人類二千年の歴史の中に位置づけられる大東亜戦争の意義。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

 

十六世紀半ばに、我が国は初めて西欧のスペイン・ポルトガルと出会った。
しかし我が国は、
それから四十年後にバテレン追放令を発し(1587年)、
さらに五十一年後に鎖国を実施して西欧と断絶する(1638年)。
その我が国が初めて直面した西欧とは何かを確認するために、
人類史における一神教の勃興を振り返ってみた。

一神教の出現までの数十万年間、
人類は多彩な多神教の世界に生きていた。
私の体験的直感から申し上げると、
我々日本人は、
キリスト教徒が来る以前から南北アメリカ大陸に住んでいた人びとと、
遙か数万年前に、ウラル・アルタイの何処かで、
同じ祖先をもっていた。
この私の直感は、
私自身のアメリカ大陸における見聞と、
「シートンの動物記」のアーネスト・シートンが書いた
北米インディアンの生活と魂の教えを記録した「レッドマンのこころ」を読んだこと、
さらに、
インディアンのシュクアミッシュ族の卓越した酋長シアトルが、
1855年にアメリカ政府が発した、
遠い祖先からの墳墓の地を離れて「保留地へ移動せよとの強制命令」
に対して提出した抗議文を読んだことから得たのだ。
その抗議文には、
アメリカ人の信仰するキリスト教と
我々日本人と同じインディアンの信仰が
次のように見事に対比されていた。

「あなた方のゴッドは自分の民は愛しても異民族は嫌う。
白い肌のわが子をやさしくかばい、
あたかも父親がわが子を可愛がるように手引きするが、
赤い肌の者のことは一向に構わない。
我々の崇める大霊はそんなえこひいきはなさらない!・・・
あなた方の宗教は活字によって書き記されている。
レッドマンにはそれが読めない、したがって理解できない。
それとは違い、われわれの宗教は先祖からの伝統なのだ。
厳粛なる儀式のもとに、夜の静寂の中で、大霊から授かったものだ。
それが偉大なる先祖のビジョンとなって、われわれの胸に刻み込まれている。
あなた方の先祖は、墓の入り口を通り抜けると、
それっきりあなた方のことを忘れる。あなた方も彼らのことを忘れる。
が、われわれの先祖霊は地上のことを決して忘れない。
うるわしき谷、のどかなせせらぎ、壮大なる山々、木々にかこまれた湖・・・
彼らはしばしばその美しさが忘れられず舞い戻ってきては、
われわれのもとを訪ね、導きを与え、慰めてくれる。」

この酋長シアトルが述べたインディアンの精神世界は、
普遍的で根源的であり、
我々日本人の精神世界そのものである、と私は直感した。
それ故、数万年前の昔、
彼らとはウラルアルタイの何処かで同じ祖先をもっていたと直感したのだ。

そして、数千年前、中東の砂漠で一神教が顕れる。
ユダヤ教が生まれ、そこからキリスト教とイスラム教が生まれた。
この一神教の特徴は、
唯一絶対の神があって、その神は、人とは、
絶対的に隔絶していると捉えることにある。
これに対して、
多神教は、神と人とは一体である。
天照大御神と天皇は一体である。
広瀬武夫は軍神となり東郷平八郎も神として東郷神社に祀られる。
ギリシャでは、海神ポセイドンの子孫がミケーネ王アガメムノンである。

