我が国における「問題意識の欠落」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

九月に入り、

五月の広島のサミットと蒸し暑い八月を振り返るとき、

我が国における「問題意識の欠落」に改めて気付く。

そして、この「欠落」を放置してはならない、と切に思う。


本年の五月十九日から二十一日まで、

我が国政府が主催して広島においてサミットが開催され、

七十八年前に原爆が投下された八月六日、

その爆心地において広島市が主催して、

総理大臣と閣僚そして衆参議長が出席のうえ、

広島原爆死没者慰霊式が開催されて

原爆の犠牲者への黙祷が為された。

広島における五月のサミットにおいても、

原爆が投下された八月六日の原爆死没者慰霊式においても、

原子爆弾の不使用(ノー モア ヒロシマ)が誓われた。


では、冒頭に指摘した「欠落」とは何か?

それは、

五月のサミットにおいても八月の爆心地での式典においても、

内閣総理大臣である岸田首相は、

「核を如何にして抑止するか」

という具体的覚悟を語らなかった、ということだ。

「ノー モア ヒロシマ」

を誓う人々は広島にも世界中にも大勢いる。

しかし、

核を使うつもりで核を開発している者も一杯いるのだ。

従って、

我が国への核攻撃を抑止する

最高の政治的責務を担う総理大臣が、

悲惨無念の爆心地において、

サミット参加国首脳を前にしても、

原爆の犠牲者の御霊に直面しても、

「核を如何にして抑止するか」を語らなかったのだ。

これを、「欠落」と言わずして何と言おうか。

しかし、

我は、岸田首相の「無能」を指摘しているのではない。

現在のこの「欠落」は、

「戦後体制」

即ち「日本国憲法に仕組まれた病巣」

に由来するからである。


そして、実は、

日本国民に、このことを明確に自覚させる為に、

天が仕組んだのかと思えるほど、

第二次世界大戦の敗戦国である西ドイツと日本には、

次のように同じ事件が繰り返し起こっていたのだ。


まず、

一九七二年(昭和四十七年)二月十九日、

日本赤軍の五名が、

銃一丁を所持して人質をとり軽井沢の浅間山荘に立て籠もる。

警察は、

死者三名(二名警官、一名民間人)

