令和の御代の維新とは何か!
明日八月十五日、
靖國神社に祀られる英霊に参拝するにあたり、
心に浮かんだことを記しておきたい。
明治維新は、
徳川慶喜の「大政奉還」(慶応三年十月十四日)
を受けた
「王政復古の大号令」(慶応三年十二月九日)が出発点である。
この大号令は、黒船来航からの十五年間を
「癸丑(嘉永六年)以来未曾有之國難」と位置づけ、
「王政復古」が「国威挽回之御基」であるから
これから「神武創業之始二原キ(もとづき)」
「各々・・・盡忠報國之誠ヲ以テ奉公致スベク候事」
としている。
まことに!
我が国における「維新」とは、
「神武創業之始」に「復古」することである。
その上で、忘れてはならないのは、
翌慶応四年五月十日に出された新政府の太政官府が発した
戦死者の慰霊に関する布告「御沙汰書」だ。
これは明らかに、
明治天皇の口述による新政府に対する御指図によるもので、
次のように始まる。
「大政御一新の折柄、賞罰を正し、節義を表し、
天下の人心を興起遊ばされ度、
既に豊太閤・楠中将の精忠英邁、御追賞仰せ出され候。」
そして、以下、
若き十七歳の明治天皇が、明らかに
目に涙をたたえられて語られたままに記されている。
「天下に魁けして国事に斃れ候諸士
及び草莽有志の輩、冤枉罹禍の者少なからず
・・・親子の恩愛を捨て、世襲の禄を離れ、墳墓の地を去り・・・
尚況んや国家に大いなる勲郎あるもの、
いかでか隠滅に忍ぶべけんやと嘆き思し召され候。」
「之に依りその志操を天下に表し、
かつ忠魂を慰められたく、
今般、東山の佳域に祠宇を設け
右等の霊魂を永く合祀致さるべき旨仰せ出され候。」
この「「御沙汰書」に表明された明治天皇の思いが、
楠木正成と一族自決の場所の湊川神社創建に連なり、
東京九段の招魂社、後の靖國神社創建に至る。
以上の通り概観した所以は、
明治維新の「王政復古の大号令」と
戦死者の慰霊に関する「御沙汰書」は
不可分一体であることを明らかにして、
その上で、
現在における「維新」とは何かを見極める為だ。
まず、
我が国における「維新」とは
「復古」であることを前提として、
その「維新」を促す
「現在の國難」とはなにか。
私は、迷うことなく、
「昭和二十年九月二日以来現在まで」が
「未曾有の國難」と断ずる。
即ち、
有史以来初めての外国軍隊による占領と
占領軍が日本を弱体化させたまま固定する為に書いた
「日本国憲法」を「日本の憲法」として頂いていることが、
「我が国未曾有の國難」である。
従って、我々は、今、
明治維新の「王政復古の大号令」と
戦没者慰霊のための「御沙汰書」に倣い、
① 日本国憲法廃棄と
神武創業以来の「不文の憲法」の復活宣言、
同時に、
② 靖國神社の国家護持を宣言すること、
これが現在の維新である。
驚くことはない。
アーリントン墓地をアメリカ国家が護持しているように、
靖國神社を日本国家が護持するのだ。
その上で、
明治維新後、現在に至るまで
全国民が維新における敵味方の区別なく
新日本建設と国家防衛の為に命を捧げたのであるから、
靖國神社に、
新たに、次の戦没勇士たちを合祀すべきだ。
戊辰の役における幕府軍兵士、彰義隊、新撰組、
神風連、佐賀の乱、西南の役における西郷軍兵士
同時に、
一の鳥居と二の鳥居の間に建てられている
大村益次郎像を撤去し、
そこに皇女和宮様、
西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟の像を建てるべきだ。
この方々がいなければ、
明治維新における世界に誇るべき
「江戸無血開城」
は成らなかったからだ。
世界の女性兵士👮🏻👮🏻👮🏻
チェコ🇨🇿👩🏼🏭👩🏼🏭👩🏼🏭
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