我が国の海を隔てた西方の
無道で残虐で異様な独裁国家である中共に対して、
我が国の国会は普遍的な人道の観点から、
何ら意思表示をすることが出来ずに閉会した。
これ、我が国会が劣化し、
中共の工作活動に身を委ねた分子を与野党の中に抱え、
対中国策決定ができないことを示す無残な情景である。
本年の春、森喜朗氏の発言が「女性蔑視だ」と騒いだ連中は、
何故、同じアジアのウイグルの若い女性が
中共政府によって強制的に不妊手術をされていることに、
対中非難の声を挙げんのか。
戦後の我が国においては、人権平和を武器に騒ぐ者ほど、
北朝鮮の日本人拉致や
中共の核実験や核戦力増強や尖閣諸島への露骨で無礼な侵略的行動に対して、
何も言わずに日朝友好や日中友好を叫んできた。
森喜朗氏糾弾で騒いだ連中はこれと同じ人種だ。
とはいえ、国会は、
自衛隊違憲、日米安保反対、
アメリカ帝国主義は日中両国人民共通の敵、
と叫んでいた社会党が野党第一党であった時代よりは前進した
との反論もあろうから、
自民党よりまだ右と言われた民社党出身者として言っておく。
社会党は、確かに馬鹿であった。
しかし、
馬鹿は馬鹿なりにアホな理屈を持っていた。
これに対して、
今の馬鹿は理屈なき馬鹿なのだ。
理屈がないということは、
「騒動や吹く風に乗って己の利害だけで動く」
ということだ。
こういう羽根虫のようなオポチュニストは
与野党何処でも生息している。
今国会で、男か女か分からん者の人権を巡って
自民党は左傾化したと言われていたが、
そもそもこういうオポチュニストに右も左もないのだ。
こういう劣化を明らかに示すものは、
森喜朗氏糾弾を利用した、野党ではなく自民党内の動きだ。
女性議員の面々がテレビカメラの前で雁首並べて
与党幹事長に党の要職に女性を多く任命せよと要求していた。
この卑しさに呆れた。
昭和十二年冬、
欧州でのナチスドイツによる迫害から
東に逃れた多くのユダヤ人が
シベリア鉄道のソ満国境の駅オトポールで足止めされ、
寒さと飢えで全員死に絶える苦境に陥っていることを知った
ハルピン特務機関長樋口季一郎少将は、
独断で彼らを救出した。
そして、
東条英機関東軍参謀長もそれを容認して
ドイツの抗議をはねのけ、
東京の閣議においても、
八紘為宇の精神による当然のこととした。
戦後の我が国政治は、
この高貴な精神を没却している。
十年ほど前に、イスラエルのエルサレムで、
この時七歳で両親と共に
オトポールから樋口季一郞少将に助けられたという
美しい老婦人に会った。
彼女は、両親と共に満州を横断し
日本海を船に乗り日本の敦賀に上陸して神戸に移動し、
神戸で安楽の居場所を得て日本人に助けられたと語ってくれた。
目に涙を浮かべて
日本人の私に感謝の言葉を繰り返されその方は、
イスラエルのモサドの元長官の奥さんだった。
今、我が国は、
同じアジアであるからこそ、欧米を牽引するつもりで、
ウイグルとチベットと内モンゴルそして香港の人々救済に
明確な声を挙げるときだ。
八紘為宇そして万民保全の道を拓く(五箇条の御誓文)ことが、
我が国の立国の精神であることを思い起こさねばならない。
さて、
この梅雨が終われば八月十五日の終戦の日はすぐだ。
そして、戦没者慰霊が我が国の津々浦々で行われる。
そこで、一言申しておきたい。
それは、東アジアの情勢がまことに厳しい今、
我々は、英霊を
「戦争の犠牲者」としてすませてはならないということだ。
その為に、
アメリカの対日石油全面禁輸措置を受けた
昭和十六年九月六日の御前会議における
「帝国国策遂行要領」採択後に、
海軍の永野修身軍令部総長が言った
次の言葉を思い起こさねばならない。
「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、
戦うもまた亡国につながるやも知れぬ。
しかし、
戦わずして国滅びた場合は、魂まで失った眞の亡国である。
しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、
死中に活を見いだしうるであろう。
戦って、よしんば勝たずとも、
護国に徹した日本精神さえ残れば、
我らの子孫は再三再起するであろう。
そして、いったん戦争と決せられた場合、
我ら軍人は、ただただ大命一下戦いに赴くのみである。」
従って、我々は、
戦没英霊を慰霊し顕彰するだけであってはならない。
英霊とは
我々に、「後を頼むぞ」と祖国の再起を促している
今我らとともに生きている尊い力であると思わねばならない。
即ち、英霊とは今に生きる我々を叱咤激励して、
祖国日本の再三再起を促してくれている救国の尊い存在なのだ。
これから厳しい時代が来る。
我々は
英霊の叱咤激励と
英霊のご加護をうけて
この時代を克服しなければならない。
なお、
永野修身軍令部総長が言ったことと同じことを、
ほぼ同時期に言って
戦争を断固継続したのがイギリス首相チャーチルだ。
三十万のイギリス陸軍の主力が
ダンケルクでドイツ軍に包囲されて殲滅されようとしている時、
イタリアのムッソリーニを仲介者として
ドイツのヒトラーと和平交渉に入ろうとする動きがイギリス内で高まった。
その時、チャーチルは議会で次のように演説した。
「この長い歴史をもつ私たちの島の歴史が、
遂に途絶えるのなら、
それはわれわれ一人一人が、
自らの流す血で喉を詰まらせながら
地に倒れ伏すまで戦ってからのことである。」
このチャーチルの演説を
著書「チャーチル・ファクター」
の冒頭に位置づけているのが
現イギリス首相のボリス・ジョンソンである。
よって、私は、
ボリス・ジョンソンがイギリス首相になることを歓迎した。
日英が再び、かつての日英同盟的共同行動を
国際社会でとることができるイギリス側の前提ができたからだ。
そのボリス・ジョンソンが
同著書のさらに初めの「序」で紹介している
チャーチルの逸話も
今まで聞いたことのないものだ。
糞生意気な女に対する絶好の痛快なあしらいである。
社会主義者の女性議員、ベッシ―・ブラドックが
チャーチルに、
「あなたは酔っていらっしゃるわね」と言った時、
チャーチルは、驚くほどの無礼さで
「あなたはぶさいくでいらっしゃいますね」
と言い返したうえで、
次のように続けた。
「私の酔いは、朝には覚めるだろうがね」
チャーチルは、
戦争中でも、
朝にスコッチを一杯飲み、
昼にシャンペンを一本開ける男だった。
(本稿は大和新聞への寄稿文に加筆したもの)
世界の女性兵士👩🏻🔧👩🏻🔧👩🏻🔧
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