ユダヤ教は、ユダヤ人の為の信仰であり、それ故強烈な選民思想をもつ。
戒律をもち、神は恐ろしい裁き罰する神である。
イエス・キリストは、
このユダヤ教の恐ろしい「裁き罰する神」を「愛の神」とし、
「選民思想」を「博愛主義」に変容して、
厳しい律法との訣別を訴えて数年間ユダヤ人に伝道したが、
ユダヤ人によって十字架上で処刑された。
ユダヤ人のパウロは、
当初はキリストを弾圧していたが、キリストの死後改心して
ユダヤ人以外の異邦人にもキリストの教えの伝道を始め、
ローマ帝国に入り込んでゆく。
しかし、パウロのキリスト教は、
イエス・キリストの説いたものとは異なり、
ユダヤ的律法と選民思想を復活させたうえで、
ユダヤ人以外のローマの領域に広げるための信仰となった。
そして、これが
異民族差別とアメリカのマニフェスト・デスティニーにつながってゆく。
以上、
関野通夫氏の著書「一神教が戦争を起こす理由」(ハート出版)より学んで記した。
そこで、
ユダヤ教の
「罰する恐怖の神」を「愛の神」に、
「選民主義」を「博愛主義」に変容させたイエス・キリストの説いたキリスト教が、
キリストの死後、
パウロによってユダヤ教の選民思想を復活させ、
遂に、
西暦392年にローマ帝国の国教となってから
世界がどのように変容したかを追ってみた。
そして、
この「パウロのキリスト教」が、
ローマ帝国の国教になったことが、
二十世紀に至るまでの人類の凄まじい大惨害の始まりだったという確信に達した。
同時に、
二十世紀の大東亜戦争の淵源は、
この、遙かローマにあり、と深く感じ、
大東亜戦争が人類の文明史の中で、ローマ帝国以来の世界の流れを変える
まことに大きな意義を湛えていることに思い至った。
大東亜戦争とは、
パウロによるキリスト教化したローマ帝国から始まり
千五百年を経てほとんど全世界を覆った欧米の
一神教的独善と人種差別(選民思想)によるアジア・アフリカ支配を、
二十世紀に、我が日本が、
最後の多神教世界の盟主となって断絶させた戦いだったということだ。
その象徴的事件が、1942年2月15日の、
日本軍によるイギリスの東洋支配の牙城であるシンガポールの陥落である。
その時、この世界史的意義を正確に指摘したのが、
フランスのドゴール将軍だった。
彼は言った。
シンガポール陥落は、五百年に及ぶ白人の東洋支配の終わりの象徴だと。
それ故、私は、
関東軍作戦参謀であった草地貞吾陸軍大佐(明治37年~平成13年、陸士39期)が、
十一年間のソビエトによる過酷なシベリア抑留を耐え抜く中で、
大東亜戦争を
「大東亜の御戦(みいくさ)」と呼び、
「大東亜大みいくさは万世の歴史を照らす鏡なりけり」
と詠まれた心境を深く偲び共感するにいたった。
 
キリスト教を国教としたローマ帝国は、
まず、キリスト教以外の信仰を禁じ、
同時にギリシャ・ローマ文明の膨大な図書館を閉鎖し、
同文明の神話に由来する歴史的建造物を破壊し、
さらに翌年、オリンピア競技を全廃して同文明を終焉させる。
そして同帝国の版図のなかに住む
ゲルマン民族とケルト民族の神話と記憶を剥奪して
彼らの多神教信仰と文明を絶滅させた。
このようにして一つのキリスト教世界となったヨーロッパに、
西暦800年、ローマ教皇から王冠を授けられたカール大帝の
神聖ローマ帝国(現在のEU)が誕生する。
そして、ヨーロッパは、
内においては
キリスト教の教義に反する異端者を
魔女や悪魔として一千年以上にわたって火炙りにしながら、
ローマの版図外のアジア・アフリカに拡大しはじめる。
そして、遂に、
ヨーロッパから一番離れた我が国に、十六世紀に初めて到達した。
まず1543年、我が国に鉄砲を持ったポルトガル人が来て、
その六年後の1549年、キリスト教宣教師ザビエルが来たと記録されている。
それ以降、
宣教師と武器商人と奴隷商人が三位一体となって続々と我が国に来航した。
その時、戦国時代であった我が国は、
直ぐに彼らよりも優秀な鉄砲を量産することができた。
しかし、我が国には、その鉄砲から弾丸を発射させる火薬が無かった。
そこで、武器商人と奴隷商人の出番となる。
宣教師の布教を許したいわゆるキリシタン大名の領地では、
五十人の処女を奴隷商人に引き渡せば
武器商人から一樽の火薬を手に入れることができた。
日本の娘は、聡明で従順なため、欧州では高値で売買された。
それ故、十六世紀から十七世紀にかけて
我が国から五十万人の日本人少女が奴隷として欧州に連れ去られたという説もある。
戦国時代、
我が国の戦場で使用された鉄砲からは、
多くの乙女達を毛唐に引き渡して手に入れた火薬が込められて
弾丸が発射されていたということだ。

