君が代を否定する人たちとは? | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

 

せんだって、にっぽんじんさんがコメントしてくれたのですが、その中に、
「共産党を中心に平和を叫ぶ団体は改憲反対です。
 一方、改憲に反対しながら天皇制反対を叫びます。」
という一節がありました。

なかなか味な指摘だと思います。
要するに、彼らはダブル・スタンダードなのであって、兎にも角にも日本を破壊しさえすれば、自分たちに幸せがやってくると信じているかのようです。
そこに論理性のカケラもありません。
まだ世間を知らない学生が、熱くなって国を憂うならまだわかる気がしますが、40代50代、はたまた60代70代になってもまだ目が覚めず、自分の行っているダブルスタンダードに気付かないのは、いかがなものかと思います。

そのような人たちが口を揃えていう言葉に、
「君が代反対」があります。
どうして反対なのかというと、「君が代」の「君」は天皇崇拝だからケシカランのだそうです。
加えて、その「君が代のためにどれだけ多くの人の命が奪われたのか考えたことがあるのか!」と畳みかけたりするのが、彼らのいつもの常套手段です。

彼らは感情的に激しく言うし、「子供たちの未来のために」とか、「平和のために」とか、もっともらしい理屈も付けます。
ところが、すこし考えたらわかるのですが、「子供たちの未来のために」と言いながら、子供たちに「恨み」や「憎しみ」や「対立」を刷り込んでいるわけです。
「平和のために」と言いながら、論理的な理性ではなく感情的に対立し、自分だけが正しいというドグマに陥り、秩序を破壊し、世を混乱に貶めて、社会を破壊しているわけです。
その行為を拡大すれば、それは戦争を招きます。

日本は、そうした我儘勝手な破壊行為と戦うために、やむを得ずに立ち上がったのです。
日清日露から大東亜の戦いまで、日本が仕掛けた戦争はひとつもありません。
やられてやられて、我慢に我慢を重ねて、もうこれ以上の譲歩は不可能となったときに、はじめて日本は戦ったのです。
そしてそのことを国民のひとりひとりが理解していたからこそ、日本は強かったのです。
そして、そこまでして戦ってくださった父祖がいたから、我々の命が、いま、あります。

 

 

このブログで何度も繰り返していることですが、たいせつなことは、対立ではなく、和です。
自分の至らなさをまず自覚し、相手の言うことをちゃんと聞いて、互いに学び合う。
この世に絶対的な真実など、神ならぬ人の身では、そもそもありえないのです。
みんな、どこか正しく、どこか間違っている。
ただ、それが政治的なドグマに陥ると、ただの対立になり、闘争になり、それが高じれば殺し合いになり、それを拡大したものが戦争です。
ですから、戦争という最大の不幸を取り除こうとするならば、対立し、挑発を仕掛けること自体が、実はとっても罪なことなのだということを、まず、知るべきではないかと思います。

さて、その君が代ですが、左翼の人は、戦争礼賛の歌だ、けしからん歌だと声を張り上げますけれど、この君が代は、なにも先の大戦中に作られた軍歌ではありません。
大戦どころが、いまから1100年も昔に編纂された『古今和歌集』に掲載された和歌です。

その『古今和歌集』は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
いまでいったら政府の公式歌集です。
万葉の時代から撰者たちの時代まで、140年間の間に詠まれた代表的和歌が収録されています。
ということは、最大みつもれば「君が代」は、1250年前から、歌い継がれてきている歌ということになります。
昨日今日の、浅い歴史ではないのです。

その『古今和歌集』にはこの歌が、

 わが君は 千代に八千代に
 さざれ石の巌となりて苔のむすまで

として掲載されています。
つまり初句が「我が君は」となっているのです。
ということは、すくなくとも『古今和歌集』の時代には、この歌の「君」は、天皇を指していたということが明確です。

ところが、そこから面白いことが起こります。
その後に編纂された『新撰和歌集』や『和漢朗詠集』では、初句が、
「君が代は」に変化するのです。
そして、以降ずっと、現代に至るまで、「君が代」のままとなっています。

実は、ここがたいへんおもしろいところなのです。
たとえば、戦時歌謡の「同期の桜」は、知らない人がいないくらい有名な歌ですけれど、この歌も、作詞が誰なのかわかっていません。
昭和13年に西条八十が「少女倶楽部」に発表した詩が元にはなっているようなのですが、ところがその後、歌詞がさまざまに変化し、また3番、4番なども追加されていって、いまのカタチになっています。

このことが何を意味しているかというと、多くの人に歌い継がれていくうちに、歌詞がどんどん補強され、追加され、もっとも多くの人の心にストンと落ちやすいように、大衆化した文学は変化する、ということです。
つまり、みんなに愛されたからこそ、初句が「我が君は」から「君が代は」に変化したのです。

歌いやすいカタチとなって変化していったのです。

「君が代」の場合も同じで、賀歌、つまりお祝いの席での、めでたい歌として、広く貴族から庶民の間にまで普及していた歌であったからこそ、さまざまなバリエーションが生まれ、その歌いだしも「わが君は」であったり、「君が代は」であったりしていったわけです。

