呂さんと浮くさんの「エビデンス」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 


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エビデンス

よく聞く言葉に「エビデンス」という言葉があります。
「証拠」や「証明」といった日本語の代替用語として用いられているようです。
本来の意味は「e-(外に)+videre(見える)」で、表に見えている様子を意味する言葉です。
そこから「証言」などについても、用いられます。
要するに「表向きに現れた事実」のことを言い、そこから言質(証拠になる言葉)などについても、用いられることが多い用語です。


中略


さらにこれが「歴史学」になると、もっと酷い状態になります。
例えば古墳。
古墳がなぜ生まれたかについては、「皇族貴族や豪族といった権力者が、自分の持つ権力の大きさを墓の大きさで表現しようとした世界的に珍しい遺構である」という墳墓説が一般的です。
これは学会の定説であり、このことを証明した本や論文はたくさんあります。
学校の教科書も、学者さんたちのそうした墳墓説説に依拠して記述されています。
ですから「エビデンス」として、そのように書かれた本や論文を出せ、といわれれば、それらはいくらでも挙げることができます。


中略

たとえば古事記に、天照大御神さまが岩屋戸からお出ましになられる際に、天手力男神が、力にまかせて天照大御神さまを岩屋戸から「引っ張り出したのだ」という、よく世の中に通っているご説があります。

ここは原文では「天手力男神取其御手引出」とあるところです。
しかしここでいう「其御手引出」は、従来説のような
㈠「天手力男神が、天照大御神さまの御手をとって強引に力にまかせて引っ張り出した」
とも読めますが、そうではなく、
㈡「天手力男神が、天照大御神さまの御手を引かれ、天照大御神さまは(自らの御意思で)岩屋戸からお出ましになられた」
とも読めるわけです。

普通常識で考えて、天照大御神さまは最高神です。
最高神というのは、いわば最強の神様ですから、天照大御神さまが、ご自身で岩屋戸からお出ましになられる御意思がなければ(まさに御神意)がなければ、天手力雄命がいくら力自慢であったとしても、天照大御神さまの御手を取ることも不可能なら、強引に力任せに引っ張り出すなどありえないことです。
もし天手力雄神がそのようなことをするならば、まさに天照大御神さまの鎧袖一触、天手力雄神は、遠く宇宙の果まで飛ばされてしまわれたかもしれない。
ここでは、どこまでも天照大御神さまの御意思が尊重されたと読むべきで、それ以外の㈠のような解釈は、本来成り立たないといえるわけです。

昨今、呂さんと浮くさんの紛争が、さかんにメディアを賑わせています。
メディアの報道は、一方的に呂さんが悪いというものです。
けれど、実際はどうなのか。
それは、客観的事実に即して、自分の頭で考える必要があります。
なぜなら、本来、両論併記すべきメディアが、一方的な情報を流している場合、そこに何らかの情報操作や、利権が隠れていることが多いからです。

そして我々日本人にとって大切なことは、呂さんと浮くさんの紛争で「どっちがわるいか」や「どっちが勝つか」にあるのではなく、我が国が、どう選択し、どう行動して、我が国の国益を護るのかということです。
日本は日本で、身近なところに自称超大国の忠華さんという反日国を抱えているのです。
呂さんと浮くさんの紛争が、忠華さんにどのような影響を与えるのか。
その中で日本が、そして台湾が平和を維持していくには、いま何が必要なのか。どう行動すればよいのか。

本来はそうした知見は、それなりの戦略スタッフや専門の政府諜報機関が、しっかりとした戦略を構築し、国民を善導していかなければならないものです。
けれど残念ながら日本の政府は、親米ポチであり、国益よりも外国の利益を優先するという、不思議な政府です。
政府だけのせいではありませんが、おかげで日本は30年以上続く不況をいまだに脱出できていません。
私たちは、自分の頭で考え行動することができるようならなければならなくなっているのです。

未来は、今の思考や行動によって変わります。
どのような未来にやって来てもらうかは、いまどのように生きるのか、どのように判断し行動するのかにすべてがかかっています。
誰かを頼ったり、人の話を鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考え行動することができるようになることが大事です。

【併合時の日本政府からKorea総督府への通達】というものがあります。
詳しいことは
https://nezu3344.com/blog-entry-1690.html
に掲載しています。

このなかに、次の言葉があります。

・彼らは争議に際して、弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。
 権威称号を称する同道者については、関係各所への身元照会を行うこと。

「権威ある人の言うことだから正しい」
「本に書いてあることだから正しい」

このような考え方は、歴史学会等ではとても重要視されますが、一般社会生活では、あまり人生に良い影響を与えません。
早々に捨て去ることです。

従来意見を捨てて行きます。
すると事実だけが残ります。
その事実を基に、自分の頭で考えます。
事実と事実を合理的かつ客観的、論理的に再構成するのです。
するとこれまで霧に覆われて見えなかったものが、はっきりと見えてきます。

そこに「真実」があります。
事実だけが「エビデンス」の名に値するものです。


※全文はブログからお読みください。

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