明治天皇のお誕生日の翌日、明治最大の国難であった日露戦争において建設された国内最大の浜寺ロシア兵捕虜収容所跡に久しぶりに行った。日露戦争において我が国が勝ったことは、アジアとアフリカの諸民族に独立への願望を沸き上がらせた。
同時に日本軍と戦った二人のロシア軍将校と兵士に民族の英雄として生きる使命を与えた。一人は騎兵将校として奉天で乃木第三軍と戦った今もヒィンランドの最大の英雄と讃えられるグスタフ・マンネルヘイム将軍だ。彼は日本軍と戦い、小国でも団結すれば大国に勝てることを学び、後にソビエトと戦ってヒィンランドの独立を守り抜いた。
もう一人は、旅順要塞で乃木第三軍と戦ったロシア兵、ユダヤ人のトランペルドールだ。彼はロシア軍降伏によって二万八千名のロシア兵捕虜の一人として、浜寺ロシア兵捕虜収容所に来た。その時、捕虜収容所には電灯があったが、周りの、今の堺市や高石市には電気がなかった。彼は何故この小さな貧しい国が大国ロシアに勝ったのか?と思った。その時、一人の日本軍兵士が彼に言った。祖国の為に死ぬことほど名誉なことはないんだ!と。その時、彼はユダヤ人の国を建国する決意を固めた。
現在、彼がいた収容所跡には一人のロシア兵の銅像がある。堺の浜寺は江戸時代から海沿いに三キロにわたって松林が続く景勝地であったが、松は今もあるが、海は埋め立てられて臨海工業地帯になっている。
そして、イスラエルは建国され、トランペルドールは、建国の英雄、建国の父と呼ばれている。日露戦争から15年後、イスラエルの北部テルハイでトランペルドールはアラブ人に銃撃されて戦死する。そのとき、駆け寄った友人に彼は最後に言った。それは、浜寺ロシア兵捕虜収容所で聞いた言葉だった。彼は言った。俺にかまうな、祖国の為に死ぬことほど名誉なことはないんだ、と。
令和元年十一月四日(月)
西村眞悟FBより。