対馬「観光」朝鮮人、本年はゼロ・朝鮮無政府 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

 

対馬は本来の国境の島に戻らねばならない。

対馬のことが気になっていたが、
報道によると、
対馬に渡来する韓国朝鮮人が激減している。
昨年同月の渡来数八百人が、本年はゼロだという。

これで良い。
対馬の人びと、
韓国人が対馬で使うカネが入らなくなった、
ということだけで、事態の評価を決めないで欲しい。
むしろ、
韓国人が押し寄せないのが普通なのだと得心されたい。

対馬沖での日露日本海海戦から百周年にあたる
十四年程前から、
対馬における韓国人の土地買収に対する地元の人びとの懸念が伝わってきた。
同時に、どう見ても観光客でない者が対馬に来ているとの情報も伝わってきた。
その時、日本全体は平和ぼけで無関心であっても、
遙か昔の飛鳥時代に既に対馬の浅茅湾岸に金田城という山城が造られて防人が送り込まれ、戦前の対馬各地には要塞が造られ大口径砲が設置されていたことから明らかなように、
対馬は、
大陸と北九州の間にある海峡に浮かぶ戦略的要衝であることは、白村江の戦いがあった万葉集の時代から現在まで変わることはない。
従って、
我が方は無関心でも
朝鮮側およびその背後の大陸側は関心を持って、
対馬調査に乗り出してきていたことは明らかである。

その頃、
浅茅湾をチャーターしたボートに乗って海から観て廻ったが、
明らかに観光客(釣り人)ではないと目つきと匂いで分かる屈強な体格の男達が海岸から我が方のボートを睨んでいた。
そして、
対馬北端の海栗島にある航空自衛隊レイダーサイトのすぐ沖に
国籍不明のボートが時々浮かんでいて、
対馬中部の竹敷にある海上自衛隊の対馬警備隊の周辺の土地は、韓国人に買収されていた。

その買収された土地は、かつての真珠工場で、
現在の上皇上皇后両陛下がかつて行幸された記念碑が建てられていた。

しかし、
現在の国際情勢、特に朝鮮半島の動向を注視するとき、
「三十八度線」は、
既に、朝鮮の釜山と対馬の間の海にあると判断
するべきであり、
対馬に韓国朝鮮人「観光客」が溢れ、
対馬の土地がほしいままに彼らに買収される
今までの流れを、早晩阻止して、
対馬を、
我が国防衛の戦略的要衝(国境の島)に戻すべき時が来ていたのだ。
従って、昨年同時期八百人の韓国人観光客が本年ゼロの報道に、これで良し、と記したわけだ。

また、彼らは、
「対馬は朝鮮のもの、韓国のもの」
と臆面もなく無礼に公言していることも知るべきだ。
その彼らが、ピタリと対馬に来なくなったことは、
韓国人が日韓関係悪化のなかで、
対馬は日本の国土であることを認めたことである。

反対に、
彼らが竹島観光を企画して国民を勧誘しているが、
これは、我が国から奪った領土をさらに確保しようとする
火事場泥棒の姑息な心理の現れだ。

これを機会に、
太古から戦前に至る
対馬防衛=日本防衛態勢の再構築に進まねばならない。

まあ、毎年対馬に行っているので、個人的にも清々するよ。
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北対馬の海に面した丘のうえに定宿があるのだが、
昨年五月、

風呂に入ろうと男湯の脱衣場で脱いで浴室に入ると、
韓国人の女四人が入っている。
小生が入っても出ようともしない。
そこで、ここは男湯や女湯は隣や、と強く言ったらすごすごと出て行った。
このことがあったので、本年五月は、

猿股を脱ぐ前に、浴室を覗いておばはんがいないか確認した。
考えてみたら、同じ浴室に
小生と韓国の女が一緒に居るところを
写真に撮られたらえらいこっちゃ。

これから、
こういう馬鹿馬鹿しい手間が省ける清々した。
 
 
令和元年八月八日(木)
 
日本 日本 日本
 

文大統領、日本を非難=輸出許可は確認-韓国
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朝鮮無政府が近づいている

昼食前に、
韓国と北朝鮮が一緒になればすぐに日本に追いつく
という妄想を
真面目に語っていた文在寅の韓国を記したので、
昼食後には、
文在寅が一緒になりたい理想の相手である
「敬愛する最高領導者金正恩同志」
の国である北朝鮮にも触れておくのが公平を期すということだが、

その前に、
現在、韓国がアメリカと合同軍事演習をしている最中で、
北朝鮮が、この米韓合同軍事演習に対抗して盛んにミサイルを打ち上げている今、
北朝鮮との合同の話をする文在寅という人物は、
そもそも正常なのだろうか?
自分を恫喝するために
ミサイルを飛ばしている国もミサイルも、
見れども見えず、
彼の頭の中には、「反日」しかない。

従って、確実に言えることは、
韓国は国家分裂の危機に近づいているということだ。

また、文在寅が言うように、
韓国と北朝鮮が合同すればどうなるか?
すぐ日本に追いつくのか?
とんでもない、
北朝鮮の独裁体制は崩壊し、
韓国経済も麻痺状態に陥り、
一九九七年(平成九年)の経済破綻から無政府状態になった
「アルバニア無政府」
と同様の統治不能の「朝鮮無政府」となる。

つまり、分かりやすく言えば、
南北朝鮮は、百九年前の一九一〇年(明治四十三年)の
日韓併合前の状態になる。

東西ドイツの統一においても問題続出で大変だった。
しかし、南北朝鮮統一はその比ではない。

その時、まさにその時、
韓国人である文在寅は、
安心した表情で、平然と、手の平を返したように言うだろう。
「朝鮮の苦境を日本が助けるのが当然だ」と。
しかし、我が国は、
再び、一九一〇年の過ちをおかしてはならない。
今度こそは、
対岸の火事を見るが如く、

「助けず、教えず、関わらず」
非韓三原則を貫かねばならない。

北朝鮮を語ろうと本文をはじめたので、
最後に、
敬愛する最高領導者金正恩同志について書くが、
彼は、この糞暑いときに、詰め襟の服を着て、
いつもミサイルが発射される様子を見ている。
いったい、どんなつもりで、
何を考えて眺めているのだろうか。
外にすることは無いのか。
この敬愛する最高領導者金正恩同志の独裁体制も
長くもたない。

以上、
北は金正恩で滅び、
南は文在寅で滅ぶ。
この朝鮮無政府のなかで、
北のロシアと中共が必ず出てくる。
東アジアの動乱だ。
この動乱を克服するために
令和の御代が始まったと思う。
期せずして、本日は、
この令和の御代が生まれる起点となった

先帝がはじめて譲位について語られた
平成二十八年八月八日と同じ
令和の八月八日だ。

 

令和元年八月八日(木)

西村眞悟FBより。