空の神兵と呼ばれた男の書碑。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 
 
 

 

表題の「空の神兵と呼ばれた男の書碑」について記するにあたり、
冒頭に次のことを述べておきたい。

 明治三十八年五月二十七日から二十八日にかけて日本海の対馬沖で行われた
我が国の東郷平八郎提督率いる連合艦隊と、
ロシアのロジェストウェンスキー提督率いるバルチック艦隊との
日本海海戦において、
我が海軍に対してアメリカを含む十二カ国から観戦武官の乗艦申し出があった。
しかし、実際に観戦武官として我が国の軍艦に乗り込んだ外国の海軍士官は、
二人しかいなかった。
一人は装甲巡洋艦「日進」に乗った
アルゼンチンのマヌエル・ドメク・ガルシア大佐。
もう一人は、戦艦「朝日」に乗った
イギリスのクリストファー・ペケナム大佐である。
その理由は、アルゼンチンとイギリス以外の海軍士官達は、
連合艦隊が戦うバルチック艦隊の偉容を思い浮かべ尻込みしたからである。
日本の軍艦は沈められ、乗り込んでいたらロシアに殺されると思ったからである。
従って、我が国の連合艦隊と運命を共にすべく乗り込んだ、
アルゼンチン海軍のマヌエル・ドメク・ガルシア大佐と
イギリス海軍のクリストファー・ペケナム大佐の勇気は、
讃えられるべきである
その勇気の故に、彼らは、
大艦隊同士の文字通り空前絶後の世紀の海戦を総べて観て、
クリストファー・ペケナム大佐は、
イギリス海軍に新時代の「ドレッドノート」型戦艦を誕生させ、
マヌエル・ドメク・ガルシア大佐は、
アルゼンチン海軍士官と生徒達に東郷平八郎提督の敵前大回頭を教え続け、
世界に向けて日本海海戦を伝える本を遺した。
 そこで、高山正之さんは、
産経新聞の記者を退職する少し前、
そのマヌエル・ドメク・ガルシア大佐のことを取材するためにアルゼンチンに行った。
そして、ガルシア大佐の孫のホラシオ・ドメクに会った。
以下、高山さんの記述より。

 アルゼンチンで東郷平八郎は有名だった。
何故なら、日露戦争は中学の歴史教科書に二ページにわたって書かれており、
生徒達は日本海海戦の話を目を輝かせて聞く。
アルゼンチンのエリートの条件は海軍兵学校出身であることで、
そこでは東郷のT字戦法がもっと詳しく教えられ、
それを教えたのが海軍兵学校長だったホラシオの祖父ガルシアだった。
従ってアルゼンチンの歴代駐日大使もみな海兵出身で、
東郷をみな知っていた。
孫のホラシオは、法律を学んだが、
日本海海戦の一部始終は海兵出身より詳しく知っていた。
何故なら、「祖父の膝で子供の頃から聞かされたからだ」
国家がどうあるべきか。
国民はどう戦うべきか。
それも祖父から聞かされた。
祖父の道を継いだ父からも海軍での生活を誇りをもって聞かされた。
ホラシオ自身も息子に、孫に、海軍一家の誇りと「東郷」を語っているという。

このアルゼンチンでの取材の上で、
高山さんは次のように語っている。

 日本では父も祖父も戦後、その口を閉ざした。
そうさせたのはGHQの巧みな戦後処理、
日本人の洗脳戦略によるものだろう。
 いずれにせよ日本人は大義をもって戦った戦争を
家族にも孫にも余り語ろうとしなかった。
 何も聞かされなかった孫たちが先の戦争を考えようとすると、
そこにつけ込んできたのがいわゆる戦後史観、自虐史観だった。
 日本の歩んできた道は祖父が子に伝え、子が孫に伝えてきた。
先の戦争もそうした形で伝えられていれば、
今のような混乱、
例えば支那まで口幅ったく勧める女帝論について惑うことなく否定できたし、
南京大虐殺の虚構を笑い飛ばし、
慰安婦の嘘が出れば与太を書く朝日新聞を叱り飛ばせただろう。

