

開館後35年が経過した紫電改展示館=愛媛県愛南町
戦後70年を迎え、戦争体験者や戦没者の遺族の多くが次々と鬼籍に入っている。戦争体験の風化が危惧されているなか、愛媛県内の戦争遺構や資料、遺品を展示する施設の現状や取り組みを追った。
70年ぶりに雄姿と再開
愛媛県愛南町の「紫電改展示館」。昭和53年、同町沖の海底で新鋭戦闘機「紫電改」の機体が発見され、翌年に引き揚げられた。日本国内では、ただ1機のみ保存展示されている。
紫電改は、敗色濃い太平洋戦争末期に零戦に代わる戦闘機として海軍が投入。同機は同20年7月に宇和海上空で圧倒的な戦力を誇る敵機と交戦し、未帰還となった1機。
盆休み期間中の展示館は多くの老若男女でにぎわっていた。開館後35年が経過したものの、昨年度は約2万9千人が入館。戦闘機をテーマにした小説やドラマなどの影響で入館者はやや増えたという。
70年ぶりに“雄姿”と再会した神戸市在住の増川正康さん(85)は「懐かしい」と涙ぐんだ。増川さんは15歳の時に故郷の同県三崎町(現伊方町)から姫路の軍需工場(旧川西航空機)に派遣された。「紫電改の整備をしていた」当時の記憶をたどり、機体の部品を確かめていた。
同館には、紫電改が配備された松山基地のジオラマなど寄贈品が多く展示されており、「日本人のもの作りの素晴らしさ、紫電改に乗って命をかけて戦った若者が存在した事実を伝えたい」とメッセージを記している。
「伝える」ための出前授業も
同県西予市の「県歴史文化博物館」。米軍が投下した実物の焼夷弾や防空ずきんなど戦時資料約400点を収集保存。館内での常設展示だけでなく、小・中学校や高校から依頼があれば出前授業にも資料を活用している。
これまで6回開かれ、約250人が実物の資料に触れることができる体験型授業を受けた。児童からは「これまで資料を間近で見ることがなく、戦争や平和を考える機会になった」と感想が寄せられた。遺品の寄贈について同館は「『捨てるのは忍びない』など残したい気持ちが強い」という。
愛媛県松山市の「護国神社」。県遺族会(会員約1万6千人)の協力を得て、戦没者の遺影や遺品を収集し、祈念資料室を設置する準備を進めている。遺族会の構成メンバーが配偶者(妻)から兄弟、遺児へと移っていくなか、現在までに遺影約1千点のほか、軍服や千人針、手紙(遺書)など数百点が寄せられた。
県遺族会の池見健弌事務局長(75)は「元気な時は遺品(形見)を手放せないが、70年を区切りとして最後に後世に残したいとの思いがある」と寄託する遺族の心情を語る。池田丈志禰宜は「50年後や百年後、戦争や先祖を知らない人に、祖先が国を守るために戦ったことを学ぶ場所にしたい」と力を込めた。
(新山隆朝)
産経ウェスト
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以下、パブリックコメント
突撃ニュース
2:名無しさん@おーぷん[]:2015/08/18(火)10:01:58 ID:jsj
3:名無しさん@おーぷん[sage]:2015/08/18(火)10:04:45 ID:qWc
行くのも大変だけどねぇ……
5:名無しさん@おーぷん[]:2015/08/18(火)11:28:33 ID:VWJ
デカさに驚くよ!
まぁ零戦が小さいんだけど。
松山は343空だよ
戦後空幕長になった源田実が司令を務めていた
早い、早いよ!
紫電改の現存機は他に3機あり、全て米国の航空博物館で保存されています。改の名前 通り、「紫電」という機体の派生(二一型以降を指す)ですが、事実上の新規設計機です。 開発は水上機、飛行艇メーカーの川西飛行機(現在はUS-2で有名な新明和工業)でした。
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