令和六年は、
元旦の午後四時十分ころ、
石川県志賀町で震度7、マグニチュード7・6の
能登半島地震で始まった。
しかし、
被害の全容は発災直後では判明せず、
本文を書いている一月十一日まで、日を経るごとに、
能登半島全域における被害状況と死亡者数が
徐々に分かってきた。
産経新聞で報道された死者数の推移は、次の通りである。
三日四十八人、四日七十三人、五日八十四人、
六日百人、七日百二十六人、
八日百二十六人、九日百八十人、
十日二百人超、十一日二百六人。
また、十日現在、
連絡の取れない安否不明者五十二人。
三百九十八カ所の避難所に
二万五千七百七十人が身を寄せている。
この死者数の推移は、
能登半島の地形がもたらした結果である。
つまり、海に囲まれた北東方向に細長い山岳地帯のような
能登半島において、
地震による道路の崩壊により
各所に「孤立集落」が生まれ、
その集落の状況を把握するまで時間がかかったのだ。
従って、崩壊した住居のなかに閉じ込められた人が、
生きている可能性が高い七十二時間以内に
発見され救出されることは少なく、
多くの人は寒さのなかで人知れず亡くなった後に発見された。
これが、この度の能登半島地震の悲惨さで、
都市部の阪神・淡路大震災(平成七年一月十七日・午前五時四十六分)
そして津波に襲われた平野部の
東日本大震災(平成二十三年三月十一日・午後二時四十六分)
の被害状況と異なるところだと思う。
しかし、能登半島では
平成十九年三月五日にも震度六の地震があり、
死者一名、負傷者三百三十六人、
全壊家屋六百七戸の被害があった。
そして、ここ数年、
能登半島で群発地震が発生していたのだ。
従って、石川県と能登半島にある市町村において、
集落と集落を結ぶ道路が崩壊した場合の、
住民救出のシュミレーションが、
自衛隊と警察と消防そして地域の消防団が連携して行われていたのであろうか?
との疑念が生じざるをえない。
何故なら、死亡者数の逐次増加で明かなように、
初動において、つまり七十二時間以内に、
「孤立集落救出策」が実施されたか否か疑念があるからだ。
せめて、知事、市町村長そして自衛隊、警察、消防の幹部の、
村落孤立時の救出策の打ち合わせがあったのであろうか?
次ぎに示す阪神・淡路大震災と
東日本大震災における生存者救出数を対比すれば、
明らかになるが、
地震災害時の被災者救助のポイントは、
如何にして自衛隊を
速やかに現場に突入させるか!
に懸かっているのである。
阪神・淡路大震災の時の生存者救出数は、
警察は三千四百九十五、消防は一千三百八十七人、
そして自衛隊は百六十五人である。
東日本大震災の時の生存者救出数は、
警察が三千七百四十九人、消防が四千六百十四人、
そして自衛隊は一万九千二百八十六人である。
つまり、全生存救出者の中で、
自衛隊が救出した生存者は、
阪神淡路大震災の時は三%に過ぎなかったが、
東日本大震災の時は七〇%に達した。
この三%と七〇%の極端な差は、
阪神・淡路では自衛隊の出動が遅れたが、
東日本では
自衛隊が発災と同時に出動したことから生まれたのだ。
そこで、この被災者の生死を分けるこの出動の時間差は、
何故、生まれたのか。
その原因は唯一点!
即ち、自衛隊の最高指揮権をもつ総理大臣村山富市が、
その自覚がなく、
当日朝、東京で財界人との朝食会をのんびりとしていたからだ。
これが、神戸・淡路の被災者の生死を分けた。
昔から言うではないか。
「阿呆な大將、敵より恐い」と。
この「阿呆」からの自衛隊出動の指示を
今か今かと待っていた松島悠佐中部方面総監は、
総監退任の記者会見で、
この時を思い起こして無念の涙を目に溜めた。
では、十六年後の
東日本大震災の時の総理大臣菅直人は優秀だったのか。
結論は、
天に意思があるかの如く、
「村山富市よりも阿呆!」
だったのだ!
従って、自衛隊は
阿呆を無視して発災と同時に被災者救出に突入した。
自衛隊幹部の五体のなかには、
十六年前の、
「阿呆の命令を待った無念の思い」
が煮えたぎっていたのだ。
平成二十三年三月十一日午後二時四十六分十八秒、
東京市ヶ谷の防衛省A棟十一階で幹部会議中だった
陸上自衛隊の火箱芳文幕僚長は、
マグニチュード9の大地震の揺れを感じた瞬間、
「これは戦(いくさ)だ!」と直感し、武者震いが起きた、
と記している(同人著「即動必遂」)。
そして、火箱陸幕長は、
エレベーターが止まった庁舎の階段を降りながら
被災地に投入する自衛隊各部隊の編制(戦闘序列)を決定し、
最終的に、
陸海空自衛隊で十万七千人の被災者救出救護のための
特別任務部隊が編成されて
一万九千二百八十六人を救出したのだ。
特に、被災地のまっただなかにある
多賀城駐屯の第二二聯隊の連隊長國友昭は、
射撃訓練場からの帰途、
車中で激しい揺れに襲われ、
直ちに妻子も被災している隊員九百名を
帰宅させずに救出活動に突入させ
たった九百人で、
十万七千の自衛隊が救出した約二万人の被災者の
4分の一に当たる四千七百七十五人を救出した。
なを、
「シビリアン・コントロール」とは、
「他国と戦争するかしないかの決定は、
国民に対して最高の政治的責任を負う
大統領か総理大臣が決断する」
ということであり、
災害における国民の救出事例に適用されるものではない。
そこで、能登半島地震に戻るが、
まず、東日本大震災の時の如く、
発災後直ちに自衛隊が投入された形跡はない。
岸田首相と閣僚は、
防災服を着て度々雁首を並べていたが、
首相が
自衛隊の統合幕僚長と陸海空各幕僚長ら四人と
会同したとは伝えられていない。
二度あることは三度あるという。
岸田君も、
阿呆の村山、さらにパーの菅に続くのか?
また、少なくとも県知事は、
能登の地形が分かっているのだから、
発災と同時に自衛隊に出動要請を出すべきだった。
孤立集落に直ちに突入し降下できるのは
陸上自衛隊の空挺団しかないからである。
能登半島沖に
舞鶴港にいる海上自衛隊の「おおすみ」を浮かべて
空挺団のヘリCH47チヌークの発着に使えばいい。
日本列島は、
地球の全陸地面積の0・025%の広さしかないのに、
その下に大陸プレート二本、海洋プレート二本、
合計四本のプレートがひしめき合って常に地震を起こす。
さらに世界中の全活火山の一割が、
この狭い日本列島にある。
世界中で、
このような恐ろしい構造の地面の上に國があるのは
日本だけだ。
しかも、この国土の七割以上が山岳地帯で、
人が住める平野部はまことに狭い。
このような世界一苛酷な地理的条件の日本列島では、
首相と自衛隊幹部は、
常時、即応体制であるべきだ。
以上、
「月刊日本」誌への投稿原稿に加筆した。
お餅は焼く派?煮る派?
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