日本とアメリカと台湾の
「日米台三国同盟」構想実現の前提にあるものは、
「中華意識と混合した共産党独裁体制」
の支配下で生きることを
「死んでも嫌だ」とする「自由」の理念、
そして、
「日本と台湾の絆」だ。
次に、私が体験したその「絆」を、
思いつくままに記しておきたい。
先ず第一に、
我々戦後生まれの日本人の意識は、
戦前と戦後が「断絶」している。
しかし、
台湾では、戦前と戦後が「連続」している。
昨年の七月三十日、九十七歳で亡くなった台湾の李登輝総統は、
初対面の私に、
「私は二十二歳まで日本人だったんです」と言われた。
李登輝総統が、
最後に兄上が祀られている靖國神社に参拝されたとき、
私も共に参拝させてもらった。
総統の兄李登欽さん(岩里武則さん)は、帝国海軍に志願し、
昭和二十年二月、海軍上等機関兵としてフィリピンのマニラで戦死された。
靖國神社に来た李登輝総統は、
現実にその兄に会いに来られているようだった。
巡洋艦松島は、明治四十一年(一九〇八年)、
海軍兵学校の少尉候補生を乗せて遠洋航海中に立ち寄った台湾澎湖島の馬山港に停泊中突然艦内で爆発が起こり、
乗員三百七十名の内二百七名が死亡した。
その多くの遺体が漂着した馬山の海岸の丘の上に慰霊碑が建てられ、毎年、命日に慰霊祭が行われていたが、
戦後は日本人による慰霊祭は途絶えていた。
しかし、台湾の人々が慰霊を続けてくれていた。
近年、日本人が澎湖島の馬山に行って慰霊を再開したとき、
彼らは、慰霊を続けていてくれた台湾の方々にお礼を言った。
すると、台湾の人々は言った。
「だって、私たちは、昭和二十年まで、日本人だったのですよ」
東海岸で、高砂族の人々と会食をした時、
同じテーブルに元高砂義勇隊の兵士であった九十歳代の方が座っていた。
そして、食事をしながら話していると、
彼は、インドネシアのモロタイ島から昭和四十九年に帰還した
元高砂義勇隊兵士中村輝夫(台湾名李光輝)と同じ村であることがわかった。
そこで、老人に村に帰った中村輝夫に会ったか、と尋ねた。
すると、会わない、と答えた。
何故だと、さらに尋ねると、次の通り、答えた。
「私は彼の上官だった。私は、彼に歩哨を命じた。
そして、歩哨交替のために別の兵を連れて歩哨地点に行くと、
向こうの尾根を逃げていく彼の姿を認めた。
私は、逃亡兵とは会わない。」
そして、しばらくして、彼は
「海ゆかば」を朗々と歌った。
彼は、小柄な老人だったが凄味をもっていた。
高砂族は夜目がきく。つまり夜でも見えることを思い起こし、
もし、この老人と夜ジャングルで出会えば、
確実に殺されると思った。
大東亜戦争において、
ニューギニアのジャングルで高砂義勇軍と遭遇したアメリカ軍が、夜目のきく高砂族がいる台湾を避けて
沖縄に上陸してきた理由はここにあるのかとも思った。
大阪に来た蔡焜燦さんと食事をして飲み屋で歌を歌った。
その時、私は、「蛍の光」の戦前の歌詞を歌った。
その歌詞の四番は
「千島の奥も沖縄も、八洲のもとの守りなり・・・」
から始まる。
よって、そのように歌い始めると、
蔡焜燦さんは、
「馬鹿、馬鹿、違う、違う、
日清戦争の後は次の歌詞だ、日本人、よく覚えておけ」
「台湾の奥も樺太も、八洲のもとの守りなり・・・だ」
と言った。
台湾の東海岸と山岳地帯、
つまり高砂族の住んでいるところを
百歳になられた元関東軍奉天特務機関情報将校であった
門脇朝秀さん(大正三年~平成二十九年)と三回ほど旅をした。
その時の、
各所で門脇さんの事前の知らせに応じて集まっていた人々
即ち元高砂義勇軍兵士たちと門脇さんの情景は、
まるで戦前の兵隊同士の再会のようだった。
八十歳から九十歳の人々は、
門脇さんに対して上官に対する態度をとっていた。
私と同じ戦後生まれの人達も、
皆、日本語を使い、生まれた年を聞いても
「昭和十八年のうまれだ」と日本の年号で答えた。
私は、大声を張り上げて
大阪の盆踊りでよく歌われる「河内音頭」を歌った。
すると、若い高砂族の娘さんたちが
見事にリズムを合わせて踊り始めた。
高雄で旧制高雄中学の同窓会に招待され、飲食を共にした。
その出席者のほとんどが、
蒋介石の白色テロの時代に、肉親を殺されていた。
色々な話のなかで、「尖閣」の話になった。
そこで、私が言った。
尖閣は日本のもので断じて中国のものではない。
尖閣の島々も周辺の漁場も、
総て日本人が開拓したんだ。
その日本人の中には、
台湾の日本人も含まれるんだ。
すると、みんなは、一瞬シーンとなって涙ぐんだ。
🇯🇵🇹🇼🇺🇸
兵士と犬









好きだった給食の献立は、鯨肉の竜田揚げ・鯨肉の大和煮でしたね。一番人気でした。
学校の行事で給食にコーヒー牛乳が出た時はなんとなく嬉しかったですね。
台灣の学校給食でロブスターが出るらしいですね。日本も伊勢エビを出せば良いのに笑笑。