三島由紀夫が甦って我らに、「日本国憲法」の廃棄を促している。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

三島由紀夫が甦って我らに、「日本国憲法」の

廃棄を促している。


三島由紀夫は、

五十一年前の昭和四十五年十一月二十五日に割腹自決するが、

その四ヶ月前に、新聞に次の一文を寄稿した。

「このまま行ったら

『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。

日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からぽな、

ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、

或る経済大国が、極東の一角に残るであろう。」

そして、三島由紀夫は、

このような「或る経済大国」を拒否し、

英霊と共に「日本」に生きる道を選んだ。

日本においては、

特攻隊員が出撃直前に語ったように、

「今、死ぬことがよく生きること」だからである。

日本が日本である限り、

楠木正成は必ず甦り、

英霊も三島も必ず甦るからだ。


さて、この度(令和三年九月)の自民党総裁選挙を見ていてふと思ったことは、

「今、日本には二つの国があって、その双方から候補者が出ている」ということだ。

その一つは、三島由紀夫が言った

「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、抜け目がない国」

であり、

もう一つは

「日本」である。

前者からは、

文字通りの小泉チルドレンが応援する河野チルドレンが、

後者からは

高市早苗が立候補していた。

そして、

もともと帰属不明でどちらにも迎合できる岸田文雄が、

決選投票で日本に帰属する高市の支援を受けて当選した。

従って、

岸田文雄首相は、秋が過ぎた頃には、

総裁選挙前の、頼りない帰属不明のボンボン顔から、

少しは日本を担う風格を持つに至るであろう。

これ、高市が根ざす「日本」の持つ力であり、

ここに、高市立候補の国家に対する功績がある。

即ち、我が国は、今、

「日本」に回帰できるか否かの、

存廃がかかった分岐点にあり、

高市の存在によって、

前記のチルドレン達の生きる「或る国」への転落を、

ひとまずは回避できたのだ。


現在、我が国を取り巻く内外の情勢は、

五十一年前と比べれば、格段に厳しい。

三島由紀夫の生きた頃には、

日本が日本でなくなっても、

「或る経済大国」が極東の一角に残る、と予測できた。

しかし、現在は、

我が国が国家として残る可能性はなく亡国に至るのだ。

即ち、日本は消失し、

「或る中共の自治区」が極東の一角に誕生することになる。

そして、その時には既に中共の掌中に墜ちている

「台湾自治区」と共に、

日本列島は、世界の富の過半数が動く

インド・太平洋のシーレーンを

中共が支配して、中共が世界の諸民族の上に君臨する為の

中共の最前線軍事基地(不沈空母)にされているであろう。


以上の通り、現在、我が国は、肇國以来の危機に覆われている。

その亡国に転落するか、再興に向かうかの分岐点において、

亡国の方向に傾斜していく

「ラースト・ストロー」になり得たのが、

この度の自民党総裁選挙、実質的な内閣総理大臣選挙であった。

「ラースト・ストロー」であるから、

自覚する人士が少なかった。

しかし、三発目、四発目の原子爆弾が落とされても

我が国は滅ぶことはないが、

それとは全く違う目に見えない工作によって、

我が国は、今、

まさに真の亡国の危機の淵に立っていると

自覚しなければならない。

その「工作」とは、

国内と国外(中共)から日常的に繰り返されているもので

その工作要員は、

国会、中央地方の官界、マスコミ界、教育界にいる。

よって、これから、

現在の目に見えない危機から脱却する為に、

三島由紀夫の指摘した

「日本が日本でなくなってしまう」

というわが国の急所の源を辿りたい。


まず、一九四〇年(昭和十五年)に生まれ、

令和二年に日本人として七十九歳で亡くなった

C・W・ニコルが言った忘れ得ない言葉を紹介する。

C・W・ニコルには、彼が和歌山南端の太地に住み着いて日本の捕鯨を学んでいた頃から、

会いたいと思っていたが。今生では会えなかった。

彼は、来日した頃、

自分を、ケルト系スコットランド人だと自己紹介し、

日本国籍を取得した後には、

スコットランド系日本人だと言った。

ある時、彼は一万年以上昔の縄文時代の遺跡を訪れた。

その時、同行者の一人が、

「この遺跡を造った人々は、今、何処に行ったのか」

と呟いたとき、

ニコルは

「あなた方の血の中にいるよ」

と直ちに言った。

彼のこの言葉を聞いたとき、

彼が日本に住み着き、日本人になった理由が分かった。

それは、彼のケルトの血がそうさせたのだ、と。

即ち、キリスト教以前の血の記憶(情感)をもつ

C・W・ニコルにとって、

日本は古里だったのだ。

彼が子供の頃に、可愛がっていた犬が死んだ。

その時彼はキリスト教の神父に、

この亡くなった犬は天国に行くかと尋ねた。

すると神父は怒って、

犬の如き魂のないものが天国に行くはずがないのだ、

と彼を叱った。

しかし、彼は日本に来て、

自分も愛する犬も、

さらに山川草木、生きとし生けるもの総てが、

等しく神々とともに存在する精神世界が日本に日本に存在することを知ったのだ。


即ち、日本では、太古の記憶がキリスト教によって切断されておらず、

古代ローマ人にケルト(未知の人)と呼ばれた民族と同じ精神世界が続いている。


ここにおいて、我々日本人が、明確に自覚しなければならないことは、

現在の国際社会のなかで、

キリスト教化されなかった唯一の近代国家は日本だけであるということだ。

キリスト教化されるとは、

多神教の民族の記憶を奪われることである。

この記憶を奪われればどういう状況になるか。

奪われた民の一人であるフランス人の文科人類学者クロード・レブィ=ストロース(一九〇八~二〇〇九年)が次の通り記している(「日本論月の裏側」)。

「・・・あなた方は一個の文明を持っておられた。すなわち、縄文文明を。

それを他の何に比較しようとしてもできるものではない。

ここから私はこう言いたい。日本的特殊性なるものがあり、それは根源からしてあったのだ。

そしてそれが外部からの諸要素を精錬して、つねに独創的な何物かを創りあげてきたのだ、と。

・・・われわれ西洋人にとっては、

神話と歴史の間に、ぽっかりと深淵が開いている。

日本の最大の魅力の一つは、これとは反対に、

そこでは誰もが歴史とも神話とも密接な絆をむすんでいられるという点にあるのだ。」


そこで、我が国の歴史を振り返れば、

我が国は国家の危機において、

自覚的かつ確信的に神話との連続性を確認してその危機を乗り越えてきたことが明確になる。

皇統の最大の危機であった宇佐八幡神託事件(道鏡事件、七六九年)では

「我が国開闢以来、君臣の分、定まれり、

・・・天つ日嗣は必ず皇緒を立てよ、無道の者は掃除すべし」

との神勅を以て危機を克服した。

豊臣秀吉は、北九州のキリシタン大名の領地で

神社仏閣が破壊され領民の少女が奴隷として欧州に運ばれているのを観て、

キリスト教が我が国の國體を否定するものと見抜き、

二百六十年前に南朝の北畠親房が「神皇正統記」の冒頭に

「大日本は神國也」と記したと同様に、

冒頭「我が日本は神國である」と宣言した切支丹伴天連追放令を発した(一五八七年)。

さらに二百八十年後、

欧米諸国の攻勢に直面した幕末の危機を克服する

明治維新を告げる「王政復古の大号令」(慶応三年十二月九日)は、

「諸事神武創業之始に原(もとず)き」と宣言された。

そして、最大の危機である大東亜戦争終結の詔書において、

昭和天皇は

「茲ニ國體ヲ護持シ得テ」と

「誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ」と

二度にわたり「國體」という言葉を使用されて、

我が日本開闢からの連続性を国民に強調されたのだ。

 

この大東亜戦争終結の四年前に、

哲学者の西田幾多郎は、昭和天皇に次の通り御進講した。

「歴史は、いつも過去・未来を含んだ現在の意識をもったものと思います。

ゆえに私は、わが国においては、肇國の精神に還ることは、

ただ古に還ることだけではなく、

いつもさらに新たな時代に踏み出すことと存じます。

復古ということは、いつも維新ということと存じます。」


このわが国の危機克服の歴史を概観した上での

西田幾多郎の「復古ということは。いつも維新ということと存じます」とは、

わが国の神話のなかに普遍的で根源的なものがあり、

その普遍的で根源的な民族生命そのものが、

常に新時代に対処するための新しい日本を創造してゆくということだ。


ところが、昭和二十年九月二日のわが国と連合国との降伏文書調印から始まった

連合国による我が日本の占領統治は、

日本国民の敗戦による心の空白に乗じて、

民族生命の原始無限の力の源泉である

神話と現在の連続性を巧妙に切断したのだ。

これこそ、彼らが、非キリスト教国に対して数百年にわたって行ってきた

民族を無力化させる手法であった。

世界は今、

イスラム原理主義がアフガニスタンのバーミヤンの巨大仏教遺跡を

ダイナマイトで破壊したことに驚いているが、

キリスト教が、近現代に、世界の白色人種以外の民族から

その精神的拠り所を奪って植民地にしてきた巨大な暴挙に比べれば、

イスラム原理主義者のバーミヤンの仏教遺跡破壊などは、

許すことはできないが、幼稚で単純な児戯に見えるではないか。

従って、

我が国を占領統治した

「マニフェスト・デスティニー」に取り憑かれたキリスト教国(つまり、アメリカ)は、

イスラム原理主義以上に、悪質で巧妙で隠微で効果的に、

日本民族の精神的拠り所を汚し破壊したことに気付かねばならないのだ。

これによって、わが国は、

自覚なく二つの原子爆弾を遙かに超える惨害を被り、

その被害は現在も増幅を止めていない。

しかも、

このことに戦後日本人が久しく気付かなかったことこそ痛恨の極みである。

そして、この占領軍の、

わが国の歴史の連続性を切断する巧妙なる手法を示す証拠文書こそ

占領軍が書いた「日本国憲法」なのだ。

要するに、

この「日本国憲法と題する文書」に盲従すれば、

三島由紀夫が言ったように、

日本は「日本」でなくなって亡国に向かうように仕組まれているのだ。

冒頭に指摘したように、

九月の自民党の総裁選挙では、

無機的な、からっぽな、富裕な、抜け目がない者が、総裁になりかけた。

従って、

高市早苗を応援した日本人と高市に支援されて総理になった岸田文雄の使命は、

「日本国憲法」の無効宣言と、

わが国の神話(歴史)の復活、

つまり、

わが国の「不文の憲法」の再発見である。


最後に、

今、「再発見」という言葉を使ったが、

実は、この不文の憲法は、

既に、日本国民の眼前にあって、

現に見えている!

と強調しておきたい。

それは、

平成から令和へ御代が替わる譲位と践祚と大嘗祭の宮中祭祀であり、

岸田文雄は、

令和三年十月四日、

この宮中祭祀を経られた天皇によって、

内閣総理大臣に任命された。

この

我が国の御代が替わりと

我が国の内閣総理大臣が誕生する一連の流れは、

明らかに神秘の太古から現在に至る我が日本の

「不文の憲法」が生きている証(あかし)でなくて何であろうか!


(以上、月刊日本出稿原稿に加筆したもの)


西村眞悟FBより


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