確かに、
 私の岳父の岡沢完治は陸軍士官学校五十八期で終戦時歩兵中尉であったが、
私の妻となった娘に、戦争のことを遂に語ったことがなかったという。
 私の叔父の東儀正博は陸軍航空隊のパイロットで、
昭和十四年のノモンハン事件以来、空で戦い続け、
戦後も決して地上の仕事をせずに飛び続けて、
昭和四十三年にインドネシアのアンボン沖で墜落するまで飛行機の操縦を続けた。
しかし、遂に、大東亜戦争において、如何に戦ったか、語らなかった。
ただ、姉(私の母)には、
墜落してゆく南郷中佐の打電した訣別電を同じ空域で聴いたと語ったようだ。
 そして父は、
軍人ではなかったが、大東亜共栄圏建設の為に
サイゴン、シンガポールそして台湾を軍と共に行き来していたと聞いている。
しかし、軍刀を握る軍服姿の写真を遺しただけで、
戦争のことを子に語らなかった。
ただ、ベトナム戦争における北ベトナムとベトコンの戦術を、
あれは辻正信の手法だと私に語ったときに、
父もまさに銃声が聞こえる戦時を生きたのだなあと思わせたことがある。
また、父は、テレビで台湾の風景が映ったとき、
「あ、この娘、高砂族だ」と懐かしそうに言った。
母に言わせれば(言わせなくともいいが、二人とも帰天しているので言わせるが)、
父は台湾の高砂族の娘に、
形見だといって拳銃を渡してきたという。
そして父は子に漏らした、
台湾から来る手紙を、母さんが破ってしまうんだよ、と。
母は、それを横で聞いていて、
あたりまえよ、と言わんばかりだった。
これくらいが、私が生まれる前の我が家の「戦時の話」だった。
つまり、高山正之さんが言われるように、
我が家でも、アルゼンチンのガルシア家とは正反対で、戦いの実相は語られなかった。

 以上を前提として、
 本論に入る。
 
 即ち、遂に、戦後史観の暗雲の裂け目から黎光が射すように、
父が子に「大義をもって戦った戦争」を語る書が顕れた。
まことに、この戦記は、新鮮で、強烈で、鮮烈である。
それが、空の神兵といわれた男が語る本書である。

空の神兵・奥本 實氏は、
大正九年十月、奈良県天理市に生まれ平成二十三年七月、九十歳で逝去した。
陸軍士官学校を経て陸軍中尉となり、昭和十七年二月十四日、
小隊長としてスマトラ島パレンバン落下傘降下挺進作戦に参戦し、
負傷しながらも寡兵をもって勇戦奮闘して敵飛行場を制圧する最高殊勲をたて、
生存者で初めての殊勲甲の武勲に輝き、
昭和十八年二月十九日、金曜日午前十時、
単独、感状授与の陸軍中尉として、皇居学問所において、
天皇陛下の謁を賜った。
そして、昭和三十六年五月、パレンバン落下傘部隊戦記を起稿し、
平成四年六月脱稿した。

奥本 實氏の子息、奥本康大氏は、
この父の遺した戦記をコラムニスト高山正之氏に見せ、
奥本・高山の両氏は、この戦記を、広く世界に知らせるべきと一致し、
この度、出版することとなった。
題して、
  
  「なぜ大東亜戦争は起きたのか? 
    インドネシア・パレンバン落下傘部隊の記録
    空の神兵と呼ばれた男たち」

 これは、本というより「書碑」である。
出版社は「ハート出版」、本体 1800円。
著者は、高山正之、奥本 實。
 本書は三部からなる。
 第一章は 元産経新聞記者の高山正之氏が書く
     「あの時代の景色を想う」という大東亜戦争を俯瞰する論考。
 第二章は、本書の根幹
      奥本 實陸軍中尉が書いた「パレンバン落下傘部隊戦記」である。
 第三章は、奥本 實中尉の長男奥本康大氏の
     「『空の神兵』だった父を偲んで」

