四月十四日 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

 

平成28年4月20日(水)

 
 
  本時事通信を、十日間、書かないで本日に至った。
 
 四月十四日は、
 早朝から京都第三選挙区の伏見区に入り、近鉄電車の駅から職場に向かう人々に、
 小野ゆきこ候補の支援を訴え、昼過ぎに大阪に戻った。
 すると、東京地検特捜部が田母神俊雄元航空幕僚長を逮捕したニュースに接した。
 その前に、田母神さんが自宅前でマスコミに囲まれている影像がニュースで流れたので、
 何事かと確かめると、東京地検に向かうところらしいということだった。
 そこで、彼の携帯に電話したが、既に不通になっていた。
 そして、しばらくして、逮捕のテロップを見たのだった。

 三月、東京地検は、
 突如、業務上横領容疑で田母神事務所と自宅を家宅捜索した。
 しかし、この度の逮捕は、
 二年前の東京都知事選挙における公職選挙法違反(運動員買収)容疑である。
 選挙直後ならともかく、
 二年前の選挙違反容疑での逮捕とは。
 この容疑の変遷、
 不可解である。

 それ以来、田母神さんは、今、何を思っているのか、と日々彼のことを考えている。
 そして、二年前のあの雪の東京における都知事選挙の日々を思い出す。
 
 田母神俊雄は、早朝の駅立ちから夜八時の街宣終了まで、
 運動隊とともに都内を走り回っていた。
 「僕は、いい人なんです」と、ユーモアたっぷりに時々言っていた。
 彼の周りは何時も明るかった。
 一日の運動が終わればぐっすり眠り、
 早朝には腕立て伏せから一日を始める田母神の選挙の日々。

 私は思った。
 自衛官は、こういう男とともに戦場に出たいと思っていただろうなあ、と。
 私もそうだが、特に自衛官は、
 「ともに戦場に出られるか」という観点から人物を評価する。
 田母神俊雄は、
 まさに、困難な状況においても、
 無邪気で明るい、ともに戦場にでたい、
 素晴らしい軍人だった。
 
 現在、只今も、そうであろう。



 四月十四日の夜、熊本を震度七の地震が襲った。
 しかし、これは前震だった。本震が十六日に襲来した。

 前震のあと、電話で話すことができた益城の友人や阿蘇の友人は、
 大丈夫だと言っていたが
 本震のあとは、ともに家の中に住めなくなっている。
 年に数度は、熊本護国神社と阿蘇を訪れるが、
 護国神社がある熊本城の石垣が崩れ、
 阿蘇の入口で何時も立ち寄って「たかなご飯」を食べる食堂の、
 西の橋が谷に落ちているヘリからの影像をテレビで見た。

 前震後、暗がりのなかで、
 倒壊した家の中に閉じこめられた人々の救出活動が開始されたのかと、
 やきもきして見守っていたが、
 生後十か月の赤ちゃんが救出されたとの報に接し、ほっとした。
 ひどくやられた益城町も、大都会と比べれば、まだまだ、隣近所の人々の結びつきがあり、
 お互いの安否確認も、すぐにできたのだろう。
 不幸中の幸いである。

 地震はまだ続いている。
 我が国を、天変地異が襲っている。

 謹んで、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
 被災地の皆様、
 どうか、悲しみに打ち勝ち、頑張ってください。

 

西村眞悟の時事通信より。

http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1191