2・26が近づく頃の偶感 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

2・26が近づく頃の偶感


例年、二月二十六日、

則ち、2・26事件(昭和十一年)の日が迫ると、

決起した将校や下士官・兵たち、

そして前日の夜から二十六日早朝までの母の思い出話が甦る。

決起した陸軍内の皇道派の若手将校達は、

東北出身の兵隊から身近に東北の農村の疲弊を知り、

それに無関心で、

ドイツ流総力戦体制を構築しようとする陸軍内統制派を排除して

天皇の下に国民重視の国家体制を築こうとした若者達だ。

その一人、安藤輝三大尉は、

決起が失敗に終わったとき、部下の兵を抱きしめ、

「お前の心配していた農村も、とうとう救われなかったなあ」

と言って涙を流したという(鈴木荘一著「雪の二・二六」)。


2・26事件直前に、フランスからシベリア鉄道を経て

東京に赴任したジャーナリスト、ロベール・ギランは、

シベリア鉄道のオトポール駅を出て満州国の満州里駅で文明世界に戻った、何故なら、満州里では

フィガロやニューヨーク・タイムズも読むことができたからと書いた。

そして、東京に着いてしばらくして2・26事件が起こる。

何事かと、霞ヶ関の官庁街の方に走っていくと、

首相官邸の方向は着剣した兵士によって非常線が張られてそれ以上いけない。

そこで、その場にいた一人の紳士に尋ねた。

「クーデターか?」と。

すると、紳士が振り向いて言った。

「天皇の國にクーデターはない。」(ロベール・ギラン著「アジア特電」)


民間人北一輝と西田税の裁判で証人となる二人の将校を除く

十五名の将校は、

同年七月十二日午前五時四十分に刑の執行を通告され、

午前七時から、

五名ずつ東京陸軍刑務所構内に正座させられ銃殺された。


私の母(明治四十二年生まれ)の弟東儀正博は、

その時、陸軍航空隊のパイロットだったが、

姉に農村の疲弊を語っていた。

部下の東北出身の兵達は、

給金は総て実家に送って休日も外出せずにいるので、

自分の給料の中から彼らにカネを渡して

「オイ、遊んでこい」と言って外出させたという。

二月二十五日の夕刻、

母は丸の内にある劇場で友人と歌劇を観た。

それが終わって外に出ると一面に雪が積もっており

動かなくなった都電が路上に放置されていた。

そこで、雪の中を歩いて、

翌朝五時に射殺された高橋是清邸近くの自宅に戻った。

翌朝ラジオから、

「付近の人は、タンスの陰に隠れて流れ弾を避けよ」

と繰り返し放送された。

ある時、九十歳を過ぎた母が、

私(昭和二十三年生まれ)に言った。

「眞悟ちゃん、あんた2・26の時、何処にいたの?」


・・・      ・・・      ・・・

昔、今よりは若い時、この頃になると

いつも「早春賦」を歌った。

歌っていると、

何か、自分の境遇に重なり合っているように思えたからだ。

先日は、二十度を超える戸外から帰宅し、

昨日は、真冬のような戸外から帰った。

今朝も寒い。

今が、丁度、

早春賦の歌詞にぴったりの頃だと思う。


・春は名のみの 風の寒さや  谷のうぐいす 歌は思へど

時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず

・氷解け去り  葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく

今日も昨日も 雪の空  今日も昨日も 雪の空

・春と聞かねば 知らでありしを 聞けば急かるる 胸の思いを

いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か


何故、

この早春賦が自分の境遇に重なり合っているように思えたのか。

それは、自民党より右と言われた民社党の出身者として、

拉致被害者救出や尖閣諸島が国家の急務だと

「急かるる胸の思い」を

何もしない政界にいて

「いかにせよ」との思いをいつも持っていたからだろう。

やはり、俺は

谷のうぐいす、野人がいいのか、と。


そして、在野の草莽の一人となってから

武漢ウイルスの来襲で、

屋形船が感染源であったと連日報道されても、

真の感染源の来日中国人の動向や

そこからの感染拡大ルートは全く報道されないし、

東京のおばはん知事も一言も言わないなかで、

屋形船だけが連日報道されて、

何と気の毒なと思っていたのであるが、

突如、問題は、

マスクをしているか手を洗うか、密集を避けるか、

等々ではなく

我らの免疫力なんだから

「屋形船に乗ろう」と思い立って、

令和二年十一月二十九日、

品川駅から徒歩で泉岳寺の赤穂浪士の墓に参り、

そこから船泊に向かい旧知の女将がもつ船に乗り込み、

乗船前から飲むので、

船中では支離滅裂になる可能性があり、

あらかじめ、「尊皇攘夷」と題した紙を用意して、

品川沖の船中で

「船中尊皇攘夷」やと言って乗船した同志に配った。      

そこに次のように書いた。

・・・      ・・・      ・・・

拉致被害者(国民)そして尖閣(領土)の

救出・防衛問題に直面する我が国の

「長い迷蒙」の続くなかで

啓示のように照らされた

「最後の一手!」を以下に述べる

即ち、

それらに対処不能の戦後体制・日本国憲法体制のなかで、

「万策尽きた後の最後の一手!」だ。

それは、

To Cut The Gordian Knot!

ゴルディアスの結び目を斬る!

それは、

日本国憲法を切り捨てる、則ち、無効宣言。

並びに、

日本という帝国(みかどの国)は、

不文憲法の国であることの確認。


その不文の憲法の法源は、

我が国の、神話、神勅と詔勅そして歴史と伝統のなかにある。

これが、

現在の尊皇攘夷、

現在の維新である。

「現在の攘夷」とは

連合軍の占領下で我が邦土に植え込まれた

「日本国憲法という毒の樹」の

根を断ち斬り廃棄することだ。


国政における日本国憲法廃棄の方式は、

昭和二十三年六月十九日の衆参両議院で行われた

「教育勅語無効決議」に倣う。

即ち、

各議院の総議員の三分の一以上の出席と、

出席議員の過半数による賛成。

つまり、

GHQが仕組んだ同じ手を使って

GHQの狡智を排除する。

とはいえ、

GHQの夷狄が植えた毒の樹(日本国憲法)を抜くのは、

毒の樹の枝に群がり生息して現世的利益を楽しむ者ではなく、

我ら草莽しかない。

奮起しよう!

・・・     ・・・      ・・・

以上、早春賦を歌いつつ、

「荒野で呼ばわる者の声」

になるのが小生の務めだと思う。


日本日本日本


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