日本人同胞に告げる 壱 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

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「戦後という時代」においては、
保守にも
「色々な保守」
がある。
その理由は、戦後は、「日本の根源」が見えなくされているからだ。
よって、まず、眞の日本と保守とは何かについて検証する。

先ず第一に、
我が国と、アメリカ、イギリス等の諸国との間に、
昭和十六年(一九四一年)十二月八日に
大東亜戦争が勃発し、
同二十七年(一九五二年)四月二十八日に
サンフランシスコ講和条約が発効するまでの十年五ヶ月余の間は、
「戦争状態」にあった。
「戦闘」は、概ね、同二十年八月までに終わったが、
同九月二日からは、
我が国の連合国への降伏により、我が国開闢以来未曾有の
連合国による日本の軍事占領という「戦争状態」が
同二十七年四月二十七日まで継続する。
しかもその期間は、
戦争の継続期間なのであるから、
まさに連合国の対日戦争目的遂行の期間であり、
その為に降伏文書には
「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官の制限の下に置かれる」
と定め、
連合国最高司令官が我が国を占領統治した。
そして、この占領統治期間は、
昭和二七年四月二七日まで続く。
即ち、その日本占領統治の期間に
連合国は対日戦争目的を遂行したのだ。
では、
その六年半に及ぶ日本占領統治期間に占領側は何をしたのか。
その概要を知るために、一番適切な資料は、
スイス政府が編纂してスイス国民の全ての家庭に一冊ずつ配布している
「民間防衛」という冊子である。
この冊子をスイス政府が編纂して国民へ配布する目的を記すと、
「国民防衛」の「まえがき」には、
「国土の防衛は、我がスイスに昔から伝わっている伝統であり、
我が連邦の存在そのものにかかわるものです。
そのため、武器をとり得るすべての国民によって組織され、
近代戦用に装備された強力な軍のみが侵略者の意図をくじき得る」
と書き始め、
「今日では、戦争は全国民と関係を持ち、
国土防衛の為に武装し訓練された国民一人一人には『軍人操典』が与えられるが、
『民間防衛』というこの本は我が国民全部に話しかけものです。」
とされている。
その「民間防衛」の書き出しには、
「祖国」と「国の自由と国民それぞれの自由」
という項目がある。
その上で、スイスが受ける可能性がある攻撃と防御方法が記されている。
その攻撃には、
先ず、核兵器、そして、生物兵器、化学兵器、堰堤の破壊が挙げられている。
核攻撃に関しては、
爆心地からの距離に比例して浴びる放射能の量は減少すること、
また爆心地直下でも、放射能は急速に減っていくので、
核爆発の何時間後に、核シェルターから外にでても安全かが
核爆弾の規模に応じて分かり易く図示されている。
その上で、後段には
「占領軍の洗脳工作」という項目を設け、
不幸にして敵がスイス全土を制圧し占領したときに何をするかが記され、
それに対して如何に抵抗するかが述べられている。
これを読んだとき、
私は、スイス政府は、アメリカの日本占領統治を調べて本書を書いたと、
ほとんど確信したほどだ。
それほど、アメリカ占領軍がしたこととそっくりなことが書いてある。
この占領軍のやることに関し、
アメリカの占領統治もナチスドイツの占領統治も同じだ。
そこで、
スイス政府が「占領軍の洗脳工作」で書いていることを概観するので、
それに対応するアメリカ軍(以下、GHQ)が我が国で何をしたか思いだして頂きたい。
(1)占領軍は、ある時は残忍なまでに厳しい(戦犯裁判による処刑)。
(2)占領軍は、ある時は住民を手懐けようと約束や誓いを乱発する。
(3)占領軍に協力する者(裏切り者)が行政の主要ポストを占める(公職追放)。
(4)裏切り者にまかされた宣伝省はあらゆる手段を用いて
我々が間違っていたことを呑み込ませようとする(WGIP)。
(5)歴史の教科書の改作の作業が進められる(WGIP)。
教科書は勝利を得た占領軍のイデオロギーに適応するようにつくられる。
(6)青少年を新しい時代に熱狂するように洗脳する為、
家庭や教会や民族的伝統から引き離し、
新聞やラジオやテレビなどが、直ちに宣伝の道具として用いられる。
敵のイデオロギーはラジオを通じてテレビの画面から、一日中流れてゆく(WGIP)。
(7)誰でも公式発表意外の情報は聞けないように、聞いてはならないようになる(検閲)。
以上、
スイス政府が指摘したことは、GHQが、
東京裁判による七名の「A級戦犯」及び一千名以上の戦犯を処刑し、
政治・行政、実業界、教育界、言論界の数十万人の公職者を追放しつつ、
GHQに従順な者(裏切り者)を公職に就け、
あらゆる手段を用いて
WGIP(War Guilt Information Program)
という洗脳工作を実施し、歴史教科書を改作し、厳しい検閲を実施し、
このWGIPが、
未来永劫、日本人を呪縛する為に「日本国憲法」を制定したことと対応している。
なお、
GHQのWGIPは、
第一に、「日本の戦争は悪い戦争であった、日本の近代は近隣諸国侵略の歴史であった」
ということと同時に、
第二に、「日本の戦争は、軍部を中心とする軍国主義軍閥集団が行い、日本国民はその犠牲者であり被害者である」
と日本国民に思い込ませる洗脳宣伝である。
この洗脳の第二から、
広島や長崎への原子爆弾投下による惨害、東京大空襲等による惨害は、
アメリカ軍ではなく、
日本軍国主義が、日本国民にもたらした惨害だという認識に至る。
つまり、GHQは、
日本を占領しているアメリカ軍は
天皇に忠誠を誓う政府と軍国主義軍閥集団の残虐な支配から
日本国民を解放した「解放軍」だと日本国民に思わせたのだ。
よって、ここから、
「日本国憲法」の前文の
「日本国民は政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないように決意し」
と、
同九条の「陸海空軍はこれを保持しない。(アメリカは)国の交戦権はこれを認めない。」
という文言、
広島の原爆公園慰霊碑の
「安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから」
という、悪いのは日本だという文言が導かれる。
このように、GHQのWGIPは、
見事に「日本国憲法」と原爆慰霊碑に刻まれて固定化され現在に至っているのだ。
さらに、占領中のことに関して
スイス政府の「民間防衛」が指摘していることを記したい。
そこには、「武器を手にして戦う時期がまだ来ていない時」に、
国民は、何をすべきかが書かれている。
そこには、
「今為すべきことは、あくまでも祖国に対する忠誠を守り続け、
我々一人一人が道徳的な抵抗の模範を示すことである。」
「占領軍は、そういう国民を傷つけることはできるが、屈服させることは不可能である。」
と記した上で、
次の通り、見事な一文が記されている。

もしも、
小学校から大学に至るまでの先生達が、
われわれの自由の理想と国民的な名誉に対して、
あくまで忠実であるならば、
占領軍は絶対にその思想に手をつけられず、
従ってその思想を屈服させることはできないであろう。
精神的な抵抗運動を誰よりもまず最初に引き受けて実行するのは、
我が国の教育者達である。

私は、この「スイス」の一文を読んで、目眩がするような感がした。
何故なら、我が国においても、
この教育界、教育者が、
まさに、「占領からの脱却の急所」であるにもかかわらず、
「国民的な名誉」に無関心どころか、
さらに、それを敵視して生息する文部科学省と左翼日教組に牛耳られているからだ。
これでは、日本の教育界は、「占領からの脱却の急所」ではなく、
日本を「占領下に閉じ込め続ける張本人(急所)」である。
考えてみれば、
我が国の教育界のみではなく政界もマスコミ界も学会も、
伝統的にGHQの公職追放を免れて快適に生きることのみを求める者で
占められているではないか。
つまり、我が国の「七十年以上続いてきた戦後」とは
スイス政府の想定した占領下ではなく、
スイス政府が「民間防衛」の(3)で指摘している
「占領軍に協力する者(裏切り者)が行政の主要ポストを占める」
状態を続けている。
つまり、占領状態を固定して継続させる為にGHQが書いた
「日本国憲法」を
日本人が「憲法」として機能させている限り
「日本は占領下」であり続け、
従って「戦後」が続くのだ。