『古今和歌集(905年)』から、『新撰和歌集(934年(諸説あり)」までは30年ほどの歳月があります。
その間もずっと、人々にお祝いの歌「賀歌」として愛され、多くの人に口誦されたからこそ、歌は「我が君は」から「君が代は」に変化しています。

そして、初句が「君が代は」になることによって、この歌は明治初期まで、その後約千年の長きにわたり、結婚式の祝宴の際の定番歌となりました。
いまでも、映画やドラマなどで、
 高砂や
 この浦舟に 帆を上げて
 この浦舟に 帆を上げて
 月もろともに 出汐の
 波の淡路の島影や
 遠く鳴尾の沖過ぎて
 はやすみのえに着きにけり
 はやすみのえに 着きにけり
と声を張り上げておじさんが歌うシーンがときたま出てきますが、これが「謡曲」と呼ばれるもので、もともとは「お能」の「高砂」が題材となったものです。
末永い夫婦和合の象徴として、ひと昔前までは、結婚式となると、必ず誰かがこの歌を披露したりしたものです。

そして、実は、この「高砂」と同様に、結婚式の定番曲となっていたのが、実は「君が代」でした。
なぜ結婚式の定番となっていたのかには、明らかな理由があります。

我が国では、「君」と書いて「きみ」と読みますが、古い日本語で、
「き」といえば男性、
「み」といえば女性
を意味していました。
ですから、イザナ「キ」、イザナ「ミ」ですし、
竹取物語なら、オキナ(翁)に、オミナ(嫗)です。
ちなみに、「オンナ」という言葉は、このオミナがなまってできた言葉なのだそうです。

そのキ(男)とミ(女)が、
 千年も八千年も
 小さな小石が集まって巨大な岩石となる礫岩(れきがん)のように
 子孫を繁栄させ、繁栄した子孫が互いに強く結束して、
 巌に苔が生えるようになるまで、
 ずっとずっと固い絆で結ばれて行こう
というのが、「君が代」の和歌の意味です。

そして我が国では、男女の最初の神様がイザナキとイザナミです。
その二神から、天照大御神がお生まれになり、
さらにそのお孫さんにあたられる迩々芸命(ニニギノミコト)が地上に降臨され、
そのまた曾孫が、初代神武天皇となり、
今上陛下まで、125代、ずっと直系でつながっているのが、我が国の天皇です。
これを「万世一系」といいます。
だから「きみ」は、男女を示すと同時に、天皇そのものをも意味する語となっているのです。

そして我が国では、神々の国である高天原と同じように、国の最高の存在を天皇とし、その臣民のすべてを、天皇の「おほみたから」とする、としてきました。
ですから、政治権力者である臣は、天皇のたからを預かる立場です。
そしてこのような国の形を築くことによって、民衆が権力からの自由を保ってきたというのが、日本という国家の基本的な形になります。

この、政治権力を、国家最高権威の下に置き、国家最高権威が、民衆をおほみたからとすることで、政治権力者による民衆の私有民化を防いできたという国家の形は、諸外国には例のないものです。
だからこそ、権力によって抑圧された民衆は、その権力を倒し、反対する者たちを抹殺するまで血で贖ない続けなければ国の形を変えることができなかったというのが、世界の歴史です。

日本は、そこまでしなくても、そもそも民衆に究極の自由が、天皇という存在によって、最初から担保され続けてきたのです。
だからこそ、明治のはじめに、諸外国に合わせて、日本にも「国歌」をつくろうということになったとき、誰もが「君が代」が国歌であることに、誇りと喜びを見出したのです。

では、「君が代」に反対する人たちというのは、いったいどういう人達なのでしょうか。
これが実にわかりやすいのです。
まず、いま申し上げてきたような、「事実に基づくものを歴史とは考えない」人たちというのがいます。
日本に住み、日本語を話し、日本人と同じような顔をしているのですが、もともとの出身が、そういう「事実に基づくものを歴史とは考えない」で、歴史とは、「あとから都合に合わせて言い張るもの」という考え方の人たちがいます。

そしてそういう人たちは、実は、すこし前までは、日本と同じ漢字圏に住む人達でもありました。
ところが彼らにとっての「君」という漢字は、我々日本人の持つ語感と、まるで異なる語感を持つものなのです。

どういうことかというと、そのことは「君」の字源をみたらわかります。
「君」という漢字は、「尹」と「口」から成り立ちますが、「尹」というのは、上の横棒のようなところが人間の手です。
そして「ノ」のようなところが、ムチを意味します。
つまり、「手にムチを持った人が、口を開いて何か言っている姿」が、「君」という漢字の字源です。

手にムチを持った人というのは、あまり偉い人ではありません。
下級役人か、それ以下の人たちですけれど、民衆から見ると、直接自分たちと接する人です。
そして、民衆を奴隷化し、民衆をムチでしばきあげながら、「こらあ、働けえ!」とばかり、ビシッ、ビシッとムチで人々を打ち据える。