 この「書碑」、パレンバン落下傘部隊戦記、を是非お読みいただきたい。
 ここに、現実にジャングルのなかで戦った勇士の手記がある。
 我々、戦後の世代は、
 父と祖父の体験した戦いの実相を知るべきである。
 
 最後に、私から、
 パレンバン落下傘降下作戦の位置づけと、
 少々の感想と感慨を述べたい。

 この作戦は、
山下奉文軍司令官率いる陸軍第二十五軍による昭和十七年二月十五日の
シンガポール陥落と列ぶ世界史を変えた重大事件である。
 奥本 實中尉の参加する落下傘部隊の空の神兵たち援護戦闘機を含む八十八機は、
昭和十七年二月十四日午前九時、マレー半島を飛び立ち、
第二十五軍の総攻撃によって天空高く黒煙を上げる
断末魔のシンガポールを眺めながらスマトラ島パレンバンに向かい、
午前十一時二十六分、降下間隔0・五秒で機から飛び出し
パレンバン近郊のジャングルや湿地帯に落下傘降下した。
 その時、奥本中尉は小隊標旗の日の丸に、

「本日ノ休養ハ、靖国ニ於イテス」
 
 と大書して部下に徹底した。
即ち、靖国神社まで休まず絶対に戦闘を続けて任務を完遂すると全員誓ったのだ。

 大東亜戦争を開始するに当たって我が国が策定した戦略は、
昭和十六年十一月十五日に大本営政府連絡会議に於いて決定した
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」
であり、
その骨子は、
第一に、南方の資源地帯を制圧して自存自衛を確立する南方作戦
第二に、インド洋制圧と蒋介石支援ルート切断と
    インド独立による英国の屈服を狙う西亜作戦
第三に、アメリカを近海迎撃して彼の継戦意思の喪失を計ること
 
 即ち、同年八月に、アメリカより石油を全面禁輸された我が国にとって、
イギリスとオランダを駆逐してマレー半島とインドネシアを制圧して
南方資源地帯を確保することは国家存亡をかけた作戦であり、
同時に、白人の数百年にわたるアジア植民地支配体制を覆滅する
世界史的作戦であった。 
よって、イギリスの東洋制覇の牙城であるシンガポール制圧と
南方資源地帯の要であるスマトラ島パレンバンの飛行場と製油所を無傷のまま制圧することが死活的に重要であった。
その為の、決死隊が、奥本 實中尉以下の落下傘部隊だった。
 決死の使命、参加する者全員が知っていたので
「休養は靖国でとる」
 と心に誓って敵地に降下していった。
 
 地上に到着するまでの数十秒間は、地上の敵に討ちまくられる。
 奥本中尉の落下傘にぷすぷすと弾が通り抜けた。
 搭乗機が地上砲火を回避するなかで降下したので、
 彼らはジャングルに落ちてしまった。着地ではなく着森だった。
 兵隊が携行する武器は、拳銃と手榴弾だけで、
 小銃、機関銃、弾薬、将校の軍刀(指揮刀)は別の箱に入れて投下する。
 しかし、ジャングルのかなでその箱は何処に落ちたか分からない。
 箱どころか、仲間の兵が何処に降りたかも分からない。
 その状況の中で、
 奥本中尉は、巡り会った五名と共にジャングルから出て
トラックに乗って向かってくる敵百五十名に対し、
拳銃と手榴弾だけで、断固、攻撃を仕掛け撃退するのだ。
まさに、死を恐れず、難戦に次ぐ難戦を、
不屈の闘魂で乗り切って行った。
飛行場制圧が間近になった時の手記に言う。
「甲村連隊長は『突っ込め!』と号令して自ら突撃する場面が発生した・・・
降下挺進部隊には、第一線先陣も、予備隊もない。
特にジャングル内に於いては、
連隊長自身も第一線の散兵線の一兵士であることを如実に物語っていた」
 二月十四日、午後九時、
彼ら空の神兵たちは、パレンバン飛行場を制圧した。
そして、暗夜のなかで制圧した飛行場で停止した兵の様子を
奥本中尉は次のように書いた。

