十一月二十三日、常陸の国の常磐線「大甕駅」近くの
「久慈サンピア日立」において、
当地の有志がつくる「保守の会」の例会が開催され、
私西村が講師として「日本」について当日の十三時から語れと
「保守の会」の松山昭彦会長から要請されたので、
当日、新大阪駅から午前八時六分発の「のぞみ」に乗って
「大甕駅」を目指した。
しかし、「のぞみ」は
前を走る車両の故障によって百分遅れて東京駅に着き、
その結果、常磐線は勝田駅で降り、
以後、車で「久慈サンピア日立」に向かった。
その目的地までの車中、周りの山河を眺めていて、
水戸以北のこの地は、
昭和十九年九月十五日のアメリカ軍の上陸から
十一月二十七日の歩兵第二聯隊の聯隊長中川州男大佐自決まで
ペリリュー島を守り抜いて
「サクラチル サクラチル サクラチル」
と三回打電して玉砕した
帝国陸軍歩兵第二連隊の兵士の
出身地であることがひしひしと胸に迫った。
九月十五日にペリリュー島に上陸してきた
第一海兵師団を中心にしたアメリカ軍は、
守る歩兵第二連隊を中心とした日本軍の六倍の勢力で、
海兵師団長のウイリアム・リュバータス少将は、
「日本軍は、2、3日(2or3days)で片付ける」
と豪語していたのだ。
しかし、
日本軍は2or 3daysで片付くどころか
リュバータス少将率いる第一海兵師団を壊滅させてから、
十一月二十七日に玉砕するまで戦い抜き降伏はしなかったのだ。
この日本軍の戦いを
敵の総大将である
太平洋艦隊司令長官C・W・ニミッツは次のように語ったと
ペリリュー島の石に刻まれているのを私は現地で確認している。
TOURISTS FROM EVERY COUNTRY
WHO VISIT THIS ISLAND SHOULD
BE TOLD HOW COURAGEOUS
AND PATRIOTIC WERE THE
JAPANESE SOLDIERS WHO
ALL DIED DEFENDING THIS
ISLAND.
「久慈サンピア日立」の講堂に入り、
一時間以上待っていてくれた
「保守の会」の会員の皆さんに会ったとき、
この中の何人かは、
ペリリュー島で玉砕した兵士と
血縁の方々だという思いが湧き上がった。
そこで、一時間半ほど私が語ったことのなかで、
私の真意の要点をここで再現する。
○祖国日本を守るために戦った将兵の心の拠り所であった
「神勅」と「天皇の詔」を教えない義務教育は、
「占領軍による反日教育」である。
○大東亜戦争において玉砕していった日本軍将兵の思いを
教えない義務教育は、
日本の教育ではなく、「敵の教育」である。
○「日本」即ち「天皇と国民」を守る
軍隊と軍備を認めない政治は、
「祖国の敵」である。
○即ち、我が国は、
現在に至るも「敵の占領下にある」のだ!
そして、
その敵の国籍は、既にアメリカではない。
では、何処だ!?
私の職場のいいところ教えて!
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