嗚呼、小寺一矢 先生 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

 

 

三月十日の「奉祝 陸軍記念日」を記載した日の午後一時四十三分、
弁護士 小寺一矢先生が亡くなられた。
この日、入院先の奈良にある病院にお見舞いに伺うため、阪奈道を走っていた。
その途中、友人から、今、亡くなった、との連絡が入った。

小寺一矢先生には、
司法修習生の時からご指導を受け、
それ以来、今までお世話になり、ご指導を受けてきた。
実に、この歳になるまで、
小寺先生の前で、私は司法修習生のままであった。

三月一日にご自宅に伺った時には、
小寺先生は、家の前の道に出てきて、まあ上がれと促され、
「空の神兵と呼ばれた男たち」(ハート出版)を手にとって、
「感銘を受けた」と感想を述べられ、
同時に、西村眞悟のことを書いた本を指さされて、
「嘘を、書いとる、けしからん、腹立ってなあ」と言われた。
そして、ご自分の体調のことを、
「ドクターからこう言われた」と、
元気に、達観されたように、説明され、
笑顔でその状況に立ち向かう意気込みを示された。
そのご様子に、ホッとして、
「また、近いうちに、一杯やりましょうや」と申し上げ、
先生が指摘された「けしからん本」を頂いて、おいとました。
先生は、玄関から道に出てきて手を振って見送ってくださった。
その時には、思いもしなかった!
これが、先生と話をした最後となった。

三月十日の亡くなった直後に、
病院で先生のお姿を拝したとき、
「先生、長い間、お世話になりました、ありがとうございます」
「奥様と、もう会われていますか」
と申し上げた。
すると、悲しさが込み上げ、
「人生とは、稽古するヒマもなく舞台に上がらねばならない劇である」
という明治前期に日本に滞在したチェンバレンの言葉が浮かんだ。

小寺一矢先生は、
大阪弁護士会会長と日本弁護士連合会の要職を務められ、
産経新聞の大阪「正論」懇話会の幹事をされていた。
先生の思想、心情、人柄、人情、生き方という全一的な総体としての存在は、
単に、法曹界の重鎮にとどまらず、
我が日本の将来を、誇り高く、力強く指し示す光源であり、
人生の中で触れ合った我々の至宝だった。

突然、幽明相隔つ、哀しい哉!

三月十二日の産経新聞朝刊は、第二面に小寺一矢先生の「評伝」を掲載し、
その見出しに
「人生を愛し、日本を愛した」
と大書した。
三月十四日、先生の告別式において、私は、
「蛍の光」の戦後奪われた次の歌詞を歌った。

  筑紫の極み 道の奧
  海山遠く 隔つとも
  その真心は 隔てなく
  一つに尽くせ 国のため

そして、歌い終えて言った。
 先生、近いうちに、必ず、またお会いしましょう!

 

平成29年3月16日(木)

西村眞悟の時事通信より。