米国大統領の痴呆疑惑は、バイデンだけではない。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

アメリカ大統領の痴呆疑惑は、

バイデンだけではない


アメリカでは民主党のバイデン大統領が、

「認知症で、痴呆ではないか」という疑念を払拭できず

連日、大統領選挙への出馬辞退の圧力が高まっている。

そして、このアメリカの状況を、

我が国は、「対岸の騒動」と思い込んで眺めているわけだ。

しかし、我が国こそは、

アメリカ大統領が認知症であるか否かに関し、

「対岸の騒動」と思っていてはならない。


その上で、我らは、「歴史を取り戻す」為に、

認知症の疑いがあるバイデンが尊敬している

同じ民主党の

F・D・ルーズベルト大統領(以下、F・D・Rと書く)こそが、

認知症であり、

日本との戦争を欲したのではなかったのか!?

という観点から点検を開始すべきである。

そもそも、

アメリカの前任の大統領ハーバード・フーブァーは、

回顧録の中で、

F・D・Rを「戦争を欲する狂人」と呼んでいるではないか。

前任の大統領から

「戦争を欲する狂人」と呼ばれた男が、

日本の運命を決する

一九三三年(昭和八年)から

一九四五年(昭和二十年)四月十二日まで十二年間、

アメリカ大統領だったのだ!


F・D・Rの母方は,

デラノ家で、

最初はイギリスが占領した香港に進出して

シナ人にアヘンを売って大儲けをし、

次ぎに開港した上海に進出して

揚子江の水運を独占して財閥に登りつめた。

そして、F・D・Rは、幼い頃から、

中国の高価な絵画や工芸品に囲まれて育って

中国の龍のデザインの切手を集め、

中国に愛着を持ち、中国に関心を持つようになった。

そして、大統領になったF・D・Rは、

友人や部下に対して、

自分のデラノ家の、

中国と切っても切れない歴史を語り、

中国に親近感と同情を抱いていると言い、

日本に対抗して、

中国に味方する自分の強い感情を語った。

さらに、F・D・Rは、大統領として、

中国を大国として国際社会に認知させるために

一九四三年(昭和十八年)十一月の

ソ連のスターリンとイギリスのチャーチルが来る

カイロ会談に中国の蒋介石を招く。

そのカイロの宿舎で、F・D・Rは、

陶酔したように、部下達に

デラノ家の歴史と、中国への愛情を語り、

中国大国化の話を続けた。

さらに、F・D・Rは、蒋介石に、

日本に奪われた全領土の回復を約束し、

琉球を取り戻せと勧め、

英国の香港やフランス領インドシナを

中国に与えようと考え、

インドシナを欲しいかと尋ねた。(以上、鳥居民著「昭和史を読み解く」)。

即ち、F・D・Rは、

子供の時から愛着のあるシナを大国にする為に、

日本を打倒して「徳川時代に日本」に戻す!

という妄想に駆られていたのだ。

新大陸に上陸した後にアメリカ人となる連中が、

インディアンを駆逐して西に領土と勢力を拡げ続ける

「神から与えられた使命」

即ち「マニフェスト・デスティニー」がある

と確信したように、

二十世紀のF・D・Rも、

太平洋の西の日本を駆逐する使命があると確信していたのだ。

従って、前大統領のハーバード・フーブァーは、

F・D・Rを「戦争を欲する狂人」と断定したのだ。

この、F・D・Rは、

日本との戦争を開始し、

一九四五年三月十日の、

日本の首都、東京をアメリカ空軍が焼き払う非情なるジェノサイド成功の報告を受けた一ヶ月後の

四月十二日に六十三歳で死んだ。

そして、日本は、

F・D・Rの思惑通り、「徳川時代の日本」に戻された。


一九四六年五月、

ハーバード・フーブァー前大統領と、

D・マッカーサーが会談した。

フーバーが、マッカーサーに、

「日本との戦争は、狂人が望んだものだ」と言うと、

マッカーサーは、同意した。

以上の通り、

日本こそは、この痛恨の歴史的教訓を忘れず、

アメリカ大統領選を注視しなければならないのだ。

その意味で、

今、自民党総裁選挙の立候補予定者として

名前が出ている者の内、

男の連中は、ほぼ、ダメである。

高市早苗が、適任だ!

と断言する!


西村眞悟時事通信FBより

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