日本では、まるで北斗の拳の漫画の中で、雑魚キャラとしてしかおめにかかることがないような連中なのですが、ところが、大陸や半島では、民衆にとっては、これこそが上に立つ人だったのです。

そういう歴史や文化的土壌で育った人たちからみれば、「君が代」と聞くと、その瞬間にDNAに刷り込まれた民族的恐怖心が出てきて、「君が代」とは、
「人々をムチで打ち据えて強制労働を強いる人の代」
というタイトル、もしくは初句にしかみえなくなってしまうのです。

このようなケースは他にも多々あります。
ちゃんと互いに日本語で話をしているのに、肝心なところに来ると、話が噛み合わない。
日本人にとっての常識が、まったく通用しない。

典型的なのが国会論戦です。
生まれたときの国籍が日本ではない漢字文化圏であり、日本との二重国籍を持ったまま国会議員となり、政党党首となっている人、あるいは、帰化人でありながら、政党党首であった人などが、その帰化人たちの票をもとに国会議員となり、日本人の内閣や、行政官僚を相手に、毎度、口角泡を飛ばして議論を吹きかけています。
ところが、まるで話が噛み合わない。
噛み合うはずがないのです。
言葉や、ひとつひとつの単語に対する概念が、日本人とはまるで異なるのです。

たとえば「教育」といえば、日本人にとっては、教えはぐくむことです。
ところがそいう人たちにとっての語感は、教育とは、「子供をムチで叩いて阿鼻叫喚の中で殺すと、その子供の肉が締まって美味しくなる」という意味なのです。
ですから政府が、「教育を見直したい」などと言おうものなら、いまの教育なら、すくなくとも小中学校で教師に食べられる子供はいないのに、今度は我が子が食べられてしまうかもしれないという心理的恐怖が先行してしまうわけです。

あるいは「人権」という語があります。
私たち日本人からすると、「人」というのは支え合うものであり、「権」は力ですから、人と人とが支え合う力が人権という意味と、これは本能的に感じ取ります。
ちなみに「人権」は、訓読みすると「ひとののり」です。
「のり」とは、決まりのことをいいます。

ところが漢字圏の人たちにとっての意味は、まるで異なります。
「人」という字は、立っている独りの人を横から見た姿の象形にすぎず、「権」は、はかりごとのことをいいます。
つまり、彼らにとっての「人権」は、「誰かひとりのための、はかりごとや謀略」という意味になります。

ですから、日本人が「政府は人権を守れ」といえば、言っている側も言われている側も、
「政府は人々が支え合って生きる社会の決まりを守れ」
という意味に理解しますが、
日本人のような顔をした日本人でない人は、
「私がしている謀略を認めろ」
と言っていることになります。

議論が噛み合うはずがないのです。

いささか脱線しましたが、このように、日本語の意味を明らかに取り違えた人たちが、一人前の日本人のような顔をして、特に戦後は、日本社会の上層部1%の富裕層を形成し、他の圧倒的多数の、生粋の日本人からの収奪社会を、彼らが本国にいたときに苦しめられたと同じやり方で、日本社会に根をおろそうとしているというのが、実は、戦後の日本であるように思えます。

ちなみに、維新の会と民主党がくっついて、民進党という政党名ができましたが、普通の日本人の感覚では、維新と民主がくっついたのなら、民主維新党とかいう名前になりそうです。
ところが、維新の文字がすっかり消えて、なぜか「民進党」という名になりました。

これまた、たいへんわかりやすいのですが、実は「進」という漢字は、何かを目上の者に、進呈する、献上するという意味があります。
つまり、日本を中共様に献上します、あるいは韓国様に献上いたします、ということが、まるごと政党名になっていると読むと、実にわかりやすい党名になっているわけです。

それにしても、このような人たちが、狭量にも日本に住み、日本人として、おそらく彼らが本国にいたら、一生味わうことができなかったであろう、平和と、和と、譲り合いの効率の良い日本という国の恩恵を目一杯受けながら、自分たちのコミュニティの中でしか通用しない理屈で、「君が代反対、天皇反対、改憲反対」と、声を大にして触れ回っているわけです。

現状を、抜本的に改革しようとするならば、まずは、正確な現状認識が必要です。
現実の日本が、いまや、そういう人達によって、政治のみならず、文化までもが変質されようとしているということを、私たち日本人は、しっかりと気づく必要があると思います。

ちなみに、トランプ氏は、移民300万人を強制国外追放すると公言していますが、その300万人というのは、米国に住む、犯罪歴のある移民たちです。
そして実は、トランプ氏に投票したのは、そのような不逞移民によって迷惑しているまっとうな圧倒的多数の、米国社会に真面目に溶け込もうとしている移民たちでもあったのです。

「君が代」は、日本の国歌であり、日本の誇りです。
その「君が代」を否定するような人は、国外追放する。
そうした断固とした決断こそが、いま、日本の政治にも求められつつあるのではないでしょうか。

お読みいただき、ありがとうございました。

 

:小名木善行氏ブログ、ねずさんのひとりごとより。

 

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