重軽傷者二十七名(総て警官)の犠牲を出して

九日後に五人の犯人を逮捕して人質を解放する。

この間,警察は銃で犯人を狙撃することはなかった。

次に、同年九月五日、

銃を持ったPLO(パレスチナ解放機構)の武装組織・ブラック・セプテンバーの八名が

ミュンヘンオリンピックの選手村を襲い

イスラエル選手・コーチ十一名を殺害した。

西ドイツ政府も浅間山荘事件の日本政府と同様に、

警察を以て対処したが、

銃器の性能上、犯人制圧に難渋し、

人質九名と警察官一名が死亡した。

この教訓を基にして、西ドイツ政府は

直ちに銃器の改良に着手するとともに、

連邦国境警備隊(軍隊)に対テロ特殊部隊である

第9国境警備群・GSG9を創設した。

しかし、日本は警視庁と大阪府警に

特殊警察隊SATを創設するに止まった。

陸自にGSG9同様の特殊作戦群が創設されるのは

三十二年後の二〇〇四年である。


なを、この時、

自国の選手とコーチ十一名を殺されたイスラエルは

直ちに報復に着手した。

時のイスラエル首相は、

ウクライナ出身のイスラエル建国闘争の女闘士

老ゴルダ・メイア(一八九八~一九七八年)だった。

彼女は直ちに、

パレスチナのPLO基地十箇所を空爆して

二百名を殺害すると共に

「神の怒り作戦」を発動し、

このテロに関与したPLOの

「黒い九月」(ブラック・セプテンバー)メンバーの

全員の暗殺をイスラエル諜報特務庁(モサド)に命令した。

即ち、ゴルダ・メイアは、

犯人たちを地球の果てまで追いかけて全員殺戮すると決意した。

そして、モサドは、

ローマ、キプロスの首都ニコシア、パリ、マドリード,ベイルートで密かに任務を遂行した。

特にベイルートでは海から潜入して幹部三名を殺害したが、

この特攻作戦の指揮をとったのは,

後にイスラエル首相となるエフード・バラクだった。

そして、モサドは、

遂に最大の頭目であるアリ・ハッサン・サラメの居場所を突き止め、事件から七年後の一九七九年一月二十二日、

ベイルートでサラメを爆殺して「神の怒り作戦」を終了した。

この時、ゴルダ・メイアは、

既に亡くなりエルサレムの墓地に葬られていた。

しかし、

ゴルダ・メイアの発動した「神の怒り作戦」は完遂され、

これによって、イスラエルは、

ユダヤ人に対するテロを行った者は、

地の果てまで追いかけて必ず殺害し報復するという鉄則を世界に示した。

従って,以後、ユダヤ人に対するテロは起こっていない。


ブラック・セプテンバーのテロから五年後の

一九七七年(同五十二年)九月、

日本には、

日本赤軍による日航機ダッカハイジャック事件が起こり、

続いて十月に、西ドイツには、

パレスチナ解放人民戦線によるルフトハンザ機ハイジャック事件が起こる。

そして、日本の福田赳夫総理大臣は、

犯人の乗客を殺すという要求に屈し、

身代金六百万ドルと服役もしくは勾留中のテロリストを釈放して犯人に引き渡した。

これに対して西ドイツのヘルムート・シュミット首相は、

GSG9を

ルフトハンザ機が着陸しているアフリカのモガジシオに送り、

機内に突入させて犯人を射殺して(一人だけ逮捕)、

全人質を解放した。


以上の事件は普く国民に知られている。

しかし、日航機ダッカハイジャック事件と同じ九月の

次の事件は国民に知らされなかった。

即ち、

三鷹市のガードマンであった久米裕(当時五十二歳)さんは、

北朝鮮の工作員に能登半島温泉旅行に誘いだされて、

能登半島の宇出津海岸から

北朝鮮の工作船に乗せられて拉致された。

石川県警は

工作員の自宅から押収した「乱数表」の解読に成功し、

「北朝鮮の国家組織が日本人を拉致していること」

を突き止めた。

この重大情報を基にして福田内閣が

直ちに日本海に面した

福井県、石川県、新潟県、山形県、秋田県、青森県の

各自治体と各県警と自衛隊に

厳戒態勢を指示しておれば、

二ヶ月後、新潟から十三歳の橫田めぐみさんは拉致されず、

それから次々と為された北朝鮮による日本人拉致は防げたのだ。

警察庁は、北朝鮮からの在日工作員に対する

日本人拉致命令を解明する「乱数表」の解読に成功した

石川県警を表彰している。

よって、福田内閣が

北朝鮮による日本国民拉致を知らなかったとは言わせない。


さらに、この久米裕さん拉致と日航機ダッカハイジャック事件

そしてルフトハンザ機ハイジャック事件と、全く同時期に、

西ドイツのヘルムート・シュミット首相が取り組んでいた

「核弾頭ミサイル抑止」の実践に、

福田赳夫内閣とマスコミが無関心を決め込んだことは、

我が国の「戦後体制」とは

「国家と国民を裏切る体制」であることを証明するものである。

この時に、

ソビエトの実戦配備した中距離核弾頭ミサイルSS20は、

単に西ドイツ(NATO)に向けられたものではなく、

極東にも配備され

日本とアラスカを射程に入れていたからである。


従って、本年五月、広島でのサミットを主催した岸田首相は、

この西ドイツのヘルムート・シュミット首相の核抑止の実践を知った上で、

広島で爆発した核によって殺された人々の御霊に応える為に、

広島のサミットにおいて

「核の抑止の為の覚悟」

を論じるべきであった。


ソビエトは、一九七七年から

西ヨーロッパ(NATO)の総ての主要都市に届く

射程五千キロの中距離核弾頭ミサイルSS20の

実戦配備を開始した。

この時、NATOにあったのは

射程が短くてモスクワには届かないオネストジョンやナイキハーキュリーズであった。

これを知った西ドイツのヘルムート・シュミット首相は

同年十月,ロンドンで開催された講演会において

次の通り「NATOの二重の決断」を促す演説をする。


① 政治的・軍事的バランスの回復は我々の安全保障にとって死活的に重要である。

② そのバランスの維持は、安全保障の必要条件であるだけではなく、東西デタントに実りある進歩をもたらすためにも必要である。


そのうえでNATOは、一九八三年、アメリカから

命中精度を誇り,モスクワに届く

中距離核弾頭ミサイルパーシングⅡを導入する。

このパーシングⅡによって、

政治的・軍事的バランスの回復を実現した上で、

NATOは強く東西デタントを進め、

一九八七年十二月,米ソはINF条約に署名して

SS20は撤去される。

ここにおいて、ヘルムート・シュミットのロンドンにおける演説が実現したのだ。


この歴史の先例を広島のサミットで、

岸田首相が、見習うべき歴史の教訓であり日本の覚悟であるとして発言すれば、

当時、ヘルムート・シュミット首相に従った

アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、フランスの各首脳は頷かざるを得ない。

即ち、我が国が、

北京と上海と重慶に届く中距離核弾頭ミサイルを

アメリカから導入することに彼らは反対できない。


なを、次のことも知っておかねばならない。

一九八三年、西ドイツがパーシングⅡを導入するとき、

ヨーロッパに猛烈な「反核平和運動」が湧き起こった。

しかし、ソビエト崩壊後(一九九一年)に、

クレムリン秘密文書は金を払えば閲覧可能となり、

その反核平和運動の実態が明らかになった。

即ち、

その反核平和運動を組織したのはソビエトだったのだ。

よって、中共も確実に、我が日本国内で,

茶番の反核平和運動を煽るだろう。

以前、安全保障法制の整備の際に、

国会議事堂前で大規模な反対運動が行われた。

その時、

日本人のような顔をしている者の

掲げていたプラカードに書かれていた漢字は

中共の略字だった。

現在の中共による福島第一原発処理水の海洋放出非難も、

反核運動の予行演習である。

よって、我が政府は、決然と、

中共の不当性を世界中に表明して

断乎として反撃すべきだ。


西村眞悟FBより

日本日本日本

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