天正10年から18年(1582年~90年)
我が国の九州のキリシタン大名の息子である十三歳から十四歳の四人の少年、
伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノ
は、天正遣欧少年使節としてスペインからローマに赴き、
ローマ教皇に拝謁した。
彼らは、確かにローマの壮大な教会と豪壮な宮殿を観た。
同時に、
奴隷市場で裸にされて売られている同世代の日本の少女達も観たのである。
秀吉のバテレン追放令後に、
二十一歳から二十二歳になって帰国した少年達のうち
伊東マンショは長崎で亡くなり、
千々石ミゲルは棄教し、
中浦ジュリアンは、長崎で処刑され殉教した。
処刑される前、
我こそは、ローマにまかりしジュリアンなり!
と叫んだという。
そして原マルティノは、追放先のマカオで客死した。
奴隷として欧州で売られた多くの少女達とともに
この四人の少年達のことも記憶から消去させてはならないと思う。
隠れキリシタンやキリシタン大名の里を世界遺産だと持ち上げるのもいいが、
それ以上に、
人知れずキリスト教徒の奴隷となって遙か異境の地で働きつづけ、
その痕跡も遺さない多くの日本の少女のことを忘れてはならない。
同時代、
同じようにアフリカから南北アメリカに売られた奴隷は、
十六世紀九十万人、十七世紀三百万人、十八世紀は七百万人、十九世紀四百万人である。
まことに、ローマの国教となったヨーロッパのキリスト教とは、
選民思想をもつ非情で残虐で身の毛のよだつ恐ろしい宗教であった。
 
話を戻して、
宣教師のキリスト教布教を許した地域では、
我が国の神社仏閣が宣教師によって破壊されていた。
覇者となった豊臣秀吉は、
北九州を巡察してこの実情や奴隷商人に売られてゆく領民を知った。
そして、1587年、キリシタンバテレン追放令を発令したのだ。
次に、天下人になった徳川家康も、キリシタン禁教令を出した(1612年)。
その二十六年後の1638年に、
五ヶ月に及ぶ島原の乱を乗り切った徳川幕府は、
厳格なキリシタン禁教と鎖国に踏み切ることになる。
この島原の乱は、
十二万五千八百の幕府軍が、約五ヶ月をかけて、
銃をもつ三万七千人のキリシタン軍を全滅させた空前の大内乱であった。
幕府側にはオランダが付き、キリシタン側にはポルトガルが付いた。
当時の世界でこれほど大規模な戦闘はない。
ヨーロッパにおける二百年後の国家間の大会戦であるワーテルローの戦いでも、
フランス・ナポレオン軍は七万二千人、イギリス・オランダ軍は六万八千人である。
また、その前の関ヶ原の合戦は、徳川十万四千、大阪八万、
大阪夏の陣は、徳川十六万五千、大阪五万五千
明治維新後の日本を揺るがした内戦であった西南の役は、
官軍七万、薩摩軍三万である。
以上と比較しても、
武士でないキリシタンの農民達三万七千人が、武器を取って、
幕府の正規軍十二万五千八百人と全滅するまで戦った島原の乱のもの凄さが分かる。
 
この島原の乱の起こる前に、
秀吉と家康を相次いでキリシタン禁令に踏み切らせたものは何か。
それは、
我が国開闢以来、天皇を戴く日本は「神国」であるという自覚である。
秀吉や家康は、
日本の伝統的神社仏閣を破壊するキリシタン宣教師の非寛容で排他的な思想を、
天皇を戴く日本の神聖と権威の否定、
即ち、「日本の國體」を否定して日本をローマ教皇に従属させるものと直感したのだ。
同時代のアジア・アフリカの多くの支配者達は、
キリシタン宣教師等がもたらす献上物に目がくらみ、
秀吉や家康のようにキリシタン禁令を出した者はいないし、
彼らを拒絶できる軍事力も保持していなかった。
現在、日本が日本であるのは、
秀吉や家康の慧眼と
当時の西洋を遙かに凌ぐ我が国の軍事力のお陰である。
 