しかし、
この中においても、私は、
日本における、スイス政府が言う
「精神的な運動を誰よりもまず最初に引き受ける教育者達」
を知っている。
亡き恩師にも、今の友人の中にもいる。
その日教組と戦う友人には、
「学校の教室こそ国家再興の場所だ、
頼む、苦労を覚悟してお国の為に校長になってくれ」
と励ましている。

以上、我らが育ち生きている「戦後という時代の特殊性」を述べたうえで、
この時代はともかく、そもそも、我々の日本は、どの日本なのかを確認したい。
我らの日本は、
昭和二十年に始まる「戦後の日本国憲法の日本」か、
明治維新に始まる「近代の大日本帝国憲法の日本」か
天照大御神の天壌無窮の神勅に始まり神武天皇が創業した
「豊葦原の瑞穂の國の日本」か。

私の実感を言うが、
私は、平成二十五年夏、
伊勢神宮の式年遷宮における
御木曳行事と御白石持行事に「神領民」として参加させて頂き、
昨年の天皇の譲位と新帝の践祚そして剣璽承継之儀と
大嘗祭と本年元旦の新帝の四方拝を目のあたりにして
「豊葦原の瑞穂の國の日本」
に生きていると実感している。
即ち、「悠久の太古から天皇を戴いてきた日本」が、
今、我らの生きる日本である。
この何れの日本を「日本」と思っているのかで、
如何なる保守かが分かる。
例えば、今まさに主流を占める保守は、
「日本国憲法」の下の保守、つまり「戦後の保守」だ。
そうでなければ、
戦後のなかでは出世できないのでオポチュニストはそうなるのだが、
こんなのは、
昔の共産主義かぶれでエリート面したチンピラによく似ている。
また今は、
選挙直前に新しい党がマスコミの脚光を浴びれば、そこに走るチンピラだ。
そして、高級官僚になっても反日的な学生時代のままの者、
即ち、時流に乗る出世主義者、
スイス政府が言う、
占領軍に取り入って主要ポストをもらう者(裏切り者)だ。
もう少しましな保守は、「近代の日本」に生きる保守だ。
しかし、気をつけねばならないのは、
戦前は大日本帝国憲法下で高官となり、敗戦後はGHQにゴマをすって
日本国憲法を信奉して結構な公職にありついた輩が多いことだ。
これらは、戦前は薩長閥政府に取り入り、
戦後はGHQに取り入る出世主義者という点では「戦後の保守」と同じである。
とはいえ、戦前、明治の教育を受けて育った日本人は、
神話に淵源する日本を知っていた。
しかし、GHQの教育で育った現在の日本人は知らない。ここが決定的に違う。

そこで現在、
猖獗を極める武漢ウイルスの世界的な流行の後の世界情勢と、
その時の我が国を取り巻く内外の情勢を見通せば、
それは、まことに厳しく、
我が国を含む諸民族の抗争と存亡をかけた衝突は必至である。
従って、今こそ、我ら日本国民は、
命に代えても守らねばならない日本を明確に実感した者でなければならない。
これが、「戦後の保守」でもなく「近代の保守」でもない
「真の保守」である。
「真の保守」とは現実の真っ只中において、
天照大御神の天壌無窮の神勅による民族の起源と歴史と伝統と記憶、
即ち、
天照大御神と天皇と神話、
つまり、民族生命の根源を自覚しつつ生きる者のことである。
従って、
過去は過ぎ去った日付のところにあるのではなく現在の我々と共にある。
従って、我が日本は、
ナポレオン法典が書かれた十九世紀から西洋で流行って世界に拡がった
紙に文章を書いて「憲法」とする「成文法主義」の国ではなく、
歴史と伝統と神話の中に「憲法(國體)」があるとする「不文法主義」の国である。
つまり、
日本とは、一体「如何なる国」かを確認しようとするとき、
「成文法」の条文を確かめて確認できる国ではなく、
大日本帝国憲法の起草者である井上毅が、
ドイツとフランス留学から帰国してから、
古事記、日本書紀、万葉集などの古典の探究に没頭したように、
古典と神話と伝承に接して分かる国なのだ。
以上を確認した上で、これから、
我が国に迫る現在の情勢を概観し、それを克服する為に、
我らが、明確に意識しなければならない我が国の國體を語ろうと思う。


弐に続く。