我が領土の返還に関し「様々な案」などない! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

 

 

 ペルーのリマで行われた安倍総理とプーチン大統領の首脳会談に関して、
   重大な懸念を表明する!
十二月のプーチン大統領の山口県長門市訪問向けて、
日露交渉はプーチンのペースで進んでいるからだ。

 会談の前半、我が国の「ロシア経済協力相」が、
次官級協議でまとめた我が国の対露経済協力プランについて説明すると、
プーチン大統領は、「良い計画だ」と評価した。
 ところで、我が国には、
核ミサイル大国のロシア専属の「ロシア経済協力相」があったとは知らなかった。
 そして、このロシア専属大臣が対露経済協力プランを説明したという、
 では、この日本側の対応に対して、
ロシア側に、「日本領土問題担当相」などがあって、安倍総理にプランを説明したのか。
 これは、なかった。
そして、領土問題は、通訳だけを付けた安倍・プーチンの二人だけの話になった。
 つまり、日本側は、プーチンの欲しいものを開示し、プーチンはそれに満足した。
 しかし、ロシア側は、安倍総理に手の内を何も開示せず、
二人だけの安倍・プーチン会談に入った訳だ。
 その会談後、安倍総理は、
「内容は言えないが、二人だけで腹蔵のない意見交換を行うことができた。
しっかりと話をできたことは意義があった」と述べ、
その次ぎに、
「平和条約(の締結)は七十年間できなかった。
大きな一歩を進めるのはそう簡単ではない」
と強調した(読売新聞、11月21日朝刊)。
 そして、プーチンは、記者会見で次のように述べた。
領土問題が第二次世界大戦によって生じた問題であることを認めた上で、
「(領土問題に関して)可能な様々な案について検討している」(NHK)

 以上の安倍・プーチン両人の発言のうち、注目すべきは、
安倍総理が、日露交渉の目的を「領土問題の解決」とは言わず、
「平和条約締結」、
と言っていること、
プーチン大統領が、(領土問題に関して)
「可能な様々な案がある」、
と発言したことである。

 そこで、安倍総理に言いたい。
 日露交渉の目的は、「領土問題の解決」であり「平和条約締結」ではない。
 平和条約は領土問題解決という目的達成を示すレッテルに過ぎない。
 また、プーチンに言う。
 日露間の領土問題解決に「可能な様々な案」などない。
 では、
 日露が果たすべき「領土問題の解決」とは何か。
 それは、ただ、一つあるのみ、即ち、
  「歯舞、色丹、国後、択捉」
 の日本への返還である。
 
 従って、冒頭に言った日露交渉の懸念とは、
 安倍総理が、「平和条約締結」を追いかけるあまり、
 日露交渉の眞の目的を見失い、
 プーチンの仕掛ける「可能な様々な案」の一つに飛びついて、
 我が国の「国後と択捉」という広大な領土を永久に失うことである。
 領土を、外務省と一人安倍総理の功名の為に、
 それを略奪した国との平和条約という虚妄のもとに差し出す国家に未来はない。
 歴史を観れば明らかなように、そういう国は滅びている。
 
従って、今為すべきことは何か。
 第一に、
十二月三日、岸田外務大臣がプーチン訪日の事前調整としてモスクワを訪問し、
ラブロフ外務大臣と交渉する予定があるが、この日露両国外相会談を
 「決裂」させることである。
 第二に、
我が国の朝野に於いて、日露の領土問題解決は、
「歯舞、色丹、国後、択捉」の全面返還以外にあり得ないとの論陣を張り、
その国民の全面返還の声を高めることである。
この意味で、今、韓国でやっているデモを見習うべきであろう。

