「反省」と「平和」・戦没者追悼式の「深い反省」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

 

昨日のFBに、特に八月の、
大東亜戦争の「反省」と「平和」への願いを訴えることのみが評価される現象を
偽善だと思うと記したが、
何故、偽善であるかに関し、もう少し、付記しておきたい。

思い出すままに振り返る。
特に八月に、戦争の反省と平和への願いを訴える者に限って、
現に危機に瀕している人の命を救うことに関して鈍感である。

・2014年、平成26年8月20日、
広島市北部の安佐北区と安佐南区の住宅地を大規模な土石流が襲い、多くの住宅を押しつぶして住民を飲み込み、
死者七十七名の大被害を出した。
この時、人命救助に関し、
この14日前に原爆投下地点で、
平和を訴える特権を持っているかのように
悲惨な事態を招来した戦争を非難していた広島市長は、 
率先して何をしていたのか、姿が見えず、
さっぱり分からない。

・阪神淡路大震災に際し、
日頃、人権、平和を叫んでいた社会党の総理大臣村山富市は、
自分が自衛隊を指揮して被災者を救出する責任者であることを自覚せず、自衛隊に救助活動を開始させなかった。

この結果、発災とともに、
直ちに自衛隊が救出活動を開始した東日本大震災の時には
自衛隊は全生存者救出数の7割である1万9286人を救出できたのに、
初動が遅れた阪神淡路大震災では、
自衛隊は全生存者救出数の3%の165人しか救出できていない。
自衛隊が直ちに出動しておれば、1000名を越える人びとを救えたはずだ。
この時の総理大臣の無責任さは、不作為の殺人罪に匹敵する。
しかし、この御仁には、この反省がない。
これの言う、反戦平和は偽善だ。

・東日本大震災の時の菅直人総理大臣も
日頃、村山富市氏と同様の反戦平和の旗を掲げて政界に暮らす者だった。
従って、彼が、直ちに決断して自衛隊を出動させたのではない。
直ちに、自衛隊に被災者救出を命じて出動させたのは
陸上幕僚長と統合幕僚長の決断である。

・この村山富市氏や菅直人氏と彼らの属する党派は、
反戦平和は訴えるが、
今現在、北朝鮮に拉致され抑留されている拉致被害者の救出には顔を背けている。
之、偽善ではないか。

・村山富市氏や菅直人氏と彼らの属する党派は、
アメリカの核や、我が国が核武装することに反対するが、
ソビエトや中共の核武装は容認する。
之、偽善ではないか。

 

令和元年八月十八日(日)

西村眞悟FBより。

 

日本 日本 日本

 

 8月15日、恒例の戦没者追悼式が日本武道館で開催された。国歌斉唱に続き、首相が式辞で哀悼の意を述べた後、1分間の黙祷を経て、天皇陛下が次のお言葉を述べられた。

「本日、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来七十四年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。

戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」


上皇陛下が述べられた前例に倣い、平易な表現を用いながら、戦没者に対し深い追悼の意を表し、併せて世界平和と日本の発展を祈り願う。国民にとって、胸に染みる有難いお言葉だ。

ところが、マスゴミは一斉に「天皇が『深い反省』を踏襲した」と、そこだけに焦点を当てて報道する。何やら鬼の首を取ったようでもあり、日本の象徴が反省する姿が愉快で堪らない様子だ。

もっとも、先の大戦を日本による侵略戦争だと糾弾し、謝罪と補償を求める隣国寄りのTVや新聞ゆえ、本音の部分では、陛下が「反省」をお口にされたところで、満足出来ないらしい。

例えば、朝日新聞は安倍首相の式辞に就いて、1993年の細川護熙氏以降、歴代首相が述べてきたアジア諸国への加害責任には一切触れず、反省の弁を述べなかった、と悔しそうに書くw

さて、ここで考えてみたい。天皇陛下の仰る「反省」とは具体的に何を意味するのだろう?一体、何を対象にして、如何なる反省すべきとのお言葉なのか?

 

 

文脈から察し、先ず「① 敗戦」だろう。戦後日本の平和と繁栄を思えば、国民が乗り越えてきた多くの苦難を認めざるを得ない。負けちゃいけなかった、と感じるのは当然だ。

しかし、戦前も戦後同様、天皇が実質的な統治を行った訳じゃない。あくまでも立憲君主制であり、選挙を通じて民意により議会政治が成されていた以上、陛下ご自身が反省すべき材料はない。

ゆえに、反省の対象は「② 無能な部下ども」か。明確な戦略方針もなきまま四方八方に戦線を拡大し、支離滅裂な戦いで敗戦を招いた政治の中枢は、すべて天皇にとって直属の部下に当たる。

大臣連中が馬鹿ばかりで国民に迷惑をかけた、だから深く反省するとのお気持ちは有難いが、コレも天皇の責任範疇でないことは明白だ。人事権はないし、任命も承認も形式に過ぎない。

では、「③ 戦争の惨禍」自体を反省すべきと仰っているのか。まさかそんなコトはないだろう。戦争には相手がある。天皇のご意志で避け得るものじゃないし、勝てば惨禍とは縁が薄い。

そこで考える。真意は「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み」との文言に掛かっていて、深い反省は「④ 戦後の体制」こそが対象ではないのか。

白木の標柱に向き合い、国のために散華した先人を思えば、深く反省すべきなのは、腐りきった戦後の体制に他ならない。国の矜持を失った戦後日本の姿は、悲しくも浅ましい。

壇上でお言葉を述べる天皇陛下の脳裏によぎったのは、靖国神社だろう。慰霊と称しながら、英霊を祀る神社にも立ち寄れぬ異常さを猛省すべき、とお感じなったとして不思議はない。

東京をご存知ならお気づきの筈だが、日本武道館の北口を出て靖国通りを渡れば、数分で靖国神社の境内に到着する。大鳥居や大村益次郎像を経て、本殿にたどり着くのに10分もかからない。

終戦の日にもかかわらず、首相はじめ閣僚が一人も靖国に参拝しないから、朕が親拝に踏み切れないではないか。天皇陛下はきっとそうお思いなのだ。嗚呼、何と嘆かわしい状況か。

以上、考察の結果、天皇陛下「④ 戦後の体制」に対して反省を述べられたと信じる。いや、違う、①~④はすべて間違っている。反省すべきはコレだと云うご意見があれば、教えてください。

 

yohkan様のブログ・愛国画報より。