関連した国内各地の集会やデモ開催の様子と、参加し意見表明することの推奨だった。

 

 筆者個人が、どのような思想を持ち活動し、SNS等で社会批評し意見表明しても、他者に迷惑など被害を及ぼさない限り、私人としての自由であり、なんらさしつかえはない。

 

 しかし、公器たる新聞が、公私の区別がないコラムを漫然と紙面に連載し、読者から購読料を受けるというのは、直ちに見直してもらいたい。

 

 この筆者は、日ごろからSNS上にも意見を投稿しているようだが、しばしば反論が殺到したり、病気を比喩に使う物言いが批判されたりしているようだ。それは自由な意見交換であり、いわゆる“健全な議論”であろう。気のすむまで続ければよい。

 

 ところがこの筆者は、ときに場所を新聞のコラム欄に移して、SNSの反論はおかしい、世界のスタンダードではない、世界の価値観からは大きな遅れだなどと、こんどは新聞購読者に対し、自らの主張を押し付けてくるのである。北海道新聞は、漫然とこれをさせていてはならない。

世界的な価値観のスタンダードってなんだ? 不遜なコラムにカチン! | 玄冬シニアの心象日記 (ameblo.jp)

 

 SNSは、有料無料に関わらずユーザー間の対話が可能である。ユーザーは投稿に対してコメントしたり反論したり、リアクションをつけたりできる。

 

 一方、新聞報道は一方向のコミュニケーションであり、購読者は記事やコラムなどに直接反応することができない。そこが、一方的な個人の思想や主張の押し売りに利用され、購読料を払わされるというのはねがい下げである。

 

 まして、この筆者が社からコラムの原稿料を受け取っているとしたなら、なおさらだ。どうしても新聞紙上で個人の思想や主張を表明したいなら、新聞社に広告料を払って載せるか、別途「読者の声」欄に投稿すべきである。

 

 この筆者、9/1付の同コラムでは、福島第1原発の処理水海洋放出後の騒ぎについて「「抗議やクレームの電話」と「迷惑電話、いやがらせ電話」との線引きはなにか」というのを書いていた。

かける側の目的は本当に「迷惑をかけること」なのだろうか。あるいは、国内からの抗議や疑問の電話もそこに含まれているということはないか。

 

多くの抗議電話を即、「中国からの迷惑電話」と決めつけずに、不安を抱える国内外の人たちへの丹念な説明がこれからも必要なのは、改めて言うまでもないことだろう。

 しかし、先般から問題になっている、国内のクマ駆除や捕獲に対する抗議電話の殺到に関しては、何か反応したという話はこれまで聞かない。同じことを言えば、自身の評判に大きく響くと察知するからだろう。日和見なのである。

 

 新聞は広範な読者層に影響を与え、社会の意見形成に寄与する。道新は、編集綱領に掲げた「公正な社論」と有料購読者を常に意識すべきだ。地元の情報量があるから

購読しているのであって、個人の主義主張に利用されるのは迷惑なのだ。