「戦死した戦友の勇敢な働きを思い浮かべて不覚にも泣き出す兵、
 ずっと前進していた部隊が、
 一旦停止すると、必ず感傷が襲うのである」

次に兵は、製油所制圧とパレンバン市内制圧に向かうのである。
 
 そして、このパレンバン制圧によって、
赤道下の東西五千キロの広大な全インドネシアは日本軍の掌中に入り、
白人のアジア支配は打破されてゆく。
 このようにして、少数の決死の空の神兵が、
 世界史を変えたのだ。

 アメリカでは、
 先に黒人のオバマ大統領が誕生し、
 今、トランプが大統領になってから、
 善良ぶった人民が
 「人種差別反対」とか「レイシスト、トランプ!」とやっているが、
 二十世紀まで、レイシストはお前たちではないか。
 それが今、専売特許のようにお前たちが「レイシスト反対」と言えるのは、
 二十世紀半ばの一九四二年二月十四日と十五日に、
 日本人が、
 パレンバンとシンガポールで死体の山を築きながら
 世界に向かって白人を駆逐してみせたからだ。
 
 先に紹介した奥本中尉の手記のように、
五名の拳銃と手榴弾しかもたない神兵の攻撃に、
百五十名のオランダ軍が戦死し負傷した仲間を放置して逃げた。
 彼ら、キリスト教世界の白人の感覚では、
日本兵には悪霊が憑いているとしか思えず、恐しかったのである。
そこで最後に、
 おのれ、連合軍め!
 おのれ、毛唐め!
と、感情を剥き出しに述べておきたいことがある。

 日本軍が敢行した決死の落下傘降下による敵地の制圧は、
 世界の戦史を塗り替える日本軍の勇気を示す快挙であった。
 連合軍、オランダ、イギリス軍は、
 降下してきた少数の日本軍の鬼神も退く肉薄に、
 原住民の前で為す術なく蹴散らされ、逃げ散ったのである。
 彼らは日本軍指揮官に悪霊が憑いていると思った。
 
 その落下傘降下作戦を現実に落下傘降下して指揮し、
 見事世界的快挙を達成した指揮官は、
 海軍に於いては、セレベス島メナド飛行場を制圧した
 堀内豊秋海軍大佐
 陸軍に於いては、「突っ込め!」と自ら号令して突撃した挺進第二連隊長
 甲村武雄陸軍少佐
 また、シンガポールを陥落させた第二十五軍司令官は、マレーの虎といわれた
 山下奉文閣下
 である。
 そして、戦後、連合軍は、
 堀内豊秋海軍大佐、
 甲村武雄陸軍少佐、
 山下奉文陸軍大将、
 を戦犯の汚名を着せて処刑したのだ。
 
 まことに、無念である。
 
 しかし、彼ら連合国は、
 これで日本軍の悪霊を祓ったと思っているかも知れないが、
 今、この「書碑」が、
 新鮮に鮮烈に顕れたことから分かるように、
 ことある時に顕れる日本人の強さ、
 即ち、大和魂は、
 これから、ますます、甦る!
 
 在天の奥本 實中尉と戦死の英霊よ、
 ありがとうございます。

 
 書名「なぜ 大東亜戦争は起きたのか?
 インドネシア・パレンバン落下傘部隊の記録
   空の神兵と呼ばれた男たち」
 著者 高山正之
    奥本 實
出版社 ハート出版 
    〒171-0014 東京都豊島区池袋3-9-23
TEL 03-3590-6077 
 
 
平成29年2月2日(木)
 
 
 
 
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