西郷隆盛像は国宝 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

本日(六月四日)の産経抄は、

韓国のソウル日本大使館前の慰安婦像や

大田市庁舎前の徴用工像を造った「彫刻家夫婦」のデタラメさを

短文で簡潔に記してある。

このことは、大いに評価する。

しかし、その冒頭で、

読者を、この韓国の反日彫刻のデタラメさに誘導するために、

上野公園の「西郷隆盛像」を出して、

明治三十一年の除幕式において妻の糸子さんが、

「うちの夫は、こげな人じゃございもはん」

と叫んだと書いている。


産経抄さんよオ!

こういう風に書いたら、

上野の「西郷隆盛像」も、

ソウル日本大使館前や

大田市庁舎前のデタラメ反日像と

同じデタラメやと、

思い込む人が出てくるやないか。


そこで結論から言う。

上野の西郷隆盛像は、

西郷隆盛の風貌と人格を、

現在の我らに、

まさにそこに西郷さんがいるように伝えている、

まことに見事な国宝に値する像である。

これは、

古代ローマのカエサルやポンペイウスの大理石像や

我が国の東大寺戒壇院の広目天像や唐招提寺の鑑真和上像や

荻原碌山の文覚像や朝倉文夫の墓守像に連なる

重厚な国宝的傑作である。

韓国ソウルや大田の

反日運動に便乗した軽薄な「張りぼて」と

同列にしてはいけない。


上野の西郷像は、明治三十一年に除幕するが、

この頃は、西郷さんの妻や血を分けた子どもや兄弟親族

そして西郷さんに会った人は大勢いた。

高村光雲は、

その人達を見て、その人達から聞いて西郷さんの像を造った。

写真がないから像が出来ないと思ってはならない。

我が国の国宝や世界の名彫像は総て写真のない時代のものだ。


私は、数年前に、

西郷さんが死の淵まで追い詰められた沖永良部島に行き、

そこの西郷南洲記念館に展示されている

江戸幕府が各地に配布した

西郷さんの「人相書き」を見た。

これは、驚くほど上野の西郷さんと同じだった。

江戸時代の「人相書き」を見くびってはならない。

これは、現在の写真よりも、

見事にその者の特徴をよく映している。


では、妻の糸子さんが、

「こげな人じゃございもはん」

と言ったのは何故か。

顔のことを言ったのではなく服装のことを言ったのだ。

糸子さんは、我が亭主が、除幕式において

日本唯一人だった陸軍大将の礼装か

島津の殿様に挨拶に行くときの紋付き袴の像で

でてくると思っていたのだ。

女房というのは、

亭主の顔より服装にこだわるものではないか。

小生の女房も、いつも、

亭主のズボンの「社会の窓」が開いていないか、

シャツのボタンが外れていないか

汚れてないかだけをチェックしている。

それは、小生が原因で女房が異常なのではない。

小生は、この頃、めんどくさいから同じ下着を毎日身につけ、

小便の後、ズボンのチャックを上げるのを忘れるのだ。


西郷さんに戻って

その逸話から西郷さんの普段の服装を想定しておこう(「大西郷の逸話」西田実著)。

明治新政府が機能し始めた頃、

薩長土肥藩から出た江戸時代の下級武士が参議になって

昭和二十年九月から日本に入ってきた進駐軍の将校がしたように、

東京の江戸時代の豪邸を接収して住むようになった。


① ある日、岩倉具視が西郷さん宅を訪れて、

あまりにもひどい家であるのに驚き、

「参議という地位に相応しい邸宅を新築されよ」

と勧めてみたところ、西郷さんは、

「いや、これで結構、郷里の鹿児島の家は、もっとひどく、

馬糞の中に埋もれているのですから」

と即座に断った。


② ある日、木戸孝允が自邸で各参議を集めて会議を開くことになった。

しかし、西郷さんだけが来ない。

そこで、催促の使いが木戸の家から来て「おはやくどうぞ」と促すと、

西郷さんはその時裸で机に向かって字を書いていて、

「ああ、今着衣がない。あの縁側に干した浴衣が乾くまで待ってもらいたい」

と言った。


③ 西郷さんはヒマがあると、

薩摩絣に兵児帯姿で、ぶらりとよく出歩いていた。

愛宕下に住む婆さんが、近所の人に、

「みんなが名高く申す西郷さんという方を、一度拝んでみたい」

と言うと、

たまたま西郷さんが通りかかったので

「それ、あの方だよ」と教えると、

婆さん、

「ああ、あの方ですか。あの方なら時々お見受けします。

いつも、あんなに、うつむきかげんにして静かに歩かれてます」

と言った。


④ 明治、大正、昭和にかけて「大風呂敷」と渾名された

スケールの大きい政治家後藤新平が、少年の頃、

主人のお供をして霞ヶ関の外務省当たりを歩いていると、

向こうから薩摩絣を着た大きな図体の男が、

ノッシノッシとやってきた。

偉い人と思っていた主人が血相を変えてうずくまったので、

後藤も主人と並んで土下座した。

その傍らに魁偉な男が、地響きを立てて近づき、

「お暑うがすなあ」と挨拶したまま、

悠々と歩きさった。

「あれはどなたですか」と低い声で聞いてみると、

「あれが西郷南洲」。

ハッと思って振り返って見ると、

その巨人は、もう小一町も先を歩いていた。

後藤は後年、この情景を語り、いつもこう付け加えた。

「英雄とか偉人とかいうものは、

ちょうど名画家の傑作のようなもので、

たった一瞬ハッとみただけでも、

それが終生忘れられないものだ。

俺もあのときの『あ暑うがすなあ』と、

あの粗い薩摩絣とが、

いつも頭にこびりついているところを見ると、

西郷さんという人も、偉い人であったに違いない。」


以上を総合して、

上野公園の高村光雲が造った「西郷隆盛像」は

西郷南洲の志と姿と明治という時代を示す、

近代日本の国宝級の銅像である。


西村眞悟FBより

日本日本日本


世界の女性兵士👩‍⚖️



👩‍⚖️👩‍⚖️👩‍⚖️


▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう