昨年、弟が他界して、はや一周忌を迎えた。 月日の流れは早い‥。 

 

 社員四百数十人の道内中堅企業の新任取締役として、新たなステージに立った翌々年の秋、弟は、年イチの人間ドックから精密検査を経て、胃に悪性腫瘍が見つかり外科手術が組まれた。この時まで自分は、予後について楽観していた。ところが、手術開始後に転移が見つかり、手術は中止され、転院して化学療法に切り替えられた。腹膜播種と聞いて、深刻さが雨雲のように重苦しくアタマに垂れ込めた。

 

 転院先は、特に消化器がんの診療実績が全道一で、弟の化学療法については、道内ではそこのみという臨床研究の治療法にも取り組んだ。最後は、生来丈夫な弟も病との闘いに体力が尽きたが、当地で受けられる高度な治療に行きついたということでは、 幸いだったと思う。 

 

 亡くなって葬儀が終わった後、弟のカミさんから、手紙のコピーを渡された。弟が余命3ヶ月と宣告されてから、家族に宛てて心境や想いを綴ってあり、遺書のようでもある。そこには、 早くに父を亡くして、中学の頃からバイトが当たり前に生活の中にあって、よく働いた人生だったこと、カミさんと息子、娘への感謝から将来への気遣い、 母に先立つことの申し訳なさ等々、様々な思いがびっしりと書き込まれていた。 

 

 後日、幾度となく 読み返しながら、 エリザベス・キューブラー・ロス(精神科医(終末期研究の先駆者))のいう、死の受容の、否認、怒り、取引、抑うつ、受容といった5つのプロセスを思った。手紙からは、それを思わせるものもあったが、全部は感じられない。自己決定と自立が習慣づいた育ちのせいもあっただろうか‥。

 

 余命宣告の翌月、弟は一家4人で泊りがけの旅行に出かけた。1度目は道東の温泉地、2度めには、生まれて8歳まで過ごした道北の田舎町を訪れ、当時遊びまわった思い出の景色を、LINEして寄越してくれていた。

 その3週間後の早朝、自宅でバイタルが低下した弟は、搬送先のかかりつけ病院で命終した。余命宣告から約2か月後のこと。還暦から4か月たったばかりだった。

 

 自分は兄として、どれだけチカラになれただろうか‥多少の助言はできたものの、無力さの感情ばかりがいつまでも残る‥。弟が自宅の庭に生った大量のブドウを、レジ袋二つに入れて、愉快そうに持ってきたあの日‥毎年の秋の風物詩になると思っていた‥。合掌