本年も、四月後半からニューヨークに赴き、
ニューヨーク在住の同胞同志で組織された
「ニューヨーク歴史研究会」が企画した講演会で、
我が国の現状と課題について報告し、
その後、
一年ぶりにお会いした方々と懇談した。
また、この時、
ニューヨークの八十キロほど北部の
ハドソン川西岸の要衝ウェスト・ポイントでは、
世界の五十数カ国の陸軍士官学校生徒が、
それぞれ十三名(男子十一名、女子二名)で
一チームを編成して、
北アメリカの山野で二日間に渡って
苛酷なレンジャーの技能と体力を競い合う
サンドハースト競技会が行われており、
私は、次の日、同志とともに、早朝からバスに乗って
アメリカ陸軍士官学校のあるウエスト・ポイントに向かった。
このサンドハースト競技会に参加している
我が防衛大学校チームを、
国旗「日の丸」を掲げて応援するためである。
我が防衛大学校の
男子十一名・女子二名からなるサンドハースト訓練隊は、
平成二十七年から、過去七回、この競技会に参加してきたが、
当初から、「日本特有のハンディ」を背負わされて闘ってきた。
その日本特有のハンディとは、
「武器輸出三原則」によって、
生徒たちが、我が国内における訓練で平素使い慣れている小銃や鉄兜(ヘルメット)等を海外に持ち出してはならないという馬鹿馬鹿しい不合理である。
従って、生徒たちは、ウェスト・ポイントに来て、
競技開始直前に、使い慣れない初めての小銃を渡され、
頭に合わない鉄兜をかぶって、広大な山野を移動しながら、
テントを張って寝ることも許されない苛酷な二日間に渡る競技を戦っていたのだ。
これは極めて大きなハンディである。
しかし、このハンディのなかで、
我が防衛大学生徒達は、徐々に成績を上げてきた。
本年のウエスト・ポイント士官学校の校庭における最終競技は、
銃と背嚢を背負った十三名が、
負傷者に見立てた重い数個の人形を共同して背負い、
エンジンがかからない重いトラック二台を押してゴールするというシナリオであった。
ヘトヘトになってゴールに雪崩れ込んできた生徒達は、
我々に「日の丸を見たとき、嬉しかった」と言った。
その迷彩服と同じ塗料を塗った顔に
光る目には涙が溜まっていた。
翌日、ニューヨークで、
同志が開いた生徒達の奮闘を讃え激励する会に参加させていただいた。
異国で見る、祖国日本の為に命をかける覚悟をもって
自らを鍛え助け合って困難に挑戦した男女の若者達は、
素晴らしかった。