さて、この、島原の乱から二百三十年後の徳川時代末期に、
我が国は再び欧米のキリスト教世界と遭遇した。
しかし、この時の彼らは、
既に、以前のスペイン・ポルトガルを遙かに凌ぐ強力な西洋列強であった。
そして、この再会から五十年後(日露戦争)と九十年後(大東亜戦争)に、
我が国と戦うことになるのがロシアとアメリカである。
ロシアはユーラシア大陸を東に向かい、
アメリカは北米大陸を西に進み、さらに太平洋を渡って、それぞれ日本に至ったのだ。
フランスの政治思想家で「アメリカのデモクラシー」を書いた
アレクシス・トクビルは、この時、
「異なる地点から出発して共通の目標に向かって進む二つの民族がある・・・
アメリカ人は自然の障害と戦う。ロシア人は人間を征服するために戦う。
アメリカ人は荒野とバーバリズムと戦う。ロシア人は武器を持って文明と戦う。
アメリカ人の征服は鋤を使って行うが、ロシア人は剣を用いる。」
と書いている。
しかし、トクビルはアメリカに甘過ぎる。
我々日本人やアメリカ原住民から見れば、
アメリカの「西部開拓」は、
鋤ではなく銃を使ったインディアンの生命と土地の略奪であり
金塊を求める侵略であった。
そして、この略奪と侵略は、
キリスト教の選民思想である
マニフェスト・ディスティニー(明白なる使命)によって推進されたのだ。
これは、文明は、古代ギリシャ・ローマからイギリスへ、そしてアメリカへ、さらに太平洋を渡ってアジアに向かい地球を一周するというものだ。
まことに手前勝手な「使命」である。
しかし、このアメリカのマニフェスト・デスティニーも、
スペインとポルトガルが、
コロンブスのアメリカ到達(1492年)直後に、
ローマ教皇の承認の下で、
トリデシリャス条約(1494年)で地球を二分してそれぞれの勢力圏を決め、
さらにバスコ・ダ・ガマのインド到達(1498年)の後に、
サラゴサ条約(1529年)でアジアを二分して勢力圏を決めた発想と
同じキリスト教徒としての自己中心的妄想であり明白な狂気である。
そして、
前任者であるフーバー大統領から、「狂人」と呼ばれた
アメリカのF・D・ルーズベルト大統領は、
明らかに「マニフェスト・デスティニーの狂気」によって
対日戦争を決意し実行したのである。
これが彼の神の意志に従う正義である。
まさにフーバーの言うとおり「狂人」であった。

石原莞爾将軍は、
戦後、我が国を裁く極東国際軍事裁判の法廷に出頭して、
証人を呼ぶなら幕末に浦賀に来航したペリーから呼べ、
と述べたいという。
私は、
イエス・キリストのキリスト教を変容させたパウロ、
次に、そのキリスト教をローマの国教とした
ローマ皇帝テオドシウス
そして、
地球をスペイン・ポルトガルで二分するトリデシリャス条約を承認した
ローマ教皇アレキサンデル6世を、
証人に呼べと言いたい。
もちろん、
F・D・ルーズベルトは
正真正銘の「戦争の謀議者」たる被告人として喚問されなければならない。
世界史的な文明の転換の戦いであった大東亜戦争を裁くには、
これほどの一千年の時空を超えた証人が必要だということだ。
もうすぐ、
ローマ教皇が日本に来るということだが、ちやほやする必要はないのだ。
無邪気な歓迎ムードがあるのは、
欧米のキリスト教徒によって仕組まれたWGIPに未だ洗脳されているからだ。
お人好しにも程がある。
この二千年の人類の歴史の実相を観ようではないか。
ローマ帝国の国教となったキリスト教とローマ教皇とは何だったのか。
この教えと、
異教徒の街、広島と長崎への原爆投下は無関係なのだろうか!?
未だにいる原爆投下を正当化するアメリカ人は、何教徒なのだ!?

 

令和1年10月1日(火)

西村眞悟の時事通信より。