「さらに、ロシアについて」
以下、思いつくままに。
ロシアは、遮るもののない平原の上にある国家であり、
十三世紀に東から平原を疾走してきたタタール・モンゴルに蹂躙され、十六世紀後半まで二百数十年間にわたって
タタール・モンゴルの頸城の下に隷属民として生きた。
この地理と歴史が「ロシア」を造った。
ここが、
周囲を海に囲まれて
鍵をかけずに安眠できた日本との相違だ。
つまり、
平原国家ロシアの国境線は、
ロシアの「中央権力」が弱ければ内側に動いてくるが強ければ外側に動く。
従って、ロシアの衝動は、
常に「中央権力」を
自らを蹂躙し支配した
タタール・モンゴルの如き強い専制独裁権力して、
国境線の外側の敵を駆逐して国境線を外に動かす、
もしくは、
国境線の外に親ロシアの安全圏を拡大する、
ということになる。
つまり、
「独裁者なき、ロシアなど、あろうか」ということだ。
この度、
ロシアのプーチン大統領が独裁者となって
ウクライナのNATO加盟を阻止するために、
ウクライナに侵攻して領土を奪い
親ロシア政権を造ろうとしているのは、
以上のロシアの地理と歴史から生まれる衝動によっている。
従って、
このプーチンのロシアの動きを止める為には、
ウクライナに侵攻してきた
ロシア軍を潰滅させるか、
プーチンの権力を
内部崩壊させるしかない。
明治三十七、八年(一九〇四~五年)の日露戦争において、
陸軍歩兵総数では、ロシア軍の約九パーセント
海軍保有艦艇総トン数においてはロシア海軍の約五〇パーセント
の我が国がロシアに勝利したのは、
陸においては奉天大会戦
海においては日本海海戦
に、我が陸海軍がロシア陸海軍に勝利したからだけではなく、
遙かロシア西方において明石元二郎陸軍大佐が、
密かにロシアのツアー(皇帝)の権力を内部崩壊の方向に揺さぶる極秘に行った諜報謀略が功を奏したからだ。
レーニンを口説いて
スイスからロシアに送り込んだのは明石元二郎大佐である。
そのレーニンがロシア革命を起こしたと表面史では語られるが、
表には現れない諜報謀略の世界では、
ロシア革命を起こしたのは明石元二郎大佐である。
眞の特務機関員は、何も語らないで死んでゆく。
明石元二郎大將は、第七代台湾総督のまま、
「護国の鬼となって台民を守らん」と遺言し
今、台湾の新北市三芝区の福音山墓地に眠っておられる。
以上は、ロシアという国家の
地理と歴史からもたらされた
権力者の本質と
権力者が如何なる動機もしくは衝動で軍隊を動かすか、
についての話だ。
では、
「ロシアの大地」に生きる民衆の物語について、
我々はどのように思えば良いのだろうか。
雲をつかむようなことながら、
明治以降、日本人が最も多く読んだ外国文学は
ロシア文学だったという。
全くの西洋ではない
東洋のロシアの大地を感じるからだろうと思う。
ナポレオンは大軍を率いて、
モスクワ近郊の丘の上からモスクワを眺め、
「この東洋の都」と言ったと聞いている。
ロシア文学には、
フランスから呼ばれた家庭教師に教育をうけて、
ロシア語よりフランス語をしゃべる上流階級の女性と、
ロシアのスラブの大地から生まれたような素朴な、
西洋的ではない女性が出てくる。
私は、学生時代、
ロシア思想史専門のトロッキー髭を生やした
勝田吉太郎教授の講義を受けたが、
次の話以外は、全く覚えていない。
ある日の授業で、
ドストエフスキーの小説「罪と罰」の話になった。
先生は、言った。
「あのねえ、素晴らしい女性がでてくるんだよ。
ソーニャという娼婦なんだ。
僕は、このソーニャのような娼婦に会いたいよ。」
確か、「罪と罰」の物語の最後で、
老婆を殺してシベリアに流刑され、
ある日の朝、
丸太に座り込んで果てしない草原を呆然と眺めている
ラスコーリニコフのかたわらに、
ソーニャが立っていた情景が思い出される。
確かに、ロシア文学のなかには、
西洋的ではないロシアの大地に生まれた
素朴で魅力的なスラブの女がでてくる。
また、私の先輩は、ソビエト崩壊後に
来日して酒場のホステスとなって働く
ロシア女性の店によく通って、
「ロシアの女性は、良いよ~、他の西洋の女とは違う」
とよく言っている。
その度に、勝田吉太郎先生を思い出す。
とは言え、
この「さらに、ロシアについて」を書き始めたのは、
戦後、ロシアのラーゲリー(収容所)に
昭和三十一年まで十一年間収容され、
帰国後、北海道大学教授や上智大学教授となったロシア文学者
内村剛介さん(一九二〇年生まれ)が、伝えている
関東軍作戦総参謀長秦彦三郎中将が、
臨終間近に内村剛介さんに語った、言葉を伝えたい為だ。
秦中将も、内村剛介さんも、
関東軍総司令官山田乙三大將ら関東軍首脳と共に
イワノボというラーゲリーに昭和三十一年まで収容された。
秦中将は、帰国して三年後の昭和三十四年に亡くなるが、
臨終近い別れの日に、内村剛介さんに次のように語った。
「私は、生涯ロシア・サービスで一貫し、
ソ連にも長く駐在し、ソ軍の演習にも参加した。
でも、何一つ分かっちゃいなかった。
敗戦後ソ連の収容所暮らしをするまでは・・・。」
この時、内村さんは、
「監獄に入ったことのない者は、
その国がどのような国家が、知ってはいない」
と書いたトルストイを遙かに思い出していました、
と記している(同氏著「ロシア無頼」より)。
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