 なお、この外相会談決裂と、我が国内の国民の主張を強めることは、
何も突拍子もないことではない。外交交渉では常に駆使しなければならない。
その例を一つ挙げる。
 昭和四十八年(1973年)十月、
田中首相がモスクワに乗り込んでソビエトのブレジネフと会談し、
日ソ間には「領土問題がある」と詰めより、
ブレジネフから「ダー(そうだ)」と言う歴史的発言をはかせた。
 この時、日本側は、
日ソ首脳会談に先立っておこなわれる日ソ外相会談を決裂させる方針で臨むと共に、
克明に連日ソビエト内のプラウダなどの機関誌の論調を調べあげた上で、
首脳会談に臨んでいる(当時の外務省東欧第一課長新井弘一氏著「モスクワ・ベルリン・東京」)。
 この先例でも明らかなように、外交に当たっては各国の外交担当者は、
交渉の決裂を恐れず、相手国の国内論調に最深の注意を払う(このことに鈍感なのは、この度、アメリカ国民の動向に気づかなかった我が外務省だけだ)。
 従って、プーチンの手下達も、現在、日本国内の動向に最深の注意を払っている。
さらに、日本人エージェントを使って、
日本国内世論をプーチンに有利なように誘導しようとしている。従って、現在、我が国内では、
「歯舞、色丹、国後、択捉」の返還以外の「様々な案」が飛び交っているではないか。
 この意味で、産経新聞の「正論」欄に表れた
木村汎北海道大学名誉教授の「ロシアの対日戦術を見極めよ」(平成28年11月8日)と「ロシア接近は百年の計を誤る」(同10月5日)や
袴田茂樹新潟県立大学教授の「東京宣言を無視する露の詭弁」(同10月24日)と
「露への楽観的思い入れを見直せ」(9月6日)は、
非常に有力な論考で、日本の対露外交に有利に作用していると大いに評価すべきである。

 さて、日露の領土問題を、
プーチンは、「第二次世界大戦によって生じた問題」であると言い、
日本側も異論がないようなので、何となく打ち過ぎているのである。
 しかし、この事実認定は、
プーチンのロシアに、
ヨーロッパ方面での沢山の「第二次世界大戦によって生じた問題」を再燃させるので、
それを変更する為の一切交渉には応じられないという武器を提供しているのだ。
 従って、言っておく。
 歴史を振り返って欲しい。
 我が国が第二次世界大戦におけるポツダム宣言を受諾したのは、
昭和二十年八月十四日である。
 そして、全国民に天皇陛下がその旨を伝達されたのは
翌十五日正午。
 さらに、天皇陛下が大元帥として、
広大なアジア各地に展開する交戦中の全陸海軍に、
自衛戦以外の戦闘行動の中止の命令、大陸命と大海令を発せられたのは、
翌十六日である。
 従って、大東亜戦争(第二次世界大戦)の戦闘状態は、
昭和二十年八月十六日に終結した。
 この我が国の戦闘停止を受けて、米ソは何をしたか。
分担地域を決めたのだ。
 その時スターリンは、北海道の分割占領を望んだが、
アメリカはそれを許さず、千島と樺太のソビエト分担が決定された。
 しかし、ソビエト軍は、我が国が戦闘を停止しているのに、
一方的に戦闘を継続し、千島最北端の占守島に
八月十八日、艦砲射撃の後に戦闘部隊を上陸させて日本軍を攻撃し、
樺太の真岡には、
八月二十日、艦砲射撃の後に上陸し多くの住民を殺戮した。
 そして、「歯舞、色丹、国後、択捉の北方領土」には
八月二十八日から九月五日にかけて上陸した。
 我が国がソビエトを含む連合国と正式に降伏文書を取り交わしたのは、
九月二日である。
 驚くべきことに、ソビエトは、東京湾で我が国と降伏文書に署名し合っていながら、
樺太、千島そして北方領土で軍事行動を継続展開して日本人に対する攻撃を続行していたのである。

 以上の事実経過を踏まえて、
我が国は、
ロシアのプーチンに何が言えるのかを確認する。
 それは、歯舞、色丹、国後、択捉の北方領土、
 さらに南樺太と千島は、
「第二次世界大戦の結果ソビエトが占領した地域」ではない。
 これらの地域は、
第二次世界大戦の戦闘終結後に
「ソビエト軍が一方的に侵略した地域」であり、
我が国はこの地域で、
「第二次世界大戦の戦闘」ではなく「自衛のための戦闘」をしたのである。
 つまりこの地域は、ソビエトが
「火事場泥棒として略奪した地域」ではないか。
二年前にプーチンが奪ったウクライナのクリミアと同じ「ソビエトの略奪地域」なのだ。
 従って、我が日本は、
ウクライナがクリミアの返還をプーチンに要求するのと同様に、
北方領土だけではなく
南樺太と全千島の返還をプーチンに要求することができる!
 これが、日露の領土問題である!
 従って、プーチンが言うような、歯舞、色丹、国後、択捉に関して
 解決の為に「可能な様々な案」などはない。
 あるのは、ただ一つ!
 全島の返還である!
 かつて、三国干渉後に、
 我が国民はロシアに対して「臥薪嘗胆」を以て臨んだ。
 この度も、臥薪嘗胆だ。
 百年かかっても領土を取り戻す覚悟をプーチンに表明すべきである。

 

平成28年11月21日(月)

西村眞悟の時事通信より。