昭和二十七年、八年のことを思う。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

昭和二十七、八年のこと思う。

父が僕に大きな想いでをくれた。

父に連れられて、多分、蒸気機関車の列車の東海道本線で東京に向かう時、寝ている僕を父が起こして、列車の最後部の展望車に連れていってくれた。展望車は無蓋の空から四方八方を見渡せる車輌だ。その展望車に出て、父が指差した方を見ると、青い空に雪をかぶったま白い富士山が聳え立っていた。僕は息をのんで富士を見つめ続けた。

その日以来、今に至るまで、

富士は父からもらった聖なる霊の山になった。

それから現在に至るまで

富士を眺める度に父を思う。

二十日、堺から御殿場に行き、父が創設した富士社会教育センター(民社党党学校)に泊まり、

二十一日、陸上自衛隊富士学校を訪れて昭和十七年二月十四日、パレンバンに空挺降下して巨大な石油施設と空港を奪取して我が国の大東亜戦争の継戦能力を確保した奥本實中尉がその戦闘中に履いていた貫通銃創を受けている皮の脚絆を拝見したあと、広大な東富士演習場を案内してもらった。写真はこの二日間、

いつも近くにあった富士山。

新東名からの富士、

次に富士社会教育センターからの富士

そして、総合火力演習が行われる東富士演習場からの富士。








陸上自衛隊富士学校前の四人。

左から息子の日加留、奥本實中尉の息子康大氏、私、映画監督野伏翔氏。

富士学校資料館🏫ある奥本實中尉の貫通銃創を受けた脚絆。

富士社会教育センターの国旗、党旗掲揚塔前、

夜、極寒の野外バーベキュー

総合火力演習場にて。












西村眞悟FBより

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