日本国憲法無効論 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

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 本年、令和四年は、

二月のロシア・ウクライナ戦争の勃発に加えて、

台湾を飲み込もうとする中共が、

台湾周辺海域、

則ち、我が国の排他的水域内に二発のミサイルを撃ち込み、

我が国の北西指呼の間にある北朝鮮の

公私の区別も習わなかった肥った三代目が、夏が過ぎてから、

幼い娘を発射現場に連れてきて(親の顔が見たいよ)、

花火を見物させるかのように、

盛んにミサイルを我が日本の方向に打ち上げてくれたお陰で、

我が国の国民のなかに、危機感が高まり、

連立与党間で、ミサイル防衛の議論が始まった。


しかし、その連立与党間の議論は、

「日本国憲法の枠内」で行なわれている。

では、「日本国憲法」に何と書いてあるのか?

それが分かって議論しているのなら、

舞台で、からくりが見え見えの手品をして出演料をせしめる芸人よりもたちが悪い。

何故なら、観客は、芸人に騙されても死ぬことはないが、

国家の防衛で騙されれば、

前線で国防の任務を遂行する自衛隊員と

銃後の多数の国民が死に、

国家が存亡の危機に陥るからだ。


国会で国防を議論している諸公等、

その程度の議論で、議員歳費をよくも受けとれるものよ。

まず、「日本国憲法の枠内」で議論をするというなら、

そこには次のように書いてあるので確認する。


●前文、

「日本国民は平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、

われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

●第九条第一項、

「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、

国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、

国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

●同条二項、

「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、

これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」


我が国の西方に広がる大陸の、

北からロシア、北朝鮮そして中共は、

「平和を愛する諸国民」ではない。

則ち、彼らに「公正と信義」はなく信頼できないではないか。

また、我が国においてミサイルを保持し、

それを撃つ自衛隊は軍隊ではない?

さらに、そもそも、我が国には交戦権がない?!

交戦権がなくて、如何にして国を守れと言うのか!?

馬鹿も、休み休み、言え!

このような「日本国憲法の枠内」で、

議論をした振りをして、

さも国防の新天地の幕を開いた如く、記者会見をするな。

それは、悪質な種の開いた手品である。

また、「専守防衛」だから、

敵がミサイルを撃ってから、

その敵基地を攻撃できるとは、どういうことだ。

座してヒロシマとナガサキに続く三度目の核が、

何万の我が国民を殺してから防衛行動が可能だと言うのか!


一五八八年、スペインとのアルマダの海戦で

スペイン艦隊を壊滅させた

海賊上がりのイギリスの海軍提督

サー・フランシス・ドレイク(キャプテン・ドレイク)は、

「イギリスの防衛ラインは、

イギリスの海岸線ではなく、

海のうえでもない。

大陸の敵基地の背後だ。」

と言った。

そして、イギリスは、

一八〇七年、このキャプテン・ドレイクの言った自衛権を

現実に行使した。

次の「デンマーク艦隊引渡請求事件(The Case of Danish Fleet)、紛争当事国、イギリス、デンマーク」である(田畑茂二郎京都大学名誉教授編「ケースブック国際法」より)。


