出てきたGHQの職員の馬鹿さ加減
そして、
民族生命の原始無限流動の為に
令和の御代の第一日目の五月一日は、
朝から夕刻近くまで、
春の雨が降る仁徳天皇御陵まえの広場で、
御即位奉祝のふとん太鼓十一台の競り合いに立ち会っていて、
マスコミ、特にテレビが何を放送していたのか詳しくは知らない。
とはいえ、
広場に出かける前に家でNHKなどを見たし、
夕刻以降はテレビを見たのである。
各地の街頭や皇居の二重橋前の人々の様子や声の実況からは、
天皇を戴く我が日本国民の、
素朴な天皇への思いが溢れていた。
四月二十九日に伊勢神宮に参拝した際も
中国人の集団がいなかったので清々した。
あの伊勢神宮前と同じような二重橋前の人々だった。
しかし、
これとは反対に、
「皇室の歴史に詳しい専門家」
とか
「長く皇室を担当していた記者」が、
この度の譲位と践祚についての政府の儀式に関して解説する番組には
強い違和感をもった。
その理由は、
解説者が解説すればするほど、
皇室の歴史に詳しい者であれば、
当然もつべき、
神話に発して現在に至る皇室の歴史に対する
畏敬の念が感じられなかったからだ。
驚くべきことに彼らは、
「日本国憲法第一条」が映し出されている画面を見ながら、
皇室の歴史と伝統が、
この「第一条」によって如何に変容されたかを得々と説明したのだ。
彼らが皇室の「専門家」であるのは、
この度の政府が行いテレビに放映された各儀式が、
如何に「日本国憲法第一条」に忠実に従っているか、
その為に、
如何に「皇室の歴史と伝統」を変容させるための工夫が施されているか、
その工夫の成果が、
あそこに、ここに現れている、と、
したり顔に語ることができるからだったのだ。
これでは、まるで、
皇室の歴史に詳しい専門家ではなく、
天皇と神道の絆を切断して日本から天皇の権威を奪うために
「日本国憲法」を書いたGHQ(連合軍総司令部)の忠実なる職員ではないか。
従って、報道には、
この度の譲位と践祚による新帝の即位が、
我が国でしか起こりえない
「万世一系の皇祚を践む」
という民族生命の無限流動の尊い姿であるという畏敬の念は無い。
次に、本日五月二日においても
皇位継承者(男子)が少なくなっていることを危惧する論調が見られる。
そして、その為に、
「日本国憲法」の男女平等原則により
皇位の女系継承論が表面化する気配がある。
そこで言っておく。
これは、あるやんごとなきお方との申し合わせである。
言うで、
皇位の安定的な継承、
即ち、万世一系の皇統を維持する為に、
皇室には、御側室が必要である!
そもそも新しい御代の元号、令和、は万葉集からもたらされた。
よって、万葉集の編纂者は、
一千三百年後の我らに如何なるサインを送っているかに思いを馳せられよ。
万葉集第一巻冒頭の歌は何か?
それは、第二十一代雄略天皇の
春の野で草を刈る乙女に対する恋の申し込みの歌ではないか!
天皇は次のように歌われた。
籠(こ)もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち
この岡に 菜摘ます児
家告(の)らせ 名告らせ・・・
我こそば 告らめ 家をも名をも
そして、
娘は家と名を天皇に告げた。
天皇は、娘の家によばいされた。
娘は歌う。
こもりくの 泊瀬小国(はつせをくに)に
よばひせす 我が天皇(すめろき)よ・・・
そこで、諸兄姉に訊く。
天皇と春の野で菜を摘んでいたこの娘との恋の結実として、
男子が生まれたらどうなる?と。
その男子は、天皇になる、即ち、皇位継承者だ。
これが答えだ。
即ち、
皇位の男系の継承とは、
我が日の本の、全ての女性が、
天皇の母になりうるということだ。
反対に、日本のつまらん男が
天皇の父になりうるのが女系継承である。
しかし、女王バチやアリで繁殖する蜂や蟻ならともかく、
我ら、高等な人間様では、これでは絶対、共同体が維持できない。
男には、女と違い、
「何処の馬の骨か」というのがいるのだ。
また、
平素は女性に付け入るのは上手いが、戦場では必ず逃げる奴がいるのだ。
東日本大震災の時の総理大臣を想起されよ。
これでは、絶対に日本民族は断絶する。
万世一系の皇位の継承
民族生命の原始無限流動を維持する為には、
日本の全ての女性が
天皇の母になりうることが必要なのだ。
これが、
私が感じた、
一千数百年前の万葉集の編纂者からのサインだ。
令和元年五月二日(木)
西村眞悟FBより。