ナポレオンは、イギリスを屈服させようとしていた。

しかし、一八〇五年十一月のトラファルガー海戦で、

フランス・スペイン連合艦隊が、

イギリス艦隊に歴史的大敗北を喫して

ナポレオンの企画は打ち砕かれた。

そして、この海戦の結果、

デンマークの海軍力がイギリスに次いで世界二番目となった。

そこでイギリスは、

デンマークが、その国境を接する背後のドイツまでフランス軍を駐留させているナポレオンに屈服すれば、

ナポレオンがデンマーク艦隊を

イギリス侵略の手段に使うことを恐れ、

デンマークにイギリスとの同盟関係に入ることを提案した。

しかし、デンマークはこの申し出に応じなかった。

そこでイギリスは、一八〇七年七月、

特使をデンマークに派遣するとともに、

コペンハーゲン沖にイギリス艦隊を集結させ、

イギリスと同盟関係に入るか、

さもなくば艦隊をイギリスに引き渡すか、デンマークに迫った。

しかし、デンマークは態度を明らかにしなかった。

そこで、イギリスは

八月十六日よりコペンハーゲン市内を砲撃して、

九月七日、デンマークを降伏させた。

その上で、イギリスは、十月二十一日、

七十六隻のデンマークの艦船を接収して

コペンハーゲン沖から退去した。


これが、現在の世界の国際法を教える大学において

自衛権のリーディングケースとされている事案だ。

従って、我が国は、現実的に危険が迫れば、

自衛権に基づいて、

敵がミサイルを撃つ前に大陸の敵基地を撃破して国と国民を守ることができる。

また、これは敵も従う国際法であるから、

我が国の国会であっけらかんと無防備かつオープンにミサイル基地建設の議論をしていると、

敵も、その建設予定地を爆破したり、

沖縄のような「基地反対運動」を起こすことができる。

つまり、今の連立与党のような議論の仕方は危険なのだ。

先ず、スパイ防止法をつくってから

必要な議論を尽くさねばならない。

我が国の現国会や官界やマスコミ界には、

常に中共やロシアや北朝鮮に

「情報提供」する者がいると知るべきである。

こう言えば、

諸兄姉には、

国会の何某、何某々・・・の顔(ツラ)が浮かぶだろう。


さらに、我が国に於いて、

目を瞑れば世界が無くなると思い込むが如く、

目を瞑って見なかった重要問題を指摘しておく。

それは、

昭和五十二年(一九七七年)のことだ。

この時、ソ連はヨーロッパや中東の全ての都市に届く

中距離核弾頭ミサイルSS20(射程5000キロメートル)の実戦配備をした。

また、このSS20はアジアつまり日本やアラスカを射程に収める位置にも展開された。

しかし、この時、NATOにはモスクワ・レニングラードに届くミサイルは配備されておらず、

射程5~6キロメートルのオネストジョンや

射程120~160キロメートルのナイキハーキュリーズしか配備されていなかった。


そこに、この年の十月、

日本と西ドイツの、

福田赳夫首相とヘルムート・シュミット首相は、

同時に起こった日航機ダッカハイジャック事件と

ルフトハンザ機ハイジャック事件に直面した。


この時、福田首相は

「超法規的措置」として

ハイジャック犯人である日本赤軍の要求を受諾し、

六百万ドルと拘束中のテロリスト六人を犯人に引き渡して人質を解放してもらった。

他方、シュミット首相は、

軍の対テロ特殊部隊GSG9をルフトハンザ機内に突入させて犯人の一人を逮捕し

他の犯人全員を射殺して人質全員を解放した。

このように、日独両首脳は、

全く違う次元でハイジャック事件に対処して、

それを「解決」してから、

福田首相の目は、

東京に届くSS20を見ずに内政に転じるが、

シュミット首相は、

目をドイツに届くソビエトのSS20抑止に転じたのだ。


従って、シュミット首相は、同じ十月の二十八日、

ロンドンにおいて開会された国際戦略研究所主催の記念講演において、

次のようなアピールを行った。


☆軍事的バランスの回復は、死活的に重要である。

バランスを重視しないほうがよいというのは

幻想に過ぎないと警告する。

☆バランスの維持は安全保障の必要条件であるだけではなく、

東西デタント(INF軍縮交渉)に進歩をもたらす。


そこでNATOは、一九七九年十二月、

シュミット首相の言った通りの、

SS20に対抗する命中精度を誇る中距離核弾頭ミサイルである

パーシングⅡ(射程500~5500キロメートル)を

アメリカから導入するとともに

軍縮交渉を開始するという

「NATOの二重の決断」をして、

一九八一年十一月、米ソのINF交渉が開始された。

その後、

パーシングⅡが西ドイツに配備が開始された時に、

INF交渉は中断されるが、

ミハイル・ゴルバチョフが

ソ連共産党書記長に就任してから再会され、

結局、一九八七年十二月、

アメリカのロナルドレーガン大統領と

ソ連のミハエル・ゴルバチョフ書記長は

INF条約に署名した。

ドイツのシュミット首相のロンドンでの演説から丁度十年後に、

シュミット首相の構想通りの軍縮が達成されたのだ。


しかし、アジアに於いては、

米ソのINF条約に拘束されない中共が、

一貫して中距離核弾頭ミサイルの増殖を続けて

現在に至っている。

そして、さすがの米ロも、

二〇一九年、INF条約を廃棄するに至った。

従って、今こそ、我が国首相は、

一九七七年十月の西ドイツのシュミット首相の如く、

極東における軍事バランスの回復は死活的に重要であること。

そのバランスは、

アジアの安全保障の必要条件であるとともに

アジアの軍縮交渉に進歩をもたらすと宣言して、

我が国に、

中共の主要都市と

北朝鮮の平壌と

ロシアのウラル東方の主要都市に届く

中距離核弾道ミサイルの配備を

アメリカと連携かつ協働して開始すべきだ。


その時、必ず、

我が国内に大規模な反核運動・反基地運動が起こるであろう。

しかし、それは

確実に中共が仕掛ける運動である。

その反核運動のなかで演説する国会議員は、

もちろん、あの某々である。


クレムリン秘密文書で明らかになったことは、

西ドイツにパーシングⅡを導入するときに起こった

NATOにおける大規模な反核運動は、

ソビエトが仕組んだ運動であったということだ。

中共独裁体制崩壊後に明らかになることも、

ソ連と同じ、対日謀略行動である。


(以上、月刊日本誌への投稿原稿に加筆した)

西村眞